儀国の膿 ①
「ねえ聞いた? 先日陛下のお手つきになった
「わぁ、また? 前は
洗濯物を受け取りに来た下女たちの噂話が耳に届く。
翠玉と共にこの儀国後宮の紫水宮に来てはや一週間となるが、この手の噂話はどこにいても聞こえてきた。
儀国そのものが腐りきっていると思っていたが、やはり後宮も例外ではなかったということだろう。
(いいえ、むしろ後宮だからというべきなのかしら?)
皇帝の子を産めばその子には皇位継承権が与えられる。
その母となれば儀国の女の頂点に立てるのだ。
権力欲の強い者なら
例え罪のない者の命を足蹴にしたとしても。
(でもきっと、他の国でも多かれ少なかれこのような権力争いはあるのよね……)
多少の諍いはあれど、人死にが起こるようなことはあまりなかった蘭国の後宮の方が珍しいのだ。
蘭国は皇后がとても出来た人で、皇帝の信頼も厚く、何なら宮女たちからの人気もすこぶる高い。
明凜の母も『あの方以外が皇后であったのなら早々に暗殺していたかもしれないわ』などと
「そういえばここの貴妃様はもう洗礼を受けたのかしら?
「
話題がこの宮の主人、蘭貴妃こと翠玉の話になり聞き耳を大きくする。
(翠玉を迎え入れるために貴妃の座を開けたと聞いていたけれど、案の定多くの恨みを買ってしまっていそうね)
本来ならばそのような軋轢も無くしておくのが儀国の仕事だ。
完全には無理でも、緩和するよう努めるのが通常。
だが、蘭国を蔑ろにしている現状を見ればそこまでしてくれていないのは明らかだった。
(洗礼というのがなんなのか……まあ、碌なことではないわね)
冷めた目をしながら翠玉の本日の
近くの房に侍女がいるとは思わなかったのだろう。
明凜としては後宮内の状況も知れるし捨て置こうとしたのだが、共にいた香鈴は違ったようだ。
「あなたたち。噂話は良いけれど、場所は考えた方が良いですよ?」
淡々とした口調の香鈴は、つり上がり気味な目をスッと細め下女たちに忠告する。
少し年かさで飾り気もない香鈴だが、顔のつくりは美しいのでそのような表情をされると普通に怖い。
下女たちは「ひっ」と声を上げてから謝罪の言葉を残しそそくさと去って行った。
「全く、妃の宮のそばでするような噂話ではないでしょうに……」
呆れとも不服とも取れるため息を吐き、香鈴は装飾品が入った箱を持ち足を進める。
そのまましばらく無言でついて行ったが、途中でポツリと呟きが明凜の耳に届いた。
「……蘭貴妃が、陛下に殺されるということはないですからね」
「え?」
突然の呟きに何のことを言っているのか分からず聞き返すと、香鈴はチラリと明凜に視線を向け話す。
「先ほどの下女の噂話です。陛下は気性が荒いお方なのでごくたまに側室を手打ちにしますが、少なくとも高位の妃にそのようなことは致しません。……硬い表情をしているので、もしかしたら不安に思っているのではないかと思いましたが……早とちりでしたか?」
「あ、いえ。確かに不安に思いましたから……ありがとうございます」
礼を返し、やはり香鈴は意外と優しい女性のようだと思った。
明凜に厳しいのは蘭国出身だからと見下しているせいかと思ったが、この一週間の様子を見る限り他の侍女にも厳しい。
蘭の公主である翠玉の侍女頭が、他国を見下すような人物でないことを確信し、明凜は安堵した。
安堵したついでに、もう一つの不安を聞いてみる。
「あと、もう一つ疑問なのですけれど……あの者たちが言っていた“洗礼”とは何でしょう? あまり良いことのようには聞こえなかったのですが」
「……」
明凜の問いかけに香鈴は無言になる。
心なしか、普段から硬い表情が更に硬くなったように見えた。
「……そう、ですね。警戒はしておくべきでしょう」
「……」
曖昧な言葉で濁され、今度は明凜が無言になる。
確かなことは言えないのか、心当たりはあれど何が起こるのかは分からないということなのか。
何にせよ、始めに思った通り碌なことではないというのは分かった。
(後宮で起こりそうな良くないことというといくつか想像は出来るけれど……)
これは警戒と対策を打っておくべきだな、と明凜は心に書き留めておいた。
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