元魔法少女の後日談は珈琲が飲めるようになってから。

真夜ルル

一部 元魔法少女レイニー編

第1話「普通の生活に……」

 七限目の授業の後、今週当番である教室の掃除を終えて雨谷しぐれはホッと一息ついた。


 教室にはグラウンドの見える窓辺からオレンジ色の少しまぶしい夕暮れ空が広がっており、あたたかな光がカーテンのように差し込んでいる。

 教室にある机は六列あり、しぐれの机は窓辺から最も遠い廊下側の列の最後尾にあった。


 廊下からはまだ誰かしらの声がこだまのように次々と聞こえてくるが、この教室にはもう自分以外誰もいない。


 鍵閉めの当番は今日はしぐれのようでいくつもの鍵がまとめられた鍵束が、机の上にある横長のカバンの上に雑に置いてある。

 とうのしぐれは机に腰を掛け、スマホを片手にぼんやりとしている。


 緩やかなウェーブ感のある割に綺麗に纏まったショートヘア。窓側にいたのなら気が付かないであろうくらいの若干青みがかった色をしている。


 ツンと尖った鼻に負けないくらい鋭く光る紺色の瞳、眉を潜めているから表情は相変わらず不愛想。背は低く黒板を消すのならおそらく苦戦を強いられると言うことは簡単に推測できる。


 そんなしぐれのスマホにはウサギのアイコンの誰かからの連絡が来ている。


『放課後はカフェ集合!』


 その文字が一言あった。

 それに対してしぐれは『今日はパス』と返信しようとした。送信ボタンを押すぎりぎりのところでその一歩先を行くように『パスはもう使えないよ』と着てしまった。


 カフェに誘われて一週間目、そのどれもパスを通してきた。しかしそれもそろそろ逃げるのも限界のようだった。


 しぐれはため息を零して『今行く』とだけ打ち込み、カバンを背負った。その拍子に鍵束が床に落ちた。


 高校から出て自転車置き場に向かった。朝来たときは渋滞のように混んでいた自転車も今になれば祭りの後みたいにまばらで少し寂しい。


 なんとなくしぐれはこの雰囲気が好きなのである。だからこそ授業後は少しだけ居残り、時間を稼ぐ。


 自転車に乗ってしばらく進むこと一五分でカフェが見えた。


 途中五つもある信号を乗り越えていかなくてはならないから普通は二十分くらいかかっても割と仕方がない。今回は運が良かったようで一つも信号には引っ掛からなかった。


 しかし、しぐれにとっては全然運がいいことではないのだ。

 なにせここまで学校の近くになると大抵の学生は流れるようにこのカフェに吸い込まれていく。

 そうなるとカフェの中は学校と変わらないくらい騒がしくなるのだ。


 別に騒がしいことが嫌いなわけではない。

 しかし、せめて学校終わりくらいは静かな場所にいたいという些細な願望なのである。


 だからこそしぐれはカフェに行くことを渋っていた。

 とは言え今日は行くしかない。


 しぐれはやはりため息を一つこぼして入り口の扉を開けた。


 木造中心のザ・お洒落なカフェゆえに内装は、やはりと言うべきかキラキラしている。


 机も椅子もカウンターですら木造で出来ており、そしてそれらを邪魔しすぎない程度に観葉植物が飾られている。


 壁に掛けられた大きな絵には何が描いてあるのか絵心のないしぐれには皆目見当がつかない。


 入ってすぐに店員とは違う視線を感じた。


 奥にひっそりと佇む漫画の棚、そのすぐ隣にわさわさとした観葉植物の並びを通りこした先にあるテーブル席。そこで大きく手を振っている一人の女の子を視野に捕らえた。


 しぐれはまたため息をして向かう。


「おっそ。マジでおっそ。え、掃除長ない? 残業ですかい?」


 その女の子は灰色っぽい色の艶のある綺麗な長い髪を靡かせ、丸みを帯びた鼻に穏やかな瞳でこちらにそう悪戯っぽく語りかけてきた。


「そう。サービス残業。私は優等生だから」


 しぐれはカバンを背中からぶら下げて少し気だるげな表情をし大股で歩み寄り、女の子の隣ではなく正面側の席に座った。


「だれかと違ってね」


「——っだから、この前は本当に忘れてたんだって! 掃除当番をする気はあったんだけど、テストのせいでうっかりしてたの!」


「あんたのとこの一人が私んとこ来て、『あいつ逃げたから呼び戻してくれない?』って言われたが?」


「逃げてないって!。どんだけ私人望ないんよ。——とりあえず、お疲れさま。なんか奢るよ? どう?」


「……じゃあなんかおすすめのカフェオレ」


 しぐれはさらりと話題をすり替えられてしまったことに気づいていたがわざわざ指摘してあげる気にもならなかった。

 余計な体力は使うべきではない。


「はい了解——あ、食べ物は自分で買ってね~」


「いらないから」


「え、ダイエット?」


「——さぁね」


 とりあえずしぐれはスマホを取り出して弄り始めた。


 そんなしぐれに対して特に気にする素振りも見せずに灰色っぽい髪色の女の子が口を開く。


 彼女も彼女でしぐれのことを見て話しているというわけでもないように見える。


 それでもしぐれは彼女の話に頷いたり、首を振ったりして反応している。これが二人の会話の普通なのだろう。


 多くの生徒がいるにぎやかな空間が苦手なしぐれだったが特に気にすることもなく店員さんが注文を運びに来るまでの間、灰色っぽい髪色の女の子のする他愛もないありがちな話を聞いている。


「最近は治安いいよね。前はどこに行っても怪人がいたのに」


「うん……」


 しぐれは頷いてはいるものの、どうにも聞き流しているように感じるほど素っ気なく興味なさげに返ししている。


「ほら、——魔法少女の活躍もよく耳にするし」


 灰色っぽい髪色の女の子はしぐれの表情を観察しながら、少し試すように言った。


 しかし、相変わらずしぐれは不愛想な顔のまま「ね……」と相槌を打つ。


「ほら、今をトキメク魔法少女『ナッツ』とかさ。その影響がでかいのかねぇ」


「そうなんじゃない?」


「魔法少女『ナッツ』。最近ここらへんで活動している新人魔法少女。魔力量も魔法技術も才能があるのだけれど、高飛車な性格が少し傷だったり……。かつての『レイニー』には遠く及ばないけれど、それに近い才能があるとかないとか」


「へぇーすごいね」


「……本当に思ってる?」


「——ほんと」


「あ、そうだ。そういえば最近の仕入れたちょっとした怪談話あるんだけど聞く? 聞くよね」


「怪談?」


「そうそう。かの有名な引退したはずの魔法使い『ミセス』の亡霊を見たっていう噂」


「そんなのありえないわ」


 しぐれは途端に若干口調が強くなった。


「魔力が尽きた『ミセス』はもう魔法を使うことが出来ないのよ。見間違いかデマに決まっているわ」


「あ——ごめん。まぁそりゃそうだよね」


 すると灰色っぽい髪色の女の子は少し申し訳なさそうに言うと目を伏せた。

 そんなこんなで数分が経ちようやくカフェオレが到着した。


 だがどうにもすぐれの表情はこわばっていた。


 しぐれはカフェオレと言えば質素なミルクとコーヒーが混ざった飲み物だと考えていたのだが、目の前に運ばれた物は明らかに飲み物と言うよりもパフェだった。


 生クリームがソフトクリームのようにどしりと構えており、可愛らしくサクランボなんかを乗せている。


 しかし見た目が可愛らしくともその実態は全く可愛くないことをしぐれは見た瞬間に理解していた。

 絶句した表情をしてしぐれは言った。


「これ……あんた頼んだの?」


「うん。今日までのパスの滞納を考えればこれくらいが妥当かなって」


「妥当なわけないじゃん。何考えてんのよ」


「まぁいいじゃんダイエットのし過ぎは体に毒よ」


 確かにし過ぎは毒かもしれない。しかししぐれにしてみればこの生クリームたっぷりのカフェオレの方が毒なのではないか、と感じるのだった。


「まぁまぁ騙されたと思って食ってみーよ」


「はぁ……じゃあ一口だけ」


 しぐれは渋々とスプーンを手に取り、生クリームを口に運んだ。その足取りは意外と端的だった。


「ほら食べたかったんでしょ? ……どう?」


「…………別に」


 そう言うとしぐれはスプーンを置き、再びスマホに視線をもどしたのだった。


「ふーん」


 そんな気だるげな雰囲気を見せるしぐれに対して灰色っぽい髪色の女の子はどこか何とも言えない顔を浮かべる。しかしすぐに笑顔になり気楽そうにスプーンを口にする。


「そういえばこの前のテストどうだった?」


「——特に」


「てことは赤点?」


「悪いけど赤点の取り方なんて知らないわ」


「え、じゃあ教えてあげようか? ——手始めに今度のテスト期間は私んちに集合ね」


「パスするわ」


「何よーもう」


 冗談混じった会話を交わしたのだが相変わらずしぐれのポーカーフェイスは依然と変わらない。

 灰色っぽい髪色の女の子はそんなしぐれをじっと見ていた。


 すると、ハッと何か思いついたように眼をパッと光らせる。そしてテーブルをドン、と鳴らし顔を急接近させ言い出す。


 ——思いもよらぬ一言を。


「染髪に行かん?」


 その言葉で不愛想だったしぐれの表情は驚きに侵食されたかのように眼を見開いてポカーンとした間抜けな顔に変化していた。


「は? 染髪って……髪染めに行くってこと?」


「うんそうそう。気分転換っていうか、イメチェンってやつぅ!」


「——さすがにそれはパス」


「いいじゃん行こ行こ!」


 灰色っぽい髪色をした女の子は気持ちに体が動かされると言わんばかりに立ち上がり、しぐれの袖口を引っ張り始めた。


「え、ちょっとまだ食べて——」


 露骨に嫌悪を示すしぐれのことなど気にも留めない様子だ。


 一向に諦めない女の子にとうとうしぐれは抵抗を辞めて引っ張られるように連れていかれた。食べ残しのカフェオレを残して。

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