ロードオブロードロウドウ

昼ヶS

第1話

 魔王が倒され、人間界と魔界の長年にわたる争いが、異世界人の密かな協力もあり終わったのは今から数十年前。


 平和になるとすぐに、人にも魔人にもいる利に聡い者が、お互いに相手側の領域に出向き、そこで自国にとって市場価値の高い貴重品や嗜好品の買い付けを始めた。やがてそれらは年月を経て、いつしか貴重品だけでなく、日用品や食料など生活必需品をも大量に輸出入しあう大規模な貿易へと発展していった。


 人や物の往来は自然と道を作った。


 人や荷車が通れば、足跡や轍ができる。後に続く者は自然とその跡を辿るようになる。更にその跡に続く者が幾人もいれば、やがてそこには雑草すら生えなくなり、土は踏み固められ、往来に適した『道』となる。


 それらの自然発生した『道』は人魔界全土に張り巡らされ、ありとあらゆる集落や村、都市が繋がれた。


 しかし『道』では、増え続ける人口と貿易量の交通需要を満たす事は出来ず、その上明確な責任者が不明なため管理や整備もされていない事がほとんどであった。


 その為、当時の人間界の王は主立つ魔人の長達に、人間界にも魔界にも隔たりなく存在する『道』を管理する組織を結成しようと呼びかけた。


 そうして『街道保安局』が創設されたのは今から十五年前の事である。


 彼らの仕事が及んだ範囲は人魔界全土からすれば極僅かにすぎなかった。


  


「まずい……流石に死ぬかも」


 人気のない間道を歩きながらアオイはそう独りごちた。路銀が尽きてからもう三日、その間何も食べていない。


 普段はそう感じなかったのに、飢えた体では背中に背負った弦楽器が重く、うっとうしく感じられる。


「少し、ほんの少しだけ……休む……」


 自分にそう言い聞かせながらアオイは道路の端に広がる、恐らく狭い道で荷車同士が鉢合わせした時の為の退避所であろう小さな平地にしゃがみこんだ。一度座れば立てそうにもないが、もう歩く気力も体力もないアオイには、こうする事しかできなかった。


「もっと……お金あるうちに……美味しい物食べておくべきだったな……ん?」


 アオイはさっき自分が歩いてきた方向から荷車が来ているのに気付いた。


 そして、気付くや否や近くにあった茂みに素早く隠れた。飢えた体は生存本能が無理やり動かした。


 アオイは両親から、間道で出会う人間には特に注意するように言われていた。往来の少なく、道路状況も悪い間道を通るのは、後ろめたい事をしている人が多い。そういう人でなくとも、他に人目がない状況では、人の心にどんな魔が差すか分からないから、と。


 幼い頃に友達とやった、かくれんぼの何倍もの緊張感を持って、アオイはやって来る荷車、それを牽く者から隠れている。


 荷車が近づいて来ると、茂み越しでも、どのような人物が牽いているのか徐々に分かるようになった。


 街道保安局設計の標準荷車を牽いているのは、派手な赤色の上着を着た商人風の、少年の様な見た目のエルフ族だった。見た目が少年といっても、エルフ族は寿命や成長過程が人間のそれとは全く違う。実際の年齢は本人に聞いてみなければ分からない。本人が覚えていればの話ではあるが。


 そのエルフ族は、開いているのかどうか分からない細い糸の様な目で、熱心に足元を見ながらアオイが隠れている地点を通過――せず、アオイがさっきまでしゃがみこんでいた待避所に荷車を止めた。どうやらここで休憩をするつもりらしかった。


 アオイにとって厄介な事になったが、走って逃げる体力はない。おとなしくこのままエルフ族が去るのを待つしかなかった。


 アオイが監視を続ける中、エルフ族は何かを感じたのか辺りを見回し始めた。自分が隠れているのがバレたかと一瞬アオイは思ったが、 エルフ族はその後、何事も無かったかのように、アオイが潜んでいる茂みの近くにある、二つある切り株のうちの一つに腰を下ろした。そして、やけに大きな独り言を呟きながら、背負っていた荷袋から取り出した物を、空いたもう一つの切り株の上に置き始めた。


「あー丁度いいところに休憩しやすい場所があってよかったなー。今日は商品がよく売れてこいつが重くて仕方なかったんだよねー」


 そう言い、エルフ族はぎっしりと中身の詰まった革製の巾着袋を切り株の上に置いた。置いた時にした金属製の音から、あれが財布であろう事はアオイにも容易に分かった。


 エルフ族はさらに独り言を続けながら、今度は弁当を広げ始めた。


 「少し早いけどお昼にしようかなー。朝出発する時に買った新鮮な果物もあるんだよねー。楽しみだなー」


 エルフ族の言う通り、切り株の上にいくつか置かれた赤い果実はどれもみずみずしく、艶があった。飢えたアオイにとって、手を伸ばせば届く範囲にあるその艶のある物体は、とても魅惑的だった。


 弁当を広げ終わったエルフ族は、履物に不具合があったのか足元をいじり始めた。


 今ならバレない。そう思った瞬間アオイの心に魔が差した。


 アオイは音を立てないように慎重に茂みの中から手を伸ばし始めた。エルフ族の方はまだ足元にかかりっきりになっている。手を伸ばしながら、アオイは心の中で謝罪した。まずは商人らしきエルフ族に。その次に愛する両親に。


 両親に謝罪した時に手は、もう少しで果実を掴める位置にまで伸びていたが、アオイはその手を止めた。このまま盗みを働けばきっと両親が悲しむ。それだけではなく、この見知らぬエルフ族も、楽しみにしていた昼食が無くなって悲しむだろうという思いがよぎったからである。


 このまま何もせず隠れて、エルフ族が去った後その辺の草でも食べよう。そう思い、伸ばした手をアオイは引っ込めようとしたが、何故か手が動かなかった。


「全部見てたよ」


 頭の上から声がした。アオイが見上げるとエルフ族がいつの間にか立ち上がってこちらを見下ろしていた。動かなかった腕もよく見れば掴まれている。振り払う間もなく、アオイは強い力で強引に茂みから引っ張り出された。


「ひぃ!許して下さい!ほんの出来心だったんです!もうしませんから見逃してください!」


 跪き、涙目になりながらアオイは許しを請うた。


 それをエルフ族は黙って見ている。その僅かに開いた瞼から、エルフ族特有の蒼い瞳が冷たく覗いていた。


「……そうだ!良かったら、私吟遊詩人なんでお好きなのを一曲!いえ!何曲でも歌わせていただきますから、それでどうかお許しください!」


 慌ててアオイは背中に背負った弦楽器を構え、その値段相応の安っぽい音を奏でながらそう提案した。


「ふぅん。吟遊詩人ね……」


「はい!流しでやらせてもらっています!」


 ようやくエルフ族が反応を示し、自分の提案に手ごたえを感じたアオイは、とりあえず自分の知っている曲を片っ端から歌おうとした。しかし、歌いだしは腹の虫の方が早かった。 


 腹の虫の歌声は中古の楽器で奏でている音楽よりも高らかに、辺り一面に響いた。確実にエルフ族の耳にも届いたであろう。アオイはそれを誤魔化す為に、愛想笑いをする事しかできなかった。


「お腹がすいているの?」


「ああ!いえ、そんな!お気になさらず!体重が気になりだしたのでちょっと食事の量を減らしているだけですので!」


 折角作ったいい流れを壊さないように、大した事ではないとアオイは演奏を再開する。エルフ族は演奏に興味がないのか荷袋の中を漁り始めた。


 そのエルフ族の様子を見て、アオイは、この後窃盗犯として衛兵所に連れていかれ牢屋に入れられるのだろうと確信した。そして、そこから連想して始まった妄想は、刑期が終わり出所しても罪を犯した者の歌など誰も聞くわけがなく、そのまま野垂れ死んでいくという所で、目の前に差し出された、艶のある丸い物体によって中断された。


「はいこれ、まだあったからあげるよ」


 それは茂みの中で見た魅惑的な果実と同じ物であった。


 アオイは素早くそれを受け取り、一口、口に入れた。程よい酸味と甘味が口いっぱいに広がる。


「いいんですか!?頂いても!?」


「もう食べてるけどね……」


 アオイは与えられた果実をあっという間に完食し、芯までしゃぶりつくした。完食したアオイは申し訳なさそうにエルフ族の方を見ながらこう言った。


「……もう一つ頂いてもいいですか?」


 それを聞いてエルフ族は高らかに笑った。そしてひとしきり笑い終わった後、一つだけでなく、三つ、渡してきた。


 それらをすべて食べ終え、ようやく人心地ついたアオイにエルフ族は名前を尋ねてきた。


「……アオイです。さっきも話しましたけど、流しの吟遊詩人をやってます……そちらは……?」


「僕はテクト。種族はエルフ族……と言っても人間とのハーフだけどね。仕事は見ての通りさ」


 尖った耳を持つテクトはそう言い、商人がよく着ていそうな派手な上着を示す。やはり最初に思った通り商人なのだろうとアオイは思った。


「見たところ……失礼ながら、お金がなさそうに見えるけど。僕に雇われてみない?日給で銅貨五枚に宿代はこちら持ち。どう?悪くないでしょ」


 単純作業の日雇い労働者の日給は最低でも銅貨七枚である。しかし、宿代の相場は通常三枚程のため、そこを加味すると悪くない条件だった。何より金欠で死にかけているアオイに断るという選択肢はなかった。


「やります!」


 反射的にアオイはその提案を受けた。肝心の仕事内容を聞かず。


 アオイは相手の格好から、売り子か若しくは客引きの為に演奏するのだろうと勝手に思いこんでいた。


 テクトはその答えに満足したように頷いた。そして、アオイに仕事を頼んだ。


「じゃあ、これ牽いてね」


 テクトが示した『これ』とは、先程までエルフ族自身が牽いていた、標準荷車であった。


 標準荷車とは、既に敷設されている街道の交通に『一番適する』とされている、街道保安局設計の四輪の荷車である。街道保安局が設計してからずっと、使用を強く推奨しているが、まったく市井には浸透していない。実際にアオイが吟遊詩人として旅を始めて数か月程経っているが、その間に見かけた回数は今も含めて、僅かに片手の指を折るだけであった。


 何故浸透しないかというと、アオイの主な情報収集の場である酒場で酔っ払いから得た情報では、第一に、荷車を買い替える周期が基本的に長いからという理由。第二に、敷設された街道を基準に設計されている為、そうでない道が大半を占める現状使いにくい事が多いという理由。第三に、純粋に値段が高いという理由。以上三点の理由から、街道では今も従来の雑多な形の荷車や馬車が行き交っている。


 アオイは荷車に乗せられた荷物を見た。満載とはいかない量ではあったが、防水布に覆われた商品であろう荷物が荷台に積載されていた。


「……馬はどこに?」 


 標準荷車は積載量に応じて馬車にもなり、馬に牽かせられる。今の荷台に乗った荷物の量は馬に牽かせるべき量であった。しかし、近くに馬らしきものがいない。


「いないけど?」


 テクトの顔が何を言っているんだと言いたげな表情になった。そう言われアオイはここに来る時にテクトが自分で荷車を牽いていた光景を思い出した。


「という事は……私がこれを……?」


「うん。少し重いけど頑張ってね」


 人間を片手で茂みから引っ張り出せる膂力を持ったエルフ族はそう言った。

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