ナッツ
威風堂々と現れ、颯爽と怪人を吹き飛ばしてしまった女の子——魔法少女『ナッツ』は正義の味方と言うよりはどちらかと言うと悪役のように哄笑している。
この街では聞いたことがない人の方が少ない魔法少女ナッツ。
彼女は今をトキメク有名な魔法少女である。
魔法使いミセスの引退後に後を継ぐように活躍し始めた二人の魔法少女がミセスと同様にまた引退して不安が募ったこの街に現れた期待の新人。
莫大な魔力を巧みに操り、いとも容易く強力な魔法を使って怪人を制する史上最年少の天才少女。
魔法に関する知識や知恵は十分なのだが、いかんせん性格が歪んでいるらしく彼女を素直に支持できない人も割と多いと噂に聞く。
ナッツに関する話をしぐれは以前していたことがある。
「ナッツになら任せられると思う?」
クラシック音楽が流れて、木造のあたたかな匂いを漂わせたカフェの端にあるテーブル席に二人の制服姿の女の子が座っている。
一人は灰色っぽい髪色の長い髪を後ろに一括りにしている。
穏やかな瞳の先には巨大なパフェがある。
イチゴやパイナップル、それにバナナ。果物を包むように溢れんばかり盛られた生クリーム。
にんまりと笑みを浮かべながらスプーンを伸ばしモグモグと口を動かす。
そんな様子を嫌悪感に満ちた表情で眺めるもう一人の女の子。
海のように薄っすらと青みのある黒のショートヘアでツンと尖った鼻の目立つ鋭い目つき——しぐれである。
彼女の机の上には黒く光るブラックコーヒーが入ったカップがお皿にのせられている。
「別に興味ない」
しぐれは呆れたようにため息をついてから言った。
「それよりもそのパフェ気持ち悪くならない?」
「平気だけど——っていうか興味ないって嘘でしょ?」
灰色っぽい髪色の女の子は笑顔を崩さずに、ついでに手も止めずに話す。
「ある程度は知っているけど……でもそのうえでどうでもいいよ。そんなの考えても意味ないし」
「意味ないことは会話してくれないの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
灰色っぽい髪色の女の子はしぐれの顔を見る。
「——やっぱりまだ諦められない?」
唐突に発言された言葉にしぐれは一瞬動きを止めて硬直した。しかしすぐにカップを手に取って言う。
「別に」
カップを口にする。しぐれの口内に甘みを含まない純粋な苦みが流れ込む。
「ごほっ……」
しぐれは口にした途端に咳き込んだ。
その様子を見て灰色っぽい髪色の女の子は呆れたようにティッシュを差し出した。
手に取り口元を拭いてから再びしぐれはため息を零す。
「苦手なのにブラックなんて、大人ぶらないでよ。——余計に子供っぽいよ?」
「……うるさい。ダイエット中なの」
「ダイエットねぇー」
しぐれは居心地悪そうに頬杖をつき窓の先を眺める。
沈黙の空気の中、またしぐれが口をぼそりと開いた。
「正直なところ分からない」
小さくて聞き取りにくかったがそれでも灰色っぽい髪色の女の子は聞く姿勢をしている。
「私は手の届く範囲内だけは助けたいから魔法少女になった。
だから後継者とかそういうのは分からない。
結局やっていれたのは自己満だったからな気もする」
「それでも私からするとしぐれはちゃんとやれていたと思うよ。
魔力を失ったのもしぐれが魔法少女だったからなわけだし。
うん、役目を全うしたということなんだよ。
——だから心配しないでこれからのことはナッツやほかの次世代魔法少女に任せてもいいんじゃない?」
「……うん」
しぐれは納得していなさそうにうなずいた。そんな彼女に向かって灰色っぽい髪色の女の子——みとまは笑って言う。
「だから街の平和とか怪人とかはナッツとかに任せてさ、これからは普通の女の子として楽しく生きればいいんだよ」
しぐれの顔は呆然とナッツの姿を捉えていた。
窮地を助けてもらったはずなのだが、どうもしぐれの表情は戸惑いに満ちているように見えた。
声を高らかに笑うナッツに向かってしぐれは頭の痛みに耐えながらゆっくりと口を開いた。
「あなたッ、なんで……?」
「え? あ、お礼はいいよ別にさ。当然のことをしたまでだから、ふふ。あ、嬉しさのあまり抱き着くとかやめてね」
喜ばれることを確信しているようでナッツは得意げに胸を張っている。
しかし、しぐれの目は睨むようにナッツを視界に入れたまま変わらない。
しぐれが気にかけていたのは黒の野良猫のことだった。
しぐれの目から見るとどう見ても怪人の腕にはまだ猫が縛り付けられており、それだというのにいともたやすく魔法でぶっ飛ばしてしまった。
まさか猫ごと吹き飛ばしたわけではない、と心の中で思いながらも猫を守る動作が全く見えなかったのが気がかりで仕方がなかったのだ。
「あんた、何をしたの…?」
「ふふふ、ちょいと突風を生み出したのー、それも成人男性五人くらいは吹き飛ばせそうな威力のね」
女の子は楽しそうな口調をしている。
その様子にしぐれの不安はより募る。
「猫がまだ捕まっていたんだよ……?」
「あーそういうこと? うん、しゃーないよねー。だって——君のほうが危険だったもん。流石にネコよりも君の方が大切だからさ」
「……?」
「いやだから、ネコの命なんかよりも君の命の方を優先したってこと。わかる? わたしの言葉の意味」
「何それ」
「それよりも見たでしょ? このわたし、魔法少女『ナッツ』の活躍を!」
「何を言ってんのか分からない。助けられたはずの猫を見捨ててそれでいいの?」
「助けられた? 確かにそうかもしれないけどさ~」
ナッツはしぐれのそばに近寄る。
「おあら!」
しぐれの腹部を踏みつけた。
「うっ——な、なにするの!」
「ほら反撃してみな~」
ナッツは特に悪びれることもなくしぐれの腹部をぐりぐりとねじり込むように踏みつける。
「ど、どいてって!」
しぐれはもがきながらナッツの足を退けようとする。しかし力が出ないため微塵も動かすことが出来ない。
「あはは! ほらぁこんな状態でさぁ、倒れている人がいればさぁ優先して助けるべきじゃなぁい? ——違う?」
「そんなの……!」
それ以上言葉が出てこない。なにせ、確かにしぐれ自身も限界が近かったのだ。反撃も出来ないしぐれが逃げられるわけもない。あの場で殺される可能性は十分にあった。
「きれいごとばかり求めてたら世の中辛いよ? そんな君にいい言葉、ふふ、教えてあげる。名言よ名言。メモしてね。もちろん動けないだろうから頭の中でね。」
するとナッツは恋焦がれる乙女のように頬を赤く染め目をキラキラと輝かせる。
「『手の届く範囲内には手を差し伸べていたい』どう? 素敵でしょ? わたしの尊敬する魔法少女『レイニー』様の言葉」
「は……?」
しぐれの目が薄っすらと揺れる、明らかに動揺をしたようだった。
「私はね。あのネコちゃんを助けることが出来ないのよ。
ネコアレルギーでね。助けたくても無理だったの。
触ると目もつらくなるしさ。分かんない? だから要するに手の届かない場所にいたの」
「…………」
「似たようなことが以前にもあったんだよねぇー悩んだよ、もちろん。
そりゃ可哀そうだしぃ? 出来ることなら助けてあげたいさ。だけどさ無理なことは無理なのよね。
——そんなときに出会ったの。『レイニー』様に」
ナッツは杖を放り投げ、両手を組み天を仰ぐ。
「あぁー救われたわ。あの人はこう言ってくれたの。
できないことはやらなくていいのって。
あーもし今も現役だったら弟子にしてもらいたかったわ。本当に残念よね。まさか魔力切れで引退するとか。
——でも安心してあなたの意志は私が継ぐから!」
ナッツは人に言い聞かせる、というよりは自分の世界に浸ってしまっているような雰囲気で語り続ける。しぐれから愕然とした表情で見られていることも気にせずに。
「まぁ。あなたには分からないかもしれないけれどね。クフフ。
——ところでさっきから軋むような音が聞こえるような——」
「——私は、そんなつもりでその言葉を使ったわけじゃない」
しぐれは少し怒りのにじみ出た荒い口調で叫ぶ。
しかし普段から大きな声を出していないため裏返った情けない感じになってしまった。
「ふへ? どしたどした? 元気だねぇ。」
ナッツには全く効いていないようで、それどころか少し楽しそうになっている。
しぐれの話などまるで耳にしていない。
しぐれは続けて何かを言おうとしたが、頭痛でふらっと頭が揺れ口がふさがる。
「まぁいいわ。あなたもさっさと救急車呼びなさい。無理ならわたしが呼んであげてもいいけど? 救急車ーってね、あは!」
ナッツは口元に両手を当てて楽しそうに笑む。
そしてゆっくりと放り投げた杖を拾いに歩いていく。
しぐれはナッツの動きを追うように見ていた。
一瞬だけ電柱に黒く細い何かが視界に映ったような気がした。
揺れる頭をフルに動かそうと気合で目を細め電柱を凝視する。
それは細くなってはいるが電柱にひびが入るほど強力に巻きつられている。
紐のようなそれは薄く黒の霧のようなモヤのようなものを纏っている。
しかもそれは電柱からどこかに向かって伸びているようだ。
空の方。
ちょうど怪人が吹き飛ばされた方向。
しぐれは追うように空に目をやる。
——一瞬だけ石のような黒の点が見えた。そしてそれは少しずつ大きくなっているような気がする。
次の瞬間、一気に点は大きくなった。
「へ?」
ナッツの気の抜けた一言と同時に爆発物が弾けたような耳をも塞ぎたくなる衝突音が鳴り響き、辺り一面に衝撃波が渡った。
煙が舞い上がり視界が防がれてしまった。
何も見えない。
バラバラと何かが崩れる音がしばらく続く。
そしてそれが鳴りやんだ時、目の前にはグネグネと天真爛漫に動く触手を持つ怪人が勇ましく立っていた。
その触手の片方にはあの野良猫が、そしてもう片方には気絶したナッツが倒れていた。
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