第24話 お母さん

 駿が5歳の時に両親は離婚し、彼は父親に引き取られた。しばらくは父と祖父母とともに暮らしていたが、小学1年生の時に「新しいお母さん」と「お姉ちゃん」ができた。


 その「お姉ちゃん」が宇那木このみ。今の真冬と同じ小学5年生だった――。


 


「らしいよ~」と、真冬はまつりと小林に教えた。


「ま、真冬ちゃんさ、意外といろんなこと知ってるんだね……」


 小林は寿司店で彼女から聞いた「川越」や「駿とまつりの関係」を思い出しながら、深くため息を吐いた。


「まあね。お父さんがおばあちゃんを『おばさん』って呼んでてさ。『なんでえ?』って聞いたら教えてくれたんだ」


 駿とこのみは血のつながらない姉弟。


 その事実は、コーヒーをドリップするようにまつりにしみ込んでいく。


 姉を思い出して優しくなる彼の瞳。


 まつりはあのまなざしが欲しかった。なぜあれに憧れたのかが、やっとわかった。「姉」へではなく、「大好きな人」への気持ちがこもっていたから。その瞳で愛されたらと、心の片隅で感じていた。あの様子からすると、駿の心からこのみへの気持ちは消えていない。


 身内の女性に勝ち負けはおかしいと思っていた。


 そんなことはなかった。他人だったのだから。


 じゃあ真冬は。「心から慕う姉の子」だからではなく、「大好きな人の子」だから大事に育ててきた。ということなのか。


 真冬を愛することは、このみを愛し続けることなのか。


 これからもずっと一緒にいたいと思える人の、今でも「大好きな人」の子の……母親代わり。


「まつりさん?」


 自分の世界に没入していたまつり。小林の呼びかけで意識がスタバに戻って来た。


 そして考えなおす。そんなことはないのだと。


 小林が言うように、親の資格に血縁は関係ないのであれば、それと同じで、連れ子同士でも本物の姉弟になれる。駿はきっと、本当の姉としてこのみを慕っているのだ。


 考えすぎだと、まつりはテーブルの下で左手の甲を皮膚がちぎれるほどつねった。


「ただいま」


 どがんと、椅子が壊れそうなほど勢いよく、まなみが小林の隣に座った。駿はその隣に立っている。


「お帰り。駿君……の座る場所がないね」


「お構いなく。あっちの空いてる所にでも」


 まつりは立ち上がり、「トイレ行ってくるから、とりあえずここどうぞ」


「あたしも行くわ」


 まなみも立ち、まつりの後についてスタバから出ていった。二人が消えてから真冬は、暴力行為のダメージが抜けずしぼんでいる駿に「お父さん、まなみさんと何してたの?」と質問する。


「ぼうり、いや、お話してただけだよ」


 一応、スタバまでの道中にまなみの怒りはおさまった。今は優しいほうの彼女である。けれど、体中の痛みが取れなかった。


「まなみさん、とてもお姉さん思いの良い人でしょ?」


 どんな話をしたのか知ってるとばかりに、小林が福顔で駿に語り掛けた。


「お姉さん思いすぎて暴力……いや、まなみさんのおかげで、大事なことに気が付けました」


 真冬が「飲む?」とドリンクを差し出す。駿は受け取り、一口喉に流す。すでに常温ではあるが、今、その温度がちょうどよく感じた。


「俺、まつりさんがお前の本当のお母さんになるように……頑張る」


「頑張んなくても、おかーさんだけどね」


「ふふふ。僕からみたら、すでに夫婦ですよ。ああ、事実婚でしたね。失敬」


 駿はドリンクの紙カップを両手に包み、下を向いて口と足をモゾモゾさせた。




◇◇◇◇◇


 


 3歳くらいの女児がまなみの派手な格好に釘付けになり、母親から手を引っ張られている。


 そんな景色の中、まなみは「ねえちゃんねえちゃ~ん」と歩きながらすり寄って来た。


「随分ごきげんね。駿君と何してたのよ」


 突き当りを左に曲がり、メガネ店の裏手にあるトイレを目指す。


「いやあ、あいつは背が高いけど良いやつだよ。あいつなら義兄弟になってもいいな」


「あのね、ただの他人で」


「ねえちゃんとの将来を考えてるって」


 まつりは立ち止まり、まなみの腕をつかむ。


「あんた何してきたの!? 拷問したんじゃ」


 まなみはへらへらと笑い、「してないしてない。娘ちゃんから今までのこと聞いたからさ、これからどうするつもりなのかな~ってかるゥ~く聞・い・た・だ・け。和やかな雑談」空いている方の手でまつりの手を握り「駿ちゃんね、ねえちゃんのことマジ好きなのだよー」とぶらぶら腕を揺らす。


 そういうことは本人から聞きたい。


 が、今の駿にそんなことが言えるとは思えないし、強引なまなみのようには気持ちを探れないまつりは、多少、彼の現状を知れてありがたくもあった。


 勘違いしないはやめていい。だったらもっと、本気になって……いいのかもしれない。まつりはまなみの腕を開放し、またトイレに向かい歩み出した。


 メガネ店を右折し、二人は女性トイレに入る。それぞれ個室で用を足し、先に出たまなみが手を洗っていると、まつりもその隣で手を洗う。


 まなみはバッグから黒い入れ物の口紅を取り出してキャップをはずし「駿ちゃんさ、まだ『このみ』とかいう女がすき……」言いかけ、失言に気づいた。


 ぎぎぎ、っと油の切れたような首の動きで、まつりは隣の妹に顔を向ける。


「この、み?」


 飲み込むような瞳でまつりは妹を凝視する。そのブラックホールに、公園でまつりを追いかけ、駿に暴行を働いていたまなみがうそのように、収縮していく。まさしく女ヒョウだった彼女が今や生まれたての子猫だった。


「あ、こ、ここ、好みの女のタイプが、佐藤まつりなんだって、って!?」


 濡れたままの手でまなみの両二の腕を、爪を立てるように、肉をえぐるように掴む。


「ねえ、このみって言ったの? ねえ?」


「い、いや好みのタイプがね」


 まつりの瞳から威圧感は消失し、ゆっくりと輪郭がぼやける。


「なんで、あんたはうっかり言うのよ……」ぽとり、と一粒落ちた。


「……もしかして、このみさんのこと知ってるの?」


 またぽとりと落ちる。まつりは下を向き、だるそうに首を振る。


「知らない……知らない……」


 背の高い男は、やっぱり姉を泣かせる。口紅をバッグに戻したまなみの目から光が消えた。




◇◇◇◇◇




 実は小林もクリファンのユーザーであることが発覚し、3人でゲームについて盛り上がっていると、ぽん、と小林は肩を叩かれた。振り返るとまなみである。


「ロース、帰るよ」


「うん。じゃあ、駿君と真冬ちゃん、帰りも僕の――」


 まなみがシエンタのキーを駿に投げつける。


「ねえちゃんはうちに住むから。荷物はあたしが明日取りに行くわ」


 駿は急いで立ち上がり「どういうことですか? まつりさんはどこに」


 まなみは賑やかな店内でも周りの客に聞こえるような壮大な舌打ちをし、「駐車場来い」と駿に呼びかけ、大股で店を出た。駿も鍵を手に、早足で向かう。


 小林と真冬は荷物を持って、慌てて二人を追った。




 立体駐車場と店の間にあるエレベーター前で、まつりがピンクヒョウ柄ハンカチを手にうつむいて立っていた。まなみはまつりの横に立ち、駿は「まつりさん」と駆け寄ろうとしたが、太ももにまなみのヒールが直撃しうずくまった。


「ちょっと、暴力はやめて」


 まなみは駿を見下ろし「あんたは背の高い男でもいいヤツだと思ったけどさ。やっぱダメだよ」しゃがんでうずくまる駿の髪の毛を引っ張り、まつりには聞こえないささやき声で「死人でもな」


「だ、だからそれは」


「おめぇみたいなグズが、簡単に忘れられるとは思えねぇよ」と耳元でつぶやく。


 小林と真冬も追いつき、「お父さん、どうしたの? お母さん?」不穏な雰囲気に、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。


 雑に駿の頭を押しながら手を離したまなみは、カツカツ、とヒールを鳴らし真冬の前に立った。


「お母さんは別の人にやってもらいな」


「え、え、何? お母さん」


 真冬はまつりの側に行こうとするが、まなみが上から頭を押さえつけた。


 まつりは心に思うより早く、妹の頬を殴るように叩いた。突然の姉の行動、物理的心理的痛みに、まなみの手は自然と真冬から剥がれる。小林は袋をドサッと下に落とし、彼女に駆け寄った。


 まつりは痛そうに眼をぎゅっとする真冬を抱きしめ、頭に優しく触れた。


「子供に手を出さないで。見境なくなるの、あんたの悪い癖よ」


 姉を守りたいのに、その姉は自分を泣かせる男の子どもを抱きしめる。その様は母親にしか見えなかった。真っ赤にひりひりするまなみの頬が、まつりの本気を表していた。


 うじうじして泣かせるしか能のない男の姉の子。自分で産んだ子じゃないのに、いつくしむ姉。


 守らせてくれない姉。


 まなみはネイルチップをバリバリ剥がし始めた。


「爪痛んじゃうよ」


 小林は手を抑えようとするが、それをまなみは振り落とす。


「うるさい!」そしてネイルチップを足元に叩きつけ「なんでねえちゃんは、自分を泣かせる男の家を守るんだよ!」


 その言葉に、駿はまだ痛む太ももを抑えて立ち上がりながら「な、泣かせるって、俺、まつりさんに失礼な事」


「何にもしてないよ」


 動揺はした。弱くなった心は、まなみの言いつけに従った。小林家に行こうとまでした。


 でも、まつりの体は勝手に真冬を守り、やっぱり駿の顔を見ると可愛いなと思うのだ。


「さあ、帰ろ」


 帰る場所は宇那木家。


 まつりは小林が落とした紙袋を拾い上げ「倫太郎さん、真冬ちゃんにいろいろ買っていただきありがとうございます。お寿司も飲み物も、ごちそうさまでした」


「いえ、そんな」


「妹をよろしくお願いします」と頭を下げ、「すいません、最後こんな形で本当に」


「あの!」


 穏やかな小林が、響く声で呼びかけた。


 3人が小林に注目する。


「今度、『3人』でうちに遊びに来てくださいね。駿君と真冬ちゃんにデロリアン見せてあげたいな」


 駿はむくれるまなみを目の端で捉えながら「……ありがとうございます」


「真冬ちゃん、またね」


「うん」 


 小林はネイルチップを回収してまなみの肩を抱き、ランボルギーニに乗って立体駐車場を下っていった。


 その様子をエレベーター前で見守っていた3人。真冬はかわちいのぬいぐるみを抱きしめながらまつりにぴったり寄り添い、まつりはその肩を抱く。


 駿はランボルギーニではなく、ずっとまつりの背中を見ていた。


「駿君、帰ろ」


 まつりは振り返り、彼に声をかけた。聞こえてないのか、足元に視線を置き、ショルダーストラップを両手で握りしめたままだ。


「駿君」


「お父さん」


 ほぼ同時の二人の呼びかけに、駿は我に返った。


 顔をあげて目に飛び込んできた関係性に、胸が熱くなってきた。


 このみが築けなかった真冬との関係、真冬がずっと欲していただろうけれど駿に遠慮してきた関係をまつりが作ってくれた。同時にまつりは、このみからは得られなかった、駿が踏み出せなかった種類の愛情も駿に向けてくれている。感謝してもしきれない奇跡のような人。彼女のような存在は、人生においてもう現れない。彼女しかいない。


「駿君?」


 まつりが駿の顔を覗き込んだ。


 優しくて童顔で可愛い顔が近くにある。駿はストラップから手を離し、彼女の頬に触れた。


 予想外の行動にぴくり、とまつりは反応する。もしかしてこれは、そういうこと、をされるのだろうか。ららぽーとと駐車場を行きかう客がドシドシと横切る中で、しかも真冬の前で――とドキドキ混乱してきたところで、駿の手が離れる。


「帰ろう」


 駿はまつりと真冬の肩を抱き、駐車場に足を向けた。




●おまけ

「あ、メガネできてるんじゃないの?」

 駿はスマホの時計を見る。

「ほんとだ。ちょっと取ってくる。待ってて」

 と、店の方にUターンすると、真冬が「新しいメガネみたい」とくっついてきた。まつりもそれを追い、結局3人でメガネを取りに行ったのだった。

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