儀国の膿 ④

 尚食局にほど近い人目につかぬ場所。

 持っていた明かりも消し、闇に紛れるように明凜と令劉は身を潜めていた。


「尚食局……蘭貴妃に毒を盛った者を突き止めるつもりなのか?」


 令劉との話の前に、やるべきことがあると言って先に尚食局へと向かった。

 なんとか片付けが終わる前には到着できたようで、尚食局を後にする者たちの中から膳を運んできた宮女を探していると耳元で令劉にヒソッと問いかけられる。

 翠玉が毒を盛られたことは令劉の耳にも入っているのか、明凜の目的をすぐに察したようだ。

 だが、声を潜めてくれるのは助かるが代わりに耳元へ直接声を届けられるのは困る。

 低いが野太くなく、天女を思わせるような流麗な声は耳に心地よく警戒心が解かされてしまいそうだ。


(せめて耳に直接は止めて欲しいわ。吐息もかかるし……)


 明凜は大きくなりかけた鼓動を抑えるため、軽く息を吐いてから平静を装って答えた。


「はい。蘭貴妃を一方的に恨んでいる方は多そうですが、毒を盛るなど実行までするような方はしっかり把握しておきませんと」

「それはそうだが……」


 言葉を途中で止めた令劉は、下ろされている明凜の髪をかき寄せる様に指先で耳元を撫でる。

 その妖しい指づかいに、明凜はビクリと小さく震えた。


「お前が私の妻となってくれるのなら、すぐにでもこの国を滅ぼしてやれるのだが?」


 蘭貴妃を害する者の心配などする必要もなくなるのだと甘く囁かれる。

 誘惑する声に頭の奥が痺れるような感覚がした。

 令劉の声には催眠の効果でもあるのだろうか?

 令劉という芳しい花に吸い寄せられる蝶の様に、彼の胸へしなだれかかりたい感覚に陥りそうになる。

 だが、明凜は堅固な意志で誘惑をはねのけた。


「それを鵜呑みにして信じるほど私は令劉様のことを知りませんので」

「それを知ってもらいたいので会いたかったのだが……」


 誘惑をしっかりとお断りする明凜に、令劉は不満そうに呟く。

 その声はふてくされているようにも聞こえ、子供か!? と少々呆れた。

 とはいえ、知ろうとせず避けるという選択をした明凜としては少々気まずい話題なため、あまり突っ込まないことにする。


「それよりも静かにしてください。目的の宮女が出てきました」


 暗に黙れと伝え、丁度出てきた宮女の姿を追う。

 翠玉の膳を運んできた宮女は周囲の視線を気にしながら他の者たちとは別の方向へ歩いて行く。


(当たりね)


 元々確信はあったが、あくまで推察だったため確証はなかった。

 だが、宮女の様子や行動は推察を裏付けるものとなる。

 令劉と共に宮女の後を追い、彼女がある宮に入っていくのを見届けた。


「ここは……」

玻璃宮はりきゅうだな。西昭儀せいしょうぎの宮だ」


 令劉の言葉に頷く。

 記憶していた見取り図とも一致していたため間違いないだろう。

 これで確定ではあるが、出来るならばもっと確かな確証を得たい。


「……なんとか会話を聞けないかしら?」

「聞かせてやろうか?」

「え?」


 答えを求めたわけではない呟きに、言葉を返され単純に驚く。

 しかも令劉は『聞かせてやる』と言ったか。

 どうやって? と疑問に思うのは当然だろう。


「私に任せろ」

「え? わっ!」


 驚き見上げた顔が男らしく自信満々な笑みに変わったかと思うと、明凜は令劉の腕の中にいた。

 令劉の引き締まった身体と体温を感じドキリとする。

 だが、直後の浮遊感に悲鳴を上げそうになった。


「っ!」

(と、跳んでいる!?)


 抱きかかえられ、人には到底出来ないほどの跳躍をする令劉に思わずしがみつく。

 普段は屋根の上も飛び渡って行く明凜だが、自分の意思とは関係のない跳躍には恐怖を感じた。

 そのまま一足飛びに玻璃宮へ近づくと、令劉は明凜を腕の中に閉じ込めたまま窓の一つに身を寄せる。


「もう……離してくださってもいいのですよ?」

「このままの方が見つからぬだろう?」


 緊張するので離して欲しいと願うが、明凜の思いを知ってか知らずか令劉は離してくれなかった。

 それどころか、もっと身を隠せと抱きしめられる。

 早く大きくなる鼓動の音が耳の奥から聞こえ、房の中の声が聞こえづらくなった。


(うぅ……本当に、いろんな意味で困らせてくれる人だわ、この方は!)


 なんとか呼吸を整え自分を落ち着かせていると、房の中から「ご苦労様」と若い女性の声が聞こえてくる。

 西昭儀の声と判断し、聞き耳を立てた。


「ちゃんと毒の入っていた容器は処理したのよね?」

「はい。指示通り光が反射しやすい金属片を付けて指定の場所へ置いてきました。……明日にはちゃんと鴉が持って行ってくれるのですよね?」


 聞こえてくる会話で、証拠隠滅には鴉の習性を利用したのかと納得する。

 光り物を集める習性のある鴉ならば、その容器も巣に持ち帰るだろう。

 そうなってしまえば誰が容器を持っていたのか確かめようがなくなる。


「ちゃんとそう訓練したのだから問題ないわ。報酬は、幼なじみの武官と婚姻するために年季明けを早めて欲しいのだったかしら?」

「は、はい」

「いいわ。お父様に頼んで年季を早めてもらうようにしてあげる」

「あ、ありがとうございます!」


(ふぅん……今回は利害の一致ということなのかしら。何にせよ、人に毒を盛っておきながら自分は幸せになろうなんて卑怯者に変わりはないわね)


 下女の地位にあるような宮女には不自由なことの方が多い。

 このようなことでもしなければ年季明けを待つしか宮城を出て婚姻など出来るわけがない。

 それを思えば罪を犯さざるを得ないこともあると分かってはいるが、やはり罪は罪だ。


「……蘭貴妃に毒を盛るよう指示したのは西昭儀で間違いないようだな」

「そう、ですね」


 低く冷めた声は大長秋としてのものだろうか。

 チラリと見た暗い深藍の瞳は、人を裁く者の目をしていた。

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