第9話 イオンに行ったのに楽しくない小学生

 明日みんなでイオンに行けたら、どんなに楽しいだろうか。駿の提案にすぐさま「はい」と言えたら、どんなに楽だろうか。


 本当は行きたい。フードコートでラーメンやたこ焼きを3人で食べたら、きっと美味しい。


 しかし、こじれた感情と頭の固いまつりにはできなかった。


「行きません」


「……佐藤さんが行かないと、真冬は下着買えないじゃないですか」


「前言ってましたよね、甘やかしちゃいけないって。大きいんだから一人で買いに行かなくちゃ」と、まつりは手刀のように腕を振って、駿の手から逃れようとする。しかし、駿はさらに力を加える。


「む、無責任ですよ、大人なのに! 一度した約束を破られると、子供ってすんごい悲しみますよ。娘をき……傷つけるんですか?」


 そう言われ、まつりは胸がずきりとする。子供に嫌われるようなことはしないつもりだった。しかし頑固で融通の利かない石頭は「まだ出会って一週間も経ってないし、傷は浅くて済みます」


「き、きっとアイツ、毎日、佐藤さんのマンション行きますよ」


「そろそろ更新の時期だし、引っ越します」


 あまり言いたくはなかったが、駿はあの一言を加える。


「む、無職なのに、引っ越しの費用」


「あまり遊んでこなかったので、貯金ならあります。資産形成も少しずつですが早くからやってますし」


 貯金や資産形成なんて頭が回らず、保険なんて提示されたままにしか契約できない駿は、自信たっぷりのまつりの雰囲気と言葉に圧倒される。


 駿の手が緩む。まつりはその手から逃れ、台所へ向かう。


 自分でもまつりをどうしたいのかよくわからない。けれど、ここで縁を切ってはいけない。それはきっと、真冬だけではなく自分のためにも。


 そう思った駿は、裏返った声で「ああ、じゃあ! アルバイト! お母さんのアルバイトしてください!」


 まつりは振り向き「アルバイト?」


「そ、そう! 恋人とか家族役を頼むバイトがあるらしいんで、佐藤さん、アルバイトで真冬のお母さんやってくれませんか? イオンに行ってくれませんか?」と言った駿は、どたどたと自室に向かい、紺の二つ折り財布を手にリビングに戻って来た。そこにある札を全て取り出し、まつりに握らせた。


「やだ、ちょっと」返そうとするも、駿に力強く手を握りしめられる。


「余計な一言込みの値段です。俺や真冬が変なことしてたら叱ってほしい。それなら罪悪感ないんじゃないですか」そして駿は土下座し「お願いします! お母さんのアルバイトをしてください! これじゃ足りないんで、あとで金降ろしてきます!」


 お金を握らされ、深く必死な土下座までされ、まつりは邪険にできそうもなかった。それでも、この場から離れる方法を模索し続ける。


「こんなことしてたら、真冬ちゃんの本当のお母さんになってくれる人、見つかりませんよ」


 駿は土下座したまま答える。


「……女性と付き合う時間がなかったというより、俺はそもそも、誰かと結婚しようなんて考えたことがない。真冬の本当の母親は一人しかいない」すっと顔を上げる。「だから、そんな心配は無用です。真冬が困ったときは助けてほしい。だから明日、3人でイオン行こう。お願いします」


 姉を思い出していた時のような優しいまなざしが、まつりに向けられた。


「……分かりました」


 


「お母さん、泣き止んだ?」


 真冬は部屋の扉から駿の顔が見えた瞬間に椅子から立ち上がり、そう声をかけた。駿は扉を閉め正座し、真冬の両手を取った。


「佐藤さんはお母さんのアルバイトをしてくれることになった。俺が忙しい時にご飯とか」


「はあ? 何言ってんの、何がしたいの? 私はアルバイトじゃなくて」


「真冬。お前が佐藤さんにお母さんになってほしい気持ちはわかった。でもな、それって佐藤さんの気持ちを一つも考えてないじゃないか。もしかしたら、俺みたいな男は大嫌いかもしれないのに、無理やりくっつけようなんて」


 強気だった真冬の瞳が揺らめいた。怒っても怖くない父の顔が、今日は本当に叱られているように感じた。怒った顔はしていないのに。


「でも、いきなり佐藤さんがいなくなるのはお前が寂しくなるだろうから、お母さん役のアルバイトしてもらうことにしたんだ。それなら気兼ねないし、仕事が見つかるまでって約束で」


「お父さんの気持ちは?」


「ん?」


「確かに、お父さんみたいな弱いもやし、嫌いかもしんない」


「おい」


「でもお父さんは? お母さん、嫌い?」


 駿はたった数日の間に見た、まつりのしぐさや表情、言葉を思い出す。恥ずかしいと思っていたことも言えたまつり、ご飯を作るまつり、真冬と遊ぶまつり。嫌い、とは言えない。でも好きかはわからない。


「……真冬のお母さんは宇那木このみ。佐藤まつりじゃないんだ」


 駿は立ち上がり、真冬の部屋を出ていった。


 そして夕飯はまつりの作ったものを、宇那木親子だけで食べた。




◇◇◇◇◇


 


 次の日の朝、まつりは朝食を作りに来ず、イオンに行く時間になってやっと、「おはようございます」と晴れ晴れとした顔で宇那木家に現れた。優しげで笑顔だが、真冬は中身のない気持ち悪さを感じた。


 宇那木家に自家用車はなく、必要な時にレンタカーを借りている。今日も近くのレンタカー店で白のワゴンRを借り、越谷のイオンへ向かった。


 車内では、「学校ではどんな勉強してるの?」「先生は優しい?」など、まつりが次々と真冬に質問した。昨日までの真冬なら興奮しながら答えただろう。しかし今日の「中身のない気持ち悪いお母さん」には上手く話すことができなかった。


 とぎれとぎれになる会話、悪い間。駿も話題を投げてみるが、全く盛り上がらない。


 イオンに着いた3人は、早速、女児の下着売り場へ。駿は店外のベンチで待ち、2人で目的の物を探す。


「この辺のパンツがそうだよ。可愛いのいっぱいあるねえ」


「……うん」


 二人が選んでいると、40代半ばほどの婦人店員が「何かお探しですか」と声をかけてきた。


「ええ、『娘』が生理になりまして」


 その言葉に、真冬は驚いたと同時に悲しくなった。きっと昨日までのまつりに言われたら飛び上がるほど嬉しい単語だ。でもまつりは一つも、真冬の事を「娘」だとは思っていない。


 中身がない。


 店員のアドバイスのもと、真冬は下着を選んだ。その間、まつりは「親らしい顔」を表面に浮かべていた。


 中身のない言葉、表面だけの親らしい顔とふるまい。これがアルバイトのお母さんなのかと、真冬は失望した。


 まつりが「服は?」と聞いたので、真冬はJENNIやピンクラテ、ユニクロなどにも寄り、まつりが選んでくる服を合わせたり、自分の好きな服をまつりにみてもらったりしたのだが、どうしようもなくつまらなかった。


 真冬は「お母さん、これ似合うかな」と声をかけた。


「うん、可愛い」


 お母さんじゃないと、まつりは言わなかった。否定していたまつりの方が、真冬にとってはお母さんらしかった。


「可愛くないよ」


 服は買わなかった。


 その後、フードコートでリンガーハットのちゃんぽんを食べ、スタバの季節限定なんとかペチーノも飲んだ。


 まつりは終始笑顔で、お母さんの「ように」二人に接していた。傍から見れば、仲良し親子に見えていただろう。まつりはそれを意識していた。お金を貰った「アルバイト」だから。しかし、「仕事」は空回りしていく。


 不満はないはずなのに、駿も居心地が悪かった。アルバイトお母さんは全く「佐藤まつり」ではなかったのだ。


 


 買い物を終え、3人は宇那木家のあるマンションへ戻った。


 まつりは部屋には上がらなかった。マンションのエントランスの前で「今日はお疲れさまでした」と首を軽く下げる。


 帰ろうとしたまつりに、駿は「すいません」と声をかけ、お母さんアルバイトの今後について伝えた。


「来週なんですが、残業になりそうな日ご連絡します。その時、真冬の夕飯お願いできれば」と、駿は家の鍵を渡した。「これで開けて、都合のいい時間に作りに来てください」


「分かりました」まつりはさっさと自転車に乗って帰っていった。

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