第13話:喪失と絶望のなかで
俺はなにも状況がわからないなかでとにかく逃げた。
あの豚の巨人と古城に群がるゾンビはどんな関係なんだろうか? もうなにがなんだかわからない。この数ヶ月一緒に探索してきたスーちゃんを失った事実も、いまは全然実感がわかなかった。
背負っている荷物が軽い。手を背中に回すと、リュックが裂けていることにいまになって気がついた。
豚の巨人に襲われたときに裂けたのかもしれない。
「クソッ! なんなんだよマジでッ!」
リュックに食料が残っているか確認する時間も惜しい。いまはとにかく古城から離れたかった。
ふいに周囲が赤白く明るくなった。走っている自分の影がくっきりと地面に浮かぶ。水たまりだと思っていた地面のぬかるみは血だまりのように赤く、スライディングして汚した服もべっとりと赤く染まっていた。
あの赤い光によって赤く見えていたのではなく、もともとこの世界は血で染まっていたのだ。それはまるであのゾンビと化した亡者たちの乾くことのない血のようで、俺は吐き気が込み上げてきた。
走りながら振り返ると、古城の天辺が直視できないほどの光を放っていた。
次の瞬間、光は爆ぜるように膨れ上がり、すぐに強烈な風圧が押し寄せてきた。俺は体を支えることもできずに爆風に煽られるがまま吹き飛ばされた。
歯を食いしばることしかできず、頭を守りながら跳ねるボールのように何回転も転がされる。
ようやく転がる体が止まって目を開けると、辺りは真っ暗になっていた。爛々と輝いていたあの赤い光はどこにもなく、目を凝らさなければ見えないほどに薄暗い世界が広がっている。
俺はとりあえずワーちゃんとのパスがまだ繋がっていることに安堵した。
だんだんと目が慣れてきたけど、それでも周囲を見渡すのがやっとなほど暗い。周期的に鳴っていた重低音も聞こえなくなって、静寂がかえって不気味だった。
俺は耳を澄ましながら腰に差したロングナイフを抜いた。ゾンビが近づいてくればさすがに足音でわかるだろうけど、ワーちゃんが合流するまでは油断できない。
そのとき、カチャンッと音を立ててなにかが上から落ちてきた。それは飛ばしていたはずの記録用ドローンだった。上を見上げようとすると、羽音とともに目の前が真っ暗になった。急に上からふわりと現れたその存在を、俺は一瞬理解することができなかった。
そのモンスターは背中に大きなコウモリのような羽を持ち、隆起した筋肉は黒い体毛に覆われていた。異常に発達した両腕は人の頭を簡単に砕いてしまいそうなほど太く、醜く歪んだ口元からはアンバランスなほど大きな牙が顔を覗かせている。
その顔つきに似ているモンスターをモンスター図鑑で見た覚えがあった。
ガーゴイルだ。夜行性で群れで行動する習性がある体の小さなモンスターだと書いてあった気がする。
しかし目の前にいるガーゴルは群れをなしておらず、その体躯は3メートルを超えている。
これはさすがに終わった。俺は見上げてすぐに死を悟った。
圧倒的な存在を前に恐怖よりさきに諦めがきた。
こんな化け物到底生身の人間が敵う相手じゃない──そう思った矢先、ガーゴイルが仰け反るように暴れだした。ガーゴイルの背中にワーちゃんが飛び乗って噛みついているのが見えた。
ワーちゃん……! お前神かよ!
俺は踏み潰されないように慌てて距離を取った。
巨大なモンスター同士がのたうち回るように攻防を繰り広げる。片方の翼がもげて血飛沫が飛び、ガーゴイルが悲鳴のような雄叫びを上げた。
頼むワーちゃん! そのまま倒せ!
俺はただただそう祈ることしかできなかった。
祈りも虚しく、ワーちゃんの首元にガーゴイルの牙が突き刺さった。溢れ出した血がボタボタと地面に滴り落ち、だんだんとワーちゃんとのパスの繋がりが弱くなっていくのを感じた。
気づけば俺はワーちゃんに背を向けて走り出していた。
──人工石から生まれる
誰かがそんなことを言っていた。でも俺は違うと思っていた。ワーちゃんもスーちゃんも俺にとっては大切な仲間であり、
最近は探索を終えて家に帰って眠るときに、ワーちゃんとスーちゃんがいないことに違和感を覚える日もあったくらいには愛着だって湧いていた。
けど結局のところ、俺も同じだったんだろう。
ワーちゃんの命より自分の命を優先してしまったのだから。
俺はなんて無力で最低なんだろうか。
無様に走りながら、ワーちゃんとのパスが切れるのを感じた。背後から飛べなくなったガーゴイルが追いかけてくる地響きにも似た足音が聞こえてくる。
俺はここで死ぬのか。そう思いながらも走る足は止められなかった。
ここで死んだらワーちゃんやスーちゃんの死を無駄にすることになる。瀕死のワーちゃんに背を向けて逃げた意味を失ってしまう。そんな最低な終わり方だけは絶対にしたくない。
枯れ木を避けながら逃げる。すぐ後ろで枯れ木が薙ぎ倒される音がした。
なにかないのか!? なにか逃げられる場所は!?
焦燥感に囚われるなか、ふいに少しさきの地面に一段と暗くなっている場所が見えた。それが横に細長く走っている地割れの跡だと理解する前に、俺はそこに滑り込むべくスライディングしていた。
ガーゴイルの横に薙いだ爪がギリギリのところで宙を払う。
地割れは深くまで続いていて、両手両足が届くほどの狭さでも壁が濡れていてジリジリと滑り落ちていった。見上げれば数メートル上でガーゴイルが恨めしく地割れを覗き込んでいる。
どうやらデカい図体じゃ隙間に入れず、手も届かないらしい。
してやった! 生き延びてやったぞ!
「人間舐めんなッ! 悔しかったらここまで来てみろクソ野郎ッ!」
一矢報いた気分でそう叫ぶと、ガーゴイルが大きな口を開けた。喉の奥が明るくなってチリチリとした赤い炎が見えたとき、俺は必死に体を支えていた力を緩めた。
「うっそだろお前──ッ!」
まるでウォータースライダーで滑るかのようなスピードで落下していく。地上に戻れるかはわからない。でもここまできてあいつに殺されるわけにはいかない。
頭上から赤から青色に変わった炎が迫ってくる。
しかしこれ以上落下スピードを上げたら普通に転落死するかもしれない。そう思ったのも束の間、突然押さえていた壁の感触が消えた。
「──ッ」
頭上に迫った炎が壁を失い広がり消えていくのを眺めながら、支えを失った体は背後に向かって自由落下をはじめた。
広い空間に出たらしい。
次の瞬間には鈍い衝撃とともに水没していて、俺は真っ暗でまるでなにも見えない水面をもがくように必死に泳いだ。
どれくらい泳いでいたのかはわからない。もしかしたら同じところをグルグルと泳いでいただけかもしれない。ただただ必死で、足が着くところまで泳ぎ切った俺は生き延びた安堵感から地底湖から出るとその場に倒れ込んだ。
もう指一本動かせる気がしない。
気が緩んだからか、急速に意識が遠のいていくのがわかった。
頬に触れた地面はゆるくヌメっとしていて、泳ぎながら何杯飲んだかもわからない地底湖の液体は血の味がした。
…… ✂︎ ……
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