第9話:現実と学ぶべきこと

 テントに戻ってきた頃には18時になっていた。外はまだ全然明るい。空を見上げれば、遠くの空にもう一つ太陽が登っているのが見えた。


 代々木ダンジョン第一階層は日照時間が長く、24時間以上続くらしい。2つの恒星の影響で1日の長さが時期によって違うという話だ。異世界の夜がどんな感じか体験してみたかったけど、今回は夜になる前に帰ることになるかもしれない。


 ワーちゃんとスーちゃんには持ち帰ってきたブラックウルフを食べてもらいつつ周囲を警戒してもらって、俺もテントで夕飯にすることにした。


 昼間は食べられていく猪を間近で見たせいで食欲が湧かなかったけど、ブラックウルフの死体を見慣れたせいか少しお腹が空いた実感がでてきたのだ。


 小川で水を組んでそれを火にかけた。お湯が沸くのを待ちながら、岩山で休憩しているときに撮った写真をグループメッセージに送った。パッと見た感じ北欧の大自然を旅行しているような写真に見えなくもない。


 沸いたお湯をカップヌードルに注ぐ。キャンプ飯を作る知識もないのでとりあえずカップラーメンやお菓子やパン類を持ってきたけど正解だった。もう足がパンパンでなにもしたくない。


〈すげー! めっちゃ大自然やんけ!〉


 ソウスケから返事がきたので、俺は〈めっちゃ過酷だぞ〉と返しておいた。


 実際、モンスターとの遭遇率が低い気がする。こんなもんなんだろうか? 帰りにサービスカウンターで聞いてみようかな。


 そう思いながらカップヌードルをすすると、胃にじんわりと沁みてなんとも言えない幸福感に包まれた。疲れ果てた体に温かいスープが沁み渡る。なんて素晴らしい食べものなんだろうか。文明最高!


 一気に食べ終わり、俺はパンツ一丁で小川に入ってタオルで体を拭いた。小川は足首より少し深いくらいの水量だ。溺れる心配はない。


 少し体が冷えたので持ってきた服に着替えた。テントの中で寝袋に入ってスマホを眺める。電波が入るって本当に素晴らしい。


 そうしてスマホを眺めているうちに、俺は意識を手放していた。


 つぎに目が覚めたのは、スーちゃんの〈広域探知〉の反応がパスを通して伝わってきたときだった。急に心臓を掴まれたような感覚がして飛び起きる。眠気は一瞬で吹っ飛んでいた。


 テントの外からは争う物音と、「ギャイギャイ」といった獣のような声が複数聞こえてくる。


 俺は慌ててタクティカルベストを着てロングナイフを手に持った。靴を履いて飛びだすと、そこには小学生くらいの背丈のゴブリンが8匹ほど周囲を囲んでいて、すでにワーちゃんによって倒されたであろう死体が3匹分転がっていた。頭には小さな角が生えていて、細い手足に出っ張ったお腹は餓鬼を彷彿とさせる。


 ワーちゃんを警戒していたゴブリンたちの視線が俺に集まった。


 あ……これマズったんじゃね……?


 青ざめるがどうにもならない。ワーちゃんが1匹、また1匹とゴブリンの頭を鋭い爪で粉砕しているあいだにも、川向こうにいた3匹のゴブリンがバシャバシャと川を渡り俺のほうへと走ってくる。


 おいおいおいおいッ……!


 2匹が持っているのはしっかりした棒の先端に石を挟んだようなもので、もう1匹は大きめの石のようなもの握りしめていた。


 いや勘弁してくれマジで怖いんだが!?


 迫るゴブリンに対して、俺は大声を出しながら必死でロングナイフを振り回した。ゴブリンも馬鹿ではないようでギリギリまで近寄って踏み込んでこない。でもいつ飛び掛かろうかという鬼のような形相で「ギャイギャイ」と声をあげている。


 下手したら殺されるかもしれないという恐怖が胸を締めつける。助けてくれる人はどこにもいない。日本がどれほど安全で恵まれた環境なのかをなぜかいま思い出した。


 そんなとき、スーちゃんがテントの影から飛び出してきて1匹のゴブリンに体当たりした。急に出てきたスーちゃんにゴブリンたちの視線が向き、俺はその隙に一番近くにいたゴブリンの腹にロングナイフを突き立てた。


 刺した感触があまりにも生々しくて、俺は思わずロングナイフから手を離して距離を取ってしまった。


 ロングナイフを刺したゴブリンは幸いその場に倒れたけど、スーちゃんも距離を取ったことで残りの2匹が体勢を立て直した。


 なにをやってんだよ俺は……!


 どうすればいいのかわからなくて半分パニックになった矢先、背後から疾走してきたワーちゃんによって2匹は瞬時に頭を捕まれて、つぎの瞬間には卵同士をぶつけたかのように2匹の頭が衝突して血飛沫が舞った。


 ドシャっとその場に転がったゴブリンの死体の音を最後に急に辺りが静まり返った。呆然と周囲を見渡してみれば、いたるところにゴブリンの死体が転がっている。


 俺はその場に座り込んだ。腰が抜けたと言ってもいい。


 生き延びたという安堵感と、あまりにも不甲斐ない自分と、自分の手でゴブリンを殺したという複雑な気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって襲ってくる。手の震えがしばらく止まらなかった。


 しばらくして、俺は少し冷静さを取り戻してワーちゃんとスーちゃんにゴブリンの死体処理をお願いした。食べきれないものは森に埋めてもらう。そのまま放置してこの場にほかのモンスターが寄ってきても困る。


 俺は体についたゴブリンの血を小川で流しながら今後について考えた。


 ワーちゃんは強い。強いけど、それに頼り過ぎると危険だということは今回テントを襲撃されてよくわかった。ワーちゃんが一度に相手にできるのは3匹くらいだろう。それより多ければ今回のように俺が襲われる可能性も十分にある。


 一番確実なのは、もう1体アタッカーの放浪者ワンダラーと契約することだ。ワーちゃんほど強くなくてもいいから、ワーちゃんをサポートできるレベルの戦力が欲しい。放浪者ワンダラーの体力も無限にあるわけではないのだ。ワーちゃんに負担をかけ過ぎて召喚を解除する必要がでてきたらそれこそ詰む。


 そのためにはやっぱりより多くのお金を稼ぐ必要があるだろう。


 今日来てわかったけど、マナ鉱石なんかはそうホイホイ見つけられるものではない。ダンジョン管理局が買い取ってくれそうなもので周辺にあるものと言ったら、それはやっぱりモンスターから取れる素材だ。


 いまはなんちゃってキャンプだし、モンスターから素材を剥ぎ取る方法も知らない。モンスターの死体や殺すのにも慣れないといけない。ここは無人島と一緒だ。俺にはサバイバル能力が足りなすぎる。まずはここを改善しないと、毎回の探索代も回収できない気がする。


 時間を確認すると午前3時だった。相変わらず外は明るい。体の節々が筋肉痛で悲鳴を上げているけど、早く寝たおかげで睡眠は十分とれたと思う。というか、またここで二度寝する勇気はない。


 俺はとりあえず探索を切り上げてダンジョンゲートに帰ることにした。


 今日は山ほど課題が見つかったけど、ワーちゃんの強さもわかったしレベルも上がったから収穫は大きかったと思う。


 俺は天才じゃない。ただのモブだ。探索者シーカーが大変な職種だというのは覚悟してたことで、地道に一歩ずつ進むしかない。


 テントを片付けてリュックに詰め込む。背負ったリュックは行きよりも重たく感じた。


 森の中では相変わらずモンスターに遭遇せずに、案外あっという間にダンジョンゲートまで辿り着いた。


 驚いたのは、ダンジョンゲート周辺のフェンスの外側にテントがいくつも設置されていたことだ。最初はなんでだろうと思ったけど、時間を確認して思い至った。きっと探索を終えて帰ってきて、安全なここで休息しながら電車の始発待ちをしているのだろう。


 俺はなるほどなあと思いながらダンジョンゲートを通って待機ホールに戻ってきた。自動精算機に行って探索終了の手続きをおこなう。精算するものがないというのは少し恥ずかしかった。


 今回は丸々赤字だけど、ほかに得られるものが多かったと思って受け入れるしかない。俺は帰り際にダンジョンセンターにあった無料のパンフレットをいくつかもらって家に帰った。


 パンフレットは探索者シーカーの入門教室に関するものだ。受講コースによってサバイバルの知識から異世界の歩き方、モンスターとの戦闘や素材の剥ぎ取り方法など、基本的なことを1〜2ヶ月程度で教えてくれるらしい。


 そういえばサービスカウンターでモンスターの遭遇率について確認してみたけれど、ダンジョンゲート周辺のモンスターは探索者シーカーにハントされる機会が多く、やはり数は少ない傾向にあるそうだ。とくにこの時期はギルドの新人研修なんかでも近場でハントをするケースが増えるためモンスターが少なくなるんだとか。


 まあゴブリンに襲われたことを考えれば、今回はモンスターの遭遇率が低くて助かったのかもしれない。


 俺はパンフレットとネットの情報をもとに近場で一番良さそうな入門教室に通うことにした。




 …… ✂︎ ……

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