住人

 草木をかき分け山を下ると、やがて錆びついたフェンスが見えてきた。

 僕らはフェンスをよじ登り、色褪せた街へと足を踏み入れた。


 濃い霧が立ち込める中、ひび割れたアスファルトの上をひたすら進む。

 嫌な予感はするものの、不思議と気配の様なものは感じない。

 ひょっとすると、あまりにも〝この世ならざる者〟達の数が多いせいで、感覚が麻痺しているのかもしれない。

 無理もない。

 ここは、彼らの街。

 異端なのは僕ら二人だ。


 しばらくすると、頭上から、

 

「ギャハハハハ!」

「ギャハハハハ!」

「ギャハハハハ!」


 ——バサバサッ、という羽ばたきの音と共に、空を旋回する鴉達の笑い声が聴こえた。

 耳触りではあるものの、特に危険な気配はしない——などと思った、矢先のことだった。


「わっ」

「うおっ」


 霧の中からヌウッと、巨漢の怪人が現れた。

 岩人間、とでも呼べばいいのだろうか。

 全身がゴツゴツとした岩石でできており、体の半分ほどがこけむしている。


「……」


 慌てて立ち止まった僕と蒼梧を一瞥すると、岩人間は無言のまま、僕らの傍らを通り、進行方向の霧の中へと消えていった。


「……岩だったね」

「岩だったな」

「苔が生えてたね」

「生えてたな」


 僕らが呆然と立ち尽くしていると、ビュウ、と一陣の風が吹いた。

 霧が晴れ、辺りの様子が露わになる。

 

 往来の真ん中では、薄汚れた白い体毛に覆われた雪男のような獣が、仰向けになって寝転んでいた。

 胸が上下しているので、死んではいない。

 周囲に酒瓶が何本も転がっているところから推察するに、どうやら酔いつぶれているようだ。


 その隣を、ボロボロの服を着た腐乱死体が数体、よろよろと通り過ぎる。

 皆、口々に「あー……」だの「おぉ……」だの呻き声をあげている。

 片足や腸を引きずりながら歩く様は、まさにホラー映画に出てくるゾンビそのものだ。

 

 道の端では建物の壁を背にして、頭が黒山羊の人物が胡坐あぐらをかいていた。

 黒山羊頭は体に布を纏っており、水タバコシーシャを気持ちよさそうに吸っていた。

 吐き出した煙が無数の蝶の形となって、赤い空へと昇っていく。

 

 山羊から少し離れたところでは、真っ赤な衣裳チュチュに身を包んだバレリーナが踊っていた。

 その顔は、目も鼻も口もないのっぺらぼうだ。

 休むことなく片足でくるくると回転を続けているが、よく見ればその足は地面から数十センチ浮かんでいた。


 それだけではない。

 割れた窓から外を無表情に眺める、色彩を失ったセピア調の人々、

 首の無い馬に重そうな荷物を運ばせている、和装の骸骨、

 建物の屋上で話しこんでいる、防毒マスクをつけた二人組の天使——……


「おい、お兄ちゃん達」


 背後から声をかけられ、僕はぎょっとして振り向いた。

 そこに立っていたのは、小さなぬいぐるみのクマだった。

 体中ツギハギだらけで、破れたお腹からは、綿わたの代わりにはらわたがはみ出している。


「ふうん、本物の人間か……見たところ、亡霊じゃねえな」


 体の周りを飛び交うハエを手で払いながら、クマが言う。

 外見に似合わない、中年男のにやけた声だ。


「山の方から来たってことは、おおかた別の世界から迷い込んだ、ってとこだろ?違うか?」

「だったら何だよ?」


 蒼梧が睨みをきかせると、


「まあまあ、そう喧嘩腰になるなって」


 へっへっへっ、と胡散臭く笑いながら、クマは続けた。


「もし良ければ、この俺がお兄ちゃん達のガイドになってやろう、ってんだ。な?悪い話じゃねえだろ?ええ?」

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