第16話 運動会を見に来た女性

「きゃ、キャラ弁?」


 ついに今週の土曜日が運動会。そして今日は火曜日。学校から帰って来た真冬から、思わぬリクエストが届いた。


「運動会はキャラ弁作ってくれるの、毎年。お母さん作れる?」


「作ったことないけど……お父さん、キャラ弁作ってくれたの?」


 真冬は自室からタブレットを持ち出し、フォトギャラリーを開く。去年のキャラ弁を表示した。そこには子供に人気のアニメ「ポケット妖怪」に出てくる、一番人気の黄色いモンスターがそぼろで描かれていた。SNSにあげればバズりそうな出来だ。


「無理ならお父さんに頼むからいいけど。今年はかわちいのワレハチがいいなって」


 かわちいは、子供だけでなく大人にも人気のアニメだ。その中の猫キャラが真冬はお気に入りだった。


「や、やってみる。衣装も作れたし、なんとかなるっしょ!」


 と宣言したまつりは、徹夜してネットやSNSでキャラ弁の作り方を漁り、翌日、スーパーにその材料を買いに走ったのだった。


 練習にと、自分のお昼ご飯もかねてキャラ弁を作ってみることにした。しかし、いきなり作れるはずもなかった。目の位置がおかしい、猫キャラなのに耳が丸まってしまう、口の形が作れない……。


 両親共働きのために、妹とともに料理はしてきたまつり。ただ、それとキャラ弁のセンスは別物だった。駿ならきっと作れるのかもしれないが、母親代わりをすると決めたし無職だし、忙しい人を頼りたくはなかった。午後もチャレンジしたものの、可愛いワレハチは作れなかった。まつりにはキャラ弁のスキルもセンスも皆無だった。


 こればかりは限界を迎えたまつりはその夜、駿に相談した。今日は真冬が寝た後の晩酌、ではなくクリスタル・ファンタジー・ワールド・オフラインをプレイしていた。駿はオフライン版の方が好きらしく、まつりはそれを隣で見ていた。


「今年はワレハチ? 分かりました作り―」


「私が作りたいんです。でもどうしようもなくスキルもセンスもなくて。なくても作れる方法知ってるかなあって……ないか」


「じゃあ」テレビ画面のなかで、戦士キャラがモンスターにとどめを刺す。「一緒に作ればいい。俺がワレハチを作るから、まつりさんは周りのおかずつくれば」


「そんな、忙しい人に頼るのは」


「誰だってできないことはあるし、せっかく一緒に住んでるんだから頼り合いましょうよ。俺は作るのが得意、まつりさんは工作センスゼロ。ちょうどいい」


 駿はまつりが勘違いしそうな笑顔でそう言った。


 頑固で独りよがりで、誰の言葉も受け入れず、なんでも自分でやろうとしてきたまつり。頼り合おうなんて言ってくれたのは、そしてそれを素直に聞き言れられたのも、駿が初めてだった。


 一人で生きていくと思っていたのに、最近の自分はどうしようもなく人恋しい。


 まつりは、駿が本物のパートナーだったらいいな、と強く感じた。


 福島で勢いだけのプロポーズをされたけれど、あれに「はい」と答えていたら? 祖父はそれでも許さないと言っただろうけれど、もしかしたら、本当に籍くらい入れたかもしれないよなあ、などと考える。ただ、今の二人ではそれでも関係性に変化はなかっただろう。


 この先、二人の関係は変わるのか、またプロポーズされることはあるのか。物理的距離は子供の定規で測れるほどに近いのに、心の距離が地球と冥王星くらい遠い人物に心を荒らされながら、まつりは体育座りのひざに顔をうずめた。




◇◇◇◇◇




 そして迎えた土曜日。夏のような青空と気温という、絶好の運動会日和になった。


 まつりと駿は早起きし、真冬のキャラ弁づくりに励んだ。ここでまつりは、駿の工作センスに舌を巻いた。アニメ通りに可愛いワレハチが形作られていく。負けじとまつりは、海苔入り卵焼き、ベーコンアスパラ巻き、赤ウインナー、茹でブロッコリーなどを用意していった。


 遅れて起きてきた真冬は、二人が自分の弁当を作っていることに、顔のにやけが抑えられなかった。


 キッチンカウンターに両腕を乗せ、「初めての共同作業?」と二人をからかった。


 変なこと言うな早く着替えて、とまつりは小さく怒り、駿はどこでそんな言葉を覚えてくるのだろうかと、ぽかんとしていた。




 小学校にはまつりと駿、二人で歩いていった。校庭にはすでに多くの保護者らがおり、子供たちの活躍を心待ちしているようだった。


 始まるまで木陰に、と駿が誘ったところ、「宇那木さん?」と声を掛けられた。真冬の同級生、梗介君の母親だった。シャネルのロゴが脇に大きく描かれた大き目のサングラスとロゴTシャツ、黒レザーのミニスカートにハイヒールを身に着け、ナンバー5のゴールドブレスレットが青空の下でまぶしく光る。


「お久しぶりです。真冬がお世話になってます」


 40代半ばといった年の頃の梗介ママは、「こちらこそ」おもむろにサングラスを取り「……突然で失礼ですが、そちらの女性は?」


「ええ、っとその―」


「妹です」と、まつりは若々しく元気よく答える。「姪の活躍が見たくて北海道から飛んできました! 今日はよろしくお願いしまーす」


 疑わしいといった視線を投げながらも「……そうでしたか。てっきりパートナーの方かと。今日は楽しんでいってくださいね」そう言って梗介ママは去っていった。彼女の姿が遠くなるとまつりが口を開く。


「あのシャネル、PTA役員でしょ?」


「な、なぜそれを」


「PTA会報誌に載ってたあの意地悪な顔、覚えてたんで。ってかバッグはサンローランなんだ」


 自分がまつりの立場なら、しどろもどろにしかならない。自分にはない潔さ。駿は心の中で、まつりさんってかっこいいなあ、と呟いた。


 それと同時に気付く。


「そうか、なんで俺、事実婚って。妹って言えば良かったのか」と、頭を掻く。「まつりさん、そのほうが良かった?」


 まつりはぱちぱちとまばたきしながら駿を見上げ「……どうせ、真冬ちゃんは私をお母さんって呼ぶ。妹じゃ苦しかったと思います。いいんですよ、事実婚で。車も乗れるし」と、校庭の端にある大きな木の方へ歩いていった。


 その手を握れたら、と駿は思うも、今日は妹だからできないな。とあきらめたが「ん? なんだそれ? 妹だから?」


 自分の気持ちがいまだ整理できていない駿であった。




 真冬は足が速く、徒競走では1位だし、リレーの選手としても活躍していた。まつりの作った衣装でのダンスまではまだ時間があり、二人は木陰に移動した。


「いい写真撮れましたよ。真冬ちゃんの一位になった時の瞬間とか」と、まつりはスマホの画面を駿に見せる。


「おお、よく撮れてる。あとで俺に送ってください。ところでまつりさん、あした納車ですけど」


「なに、唐突だね」


「そのままみんなでどこか行きませんか?」


 新しい車で、駿と真冬とおでかけ。


 まつりの瞳が輝く。楽しい未来しか見えなかった。


「うん、行きたい。どこ行こうかな、川越とかいいかな」


「川越か……」駿は何かを考えていたが「行きましょう、川越」


 しばらくして真冬のダンスが始まった。流行の曲に合わせた創作ダンスだ。駿は三脚を立ててカメラを固定し、あとはダンスを鑑賞していた。まつりは写真係だったが、ダンスを生でしっかり見たいし、でも写真を撮りたいしで、難しい時間であった。結局は動く真冬をしっかり見ようという結論に落ち着き、写真は数枚となった。


 ダンスを堪能しつつも、まつりは先ほどの「川越」は妙な間だったなと思い返していた。




●おまけ 

 すべてのプログラムが終了し、残すは午後の閉会式だけだ。お昼ご飯のために、児童たちはめいめいの教室へ移動した。

 真冬はドキドキしながら、ランチボックスをゆっくりと開ける。現れたのは――可愛いワレハチ弁当。

 周りの子らが、「かわいい~」と覗く。

「真冬ちゃんのパパってキャラ弁じょうずだよね~」と、前の席の三つ編みの女子が言う。

「でしょでしょ。お父さん工作王なの」

「おかずも美味そう。これもお父さんが?」と隣の席の男子。

 学校ではまつりの存在は隠すよう釘を刺されていたのに。真冬はもう嬉しくて、つい言ってしまった。

「おかずはお母さんが作ったの!」

 宇那木家に母親が誕生したことは時を置かずに広まり、シャネルにもばっちり届くことになってしまうのだが、それはまた別のお話。

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