第6話 間違いに気づいた小学生

 買い物を終え宇那木家に帰宅した。


 まつりは食事の支度にとりかかり、真冬はランドセルを降ろして風呂を沸かし掃除機をかけ、駿は洗濯物を片し始めた。


 風呂は駿が一番に入り、次は真冬。そして彼女が風呂を出て宿題を始めた頃にご飯が炊け、まつりは親子丼の具を作り始めていた。


 リビング中にひろがる甘じょっぱい香りが、パジャマ姿の親子の胃を刺激する。


 ダイニングテーブルで算数の問題を解いている真冬は、購入教材のお知らせを読む駿に「明日の朝もお母さんのご飯食べたい……」と、潤んだ目で話しかけた。


 その気持ちは駿も同じだった。しかし、まつりは転職活動中だというし、朝も夜も作ってもらってはその時間を奪ってしまうことになる。それにこれでは、タダで家政婦をしてもらっているようなものだ。


 さらにいえば、どこかで区切りをつけなければ、真冬が本気で彼女を母親だと思い込み、離れがたくなってしまうかもしれない。


 台所の彼女をちらりと見る。


 目が合った。


「ああ、お腹すいてますよね、もうできますから。真冬ちゃん、サラダ持ってって」


 はーい、と真冬はサラダをテーブルに置き、次に味噌汁、親子丼とテーブルに今夜のメニューが並んだ。


 いただきます、と3人同時に声を出した。それを誰も面白いともおかしいとも思わず、夕食が始まった。


 真冬は半分ほど食べすすめたところで、「ねえ、おかーさん」と呼び掛けた。


「違う。まつり」


「私より先に生理になった友達から聞いたんだけどね、生理用のパンツがあるって言うんだけど」


 やはり真冬は呼び名を無視した。粘り強く頑張っていくしかないと、まつりは鶏肉をかみつぶす。


「あるね」


「私も欲しいな」


 お父さんと買いに行きな、とも言えず、まつりは鶏肉を飲み込む。


「じゃあ日曜、越谷のイオンでも行くか」


「おとーさんと?」


「そりゃそうだろ、他に誰がいるんだよ」


 真冬は隣に座る女性に目を向ける。その視線を痛いほど感じるまつりは、食事の手が止まってしまった。


 まつりの困惑を感じ取った駿は「あのな、佐藤さんも忙しいんだから。甘えるのもいい加減にしなさい」そして強めの語調で、自分にも言い聞かせるように「彼女はお前のお母さんじゃないんだ」と言った。


 その言葉を受け、真冬は大粒の涙を流し始めた。


 この反応に駿は椅子から立ち上がり、まつりは背中をさすり始めた。


「イオン行きますから、私! もう大きいし、お父さんと下着売り場に行きたくない気持ちはよくわかります。それに一人で行く不安も。ごめんね、真冬ちゃん、私がすぐそう言えば良かったね」


「……き、気にしないでください佐藤さん! 一人っ子だからって甘やかしすぎたんです。もう大きいんだから、厳しくしないといけないのに。真冬、下着くらい自分で買いに行けるだろ」


 これは他人の家の話だ。まつりとは無関係だ。


 真冬の嗚咽は大きくなる。


「な、泣けば言うことを聞いてもらえるのは赤ん坊までだ! もう小5だろ! 人のこと困らせるんじゃない」


 さらに泣き声をあげる真冬。幼少時以降、あまり大声で泣くことのなかった娘に、駿は混乱し始めた。


 本当はおじである父親に遠慮する、彼女の寂しい横顔がまつりの脳裏をよぎる。


 しかし、他人の家の話だ。


「そうだ、と、友達と行けばいいじゃないか、その、教えてくれた子と一緒に買えば。買い物だけじゃなくてスタバ行ったり。あれ飲みたいんだろ? 多目にお金渡すから」


 まつりは、ガタっと音を立て、勢いよく立ち上がる。


「そういうことじゃないでしょ!! 真冬ちゃんはお母さんと行きたいの、お母さんと成長を楽しみたいの。それだけなの。友達と行けとか一人で買えるだろうとか、それはただ突き放してるだけじゃないのよ。もしかしてあんた、知らないうちにそうやって、真冬ちゃんのこと他所にしてきたんじゃないの? だからこの子、あんたに遠慮してんじゃないの?」


 穏やかだった女性の突然の迫力ある怒声に、駿は思わず椅子にぺたんと座る。真冬は涙が止まった。


「ううん、違うな。真冬ちゃん、お母さんが欲しいわけじゃないんだ。遠慮しない相手が欲しいのよ。それをたまたまお母さんって言ってるだけ。私は別に子供に意地悪したりしないし、他人の子を叱るようなこともしない。遠慮しなくていい人間だって感じ取ったんでしょうよ」


 まつりはすっと椅子に座り、ぼうっとまつりをみつめる真冬の頭をなでる。


「ごめんね、真冬ちゃん。私はあなたのお母さんにはなれないけど、気安い友達にはなれる。お父さんとできないことはこれからもあるだろうから、そういう時は遠慮しないで声かけて」なでる手を止め「真冬ちゃんじゃなくて、お父さんがお母さんにしたい人を連れてくるまで、ね」


 そう行ってから、まつりは我にかえった。他人の家に口を出し、しかも父親相手に説教をしてしまった。


 やってしまったと、まつりは急いで駿に謝ろうとしたが、真冬の言葉に制された。


「私、間違ってたよ」


 真冬のひどく落ち着いた声。先程まで泣きわめいていたとは思えない真剣な表情。まつりと駿は、この間にどんな心境の変化があったのかと驚きながら真冬に注目した。真冬はティッシュで鼻をチーンとかみ、ゴミ箱に捨てた。


「本当にわがままだった。私が先走ってお母さんを欲しがって。迷惑かけてごめんね二人とも」


「真冬……」


「順番、反対だったよね。私が先にお母さんを好きになるんじゃなくて、まずはお父さんとお母さんが好き同士にならなきゃいけなかったのに」


 予想もしなかった言葉に、二人は目をぱちぱちさせた。


「は? な、何言ってんだ」


「私とお母さんがイオン行くより、二人が先にデートしなきゃね。ああ、ほんとにごめーん! 私ってバカだなあ〜」


「デート!? ほんとにお前」


「イオンは日曜でしょ? 土曜日の私のピアノレッスンの間にデートしなよ。30分、まあちょっと早く行くし終わった後も考えると40分くらいか。40分デートして。いきなり一日中より気軽でいいじゃん」


 デートなんかするか、と駿は言おうとしたが、それはそれでまつりに失礼な気がした。彼女を嫌いなわけでもないし、拒否したいわけでもない。あわよくば、またご飯を食べたいという欲もある。


 まつりはもう、なんだかよくわからない気持ちだった。いきなり小学生からデートをセッティングされてしまったのだ。この提案を飲むにしても、自分から言うのはがっついているように見えるかもしれないし、拒否ができる身分でもないと思った。駿の反応を待つ。


 気が済んだのか、真冬は夕食を再開していた。駿は俯いて拳を握り、ゆっくりと座って親子丼を食べ始めた。微妙な雰囲気のなか、とりあえず、まつりも味噌汁を飲んだ。


「どーすんの、お父さん。デートするの? しないの?」


「ええっと」


「ってか、しないってさ、お母さん拒否してるみたいで失礼だよね。そりゃお母さんの気持ちも聞かなきゃいけないけどさあ、いやですなんて言わないだろうし」


 もう自分を責めることはないと見た真冬は、容赦なく父を追い込む姿勢に転じる。


「……れ、レッスンは午前中の10時からです」


「そう、ですか……」


「さ、佐藤さんがお暇なら」


「無職だから暇ですけど……」


 そこで沈黙してしまった。ぐずぐずする父親に真冬はイライラする。


「その流れってさあ、デートするしかないじゃん。何でそう言わないの? お父さん、お母さんのこと好みじゃないわけ?」


「し、失礼だろそれ! 好みがどうとかじゃなくてだな」


 駿は顔を動かさず、目だけまつりを見る。


 正直、駿はまつりが好みかどうかわからなかった。化粧っけはない。オシャレそうでもない。美人でも崩れた顔でもないが、若々しく可愛らしくはある。身長は平均的。上半身がふっくら見えなくもないが、太ってはいない。さっきの様子からすると、言うべき時はしっかり言うタイプ。基本は優しそう。ご飯は美味しい。


 姉に………似ていない。


「よ、40分だけお茶でもしますか? ピアノ教室は駅向こうなんで。あっちなら喫茶店あるし」


 はい、と言おうとしたまつりだが、その時間ならと別の提案をした。


「お昼ご飯の買い物しませんか? 宇那木さんの食べたいもの作ります」


 駿はその提案をさくっと了承し、さらにまつりはあす金曜も朝ごはんと夕飯を作ることになった。


 また繋がってしまった縁。いつ切れるのか、切られるのか。二人きりになったら何を話せばいいのか。まつりも駿も、娘が無理やり作ったデートの時間に単純にワクワクはできなかった。

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