第三十一話 ルレジェンネ様のオパール(下)
「化石? 化石とは何ですか?」
皇妃陛下は戸惑ったように仰った。そうか。化石から説明しないとダメなのね。化石は時に宝石扱いされるから宝石店で取り扱う事もあるので、私は知っているけど、あんまり一般的な知識じゃないのかもね。
「化石とは、大昔の生き物が地中で長い年月を掛けて石になったものです。身体の皮や肉は腐ってなくなってしまいますけど、骨とか殻とかが石になって残るのですよ」
「へぇ……」
皇妃陛下は感心したように吐息を漏らした。
「昔と言っても百年や一千年ではききません。何万、何十万年も掛かるらしいですよ」
私もそこまで詳しくないけどね。化石から生き物が生きてる時代が視られないかと頑張ってみたことはあるんだけど、無理だったのだ。
「……それで? このオパールが化石だというのは? これも元は生き物だったのですか?」
皇妃陛下のお声が弾み始めた。この方はそもそも好奇心が旺盛な方だしね、良い傾向だ。私も皇妃陛下の興味を引くように身振り手振りを大きくする。
「そうです。オパールの中には、化石がオパールに変化した物があるのですよ」
理屈はよく知らないけどね。貝殻とか魚の歯とか木の葉とか、珍しい物では虫とか動物の骨とかがオパールになったものもある。
「なんとも、不思議なものね……
「面白いでしょう? 宝石の中でも特に神秘的な秘密が隠されているのがこのオパールです。色も、このような虹色ではなくピンクだったり鮮やかなオレンジ色をしているものもあります」
なのでオパールの目利きは大変で、オパールだと思ったら色付きの蝋だったなんて笑えない話もある。オパールが記憶の宿る石で良かったわ。
「さて、ではこのオパールはどんな生き物の化石だと思いますか? 考えて見て下さいませ。皇妃陛下」
私の質問に、皇妃陛下は真剣な表情で考え込んだ。口元を手で押さえ、テーブルの上に身を乗り出してオパールを見つめている。
「こんな生き物がいるかしら? それは何万年も前の事は私には分からないけれど……。単純に形だけ見れば、卵に見えるわね」
私は拍手をした。
「そうです。正解です。これは卵です。卵の化石なのです」
皇妃陛下は拍子抜けしたような表情になってしまった。
「そうなの? 単純ね。でも、朝食で出てくる卵よりちょっと大きいような……」
「そうです。もちろん鶏の卵ではありません。ですからここからが本題です。これは何の卵の化石でしょうか?」
「え?」
皇妃陛下はびっくりなさってしまった。もしかしたら妃陛下は卵から生き物がどのように生まれるかなどご存知ないのかも知れないわね。まして卵からは鶏だけでなくトカゲとか亀とかも生まれる事があるなんて。
皇妃陛下はうんうん唸って考え込まれていたけど、すぐに諦めた。生き物については全く詳しくないのだろう。それは貴族教域では習わないだろうからね。
「分からないわ。降参。教えてちょうだい」
私は頷いたが、すぐに答えを教える事はしなかった。少し表情を引き締めて、皇妃陛下を見つめる。私の雰囲気が変わった事を察知した皇妃陛下も姿勢を正した。
「これを、ルレジェンネ様が妃陛下に贈られたタイミングがヒントでございます」
皇妃陛下のこめかみがピクッと動いた。あんまり思い出したくない過去だったのだろう。私はすぐに言葉を足す。
「妃陛下。このオパールは妃陛下が思っているような意味を持ってはおりません。ルレジェンネ様は、この石で妃陛下を、当時皇太子妃になる貴女様にエールを贈ったつもりだったのでございますよ」
皇妃陛下の目が見開かれた。強い驚愕と動揺を何とか抑え込んだという風に見えた。そして一度目を閉じると、ゆっくりと話し始める。
「……このオパールを貰ったのは、私が皇太子妃に内定してちょっと経った頃だったわね。私も流石にレージェと顔が合わせ辛くてね二週間くらいレージェの顔を見ていなかった……」
そうしたら突然妃陛下の実家のウィグセン公爵城にルレジェンネ様がやってきて、このオパールをくれたのだという。
「『貴女ならきっと良い皇太子妃になれるわよ』って言われて嬉しかったのだけど、贈られたのがこの大きなオパールでね。オパールは……」
「不吉の石。そして特に未婚の女性は避けた方が良い石だと言われていますね」
何でも男性との縁を遠ざけるとか、そういう力ががあると昔から言われている。なので未婚女性はオパールを避ける場合があるのだ。
「そう。それで私はレージェの気持ちが分からなくなってしまったの……」
自分の事を祝福すると同時に贈られたのが不幸の石では、それは意味が分からなくなっても仕方がない。しかしながらオパールを不幸の石扱いするのは古い迷信だし、それに……。
「妃陛下はもう皇太子妃になられるのだから、他の男性との縁を遠ざけるのは悪いことではございません。それと、オパールは妊娠出産の守護石とされる場合もございます」
他にもオパールには「幸運」とか「純真無垢」とか「希望」とか良い石言葉が付けられている。幸せを願う贈り物としてオパールは相応しい宝石なのだ。
皇妃陛下はそれでも納得し難い表情を浮かべていたわね。確かに単純に相手の幸せを願うだけなら宝石だけでも色々な選択肢があった筈である。それをわざわざ嫌う人も少なくないオパールを選んだルレジェンネ様の真意が分からなければ、皇妃様の疑念は晴れないだろう。
私は言った。
「妃陛下。ルレジェンネ様は妃陛下が皇太子妃になられる事を祝福するために、わざわざこのオパールを選ばれたのです。妃陛下に相応しいと思ったから」
「私に相応しい? このオパールがですか?」
「そうです。良いですか、妃陛下。古来皇帝は竜に例えられますね?」
妃陛下は話がいきなり飛んだことに混乱した様子だった。
「え? ええ。そうね。帝国の紋章にも竜が入っていますものね」
竜というのは人跡未踏の深い森や、遥かなる雪を湛えた山脈の奥、深い湖や遠い離島などにいると言われる、半ば伝説化されている巨大な神獣である。現在では目撃例さえほとんどなく、幻、想像上の生き物であるとさえ思われている。
しかし、竜は空想の生き物ではない。
「実は竜は、何万年も前には沢山いたのですよ。まだその頃は人間はこの地上にいなかったそうです。ですから、竜は化石になってたまに発見されるのです」
これは大女神様の聖典に曰く、大女神様は人間の前に竜をお創りになったのだけど、竜の愚かさに嫌気がさしたためにそのほとんどを滅ぼして、改めて人間を創造なさったのだということだ。
帝国が創建された頃には、現在よりも竜の数が多かったようで、その雄大な姿がよく目撃されたらしい。それで、その姿に憧れを抱いた人々は、竜を強さと権威のシンボルとした。
そのため、現在では竜は帝国そのものや帝国の皇帝陛下を表す隠語としても用いられるようになっている。
「へぇ、竜が石にねぇ……」
そう呟いた皇妃陛下の視線がふとオパールを捉えた。その瞬間、あっ、と妃陛下の口が動いた。
「まさか……」
私は大きく頷いた。
「そのまさかでございます。このオパールは、竜の卵が化石になったものなのです」
皇妃陛下は驚きに息を呑んだ。
「まさか、そんな事が……」
「驚くのも無理はございません。私もそのような物があるとは知りませんでした。大変珍しく、貴重な物だと思います」
竜の卵の化石自体も大変珍しいものである。しかもそれがオパール化しているとなると、途方もなく珍しいものであると言わなければならないだろう。もしかしたらこの世に唯一無二のオパールではないだろうか。
残念ながらこれを売った宝石商は卵の化石がオパール化したものという認識しかなく、ルレジェンネ様に売った値段はそれなりだった。でもルレジェンネ様は一目でこれが竜の卵だと見抜いたのだ。さすがはユリアーナ様に宝石の事を教えたというだけのことはある。とんでもない知識と眼力だ。
皇妃陛下は非常に混乱してしまったようだ。長年、何かの嫌がらせか悪い意味を持っていると思い込んでいたこの石が、急に違う意味を持つものに見えてきたのだろう。しかし、まだ意味は分かるまい。自然と、私の方を見て、視線が合う。
見つめ合うことしばし。私はおもむろに言った。
「言ってもよろしいですか?」
皇妃陛下は真剣な表情で頷いた。
「お願い。私にレージェ様の想いを教えて」
私はコクっと頷くと言った。
「竜は帝国と、皇帝を象徴します。そして卵は子供、あるいはそれを産む母親を表しています。つまり、この竜の卵を『相応しい』と皇妃陛下に贈ったという事は……」
私は言葉を止めた。ここまで言えば皇妃陛下にも分かるだろう。皇妃陛下はジーッとトパーズを見ていたが、ポロッと呟いた。
「私に、皇帝の母になれと……。いえ、私なら竜の母になれると……」
そういう事である。ルレジェンネ様はフローレン様を激励したかったのだ。自信を持てと。貴女なら皇妃に、皇帝の母親に相応しいと。
やや上から目線なのはルレジェンネ様がフローレン様から憧れられているという自覚があったからだろうね。その上で、自分に遠慮なんかするな、自信を持って皇妃になり次の竜を産め、と仰ったのだ。
実にルレジェンネ様らしい、と思った。あの方はそれなりにカーライル殿下の事を愛していて、皇妃の座にも未練はあったと思うのに、それでもフローレン様の為に純粋な励ましの宝石を贈れる女性なのだ。
皇妃陛下やユリアーナ様、他の公妃様のような十分に魅力ある女性たちが「憧れだった」と口にする理由も分かるわよね。
食い入るようにオパールを見つめていた皇妃陛下だったけど、不意に、出しぬけに、そのサファイヤ色の瞳から涙を流し始めた。すぐに指で拭ったけど、止まらない。次から次へと、涙は溢れて頬を伝う。侍女が慌てて差し出したハンカチで、皇妃陛下は顔を覆って声もなく泣き始めた。
震える肩に、私は何十年もこの宝石とルレジェンネ様を誤解していたという彼女の後悔を見た。大丈夫。まだ間に合います。お二人ともまだまだお若いし、これからもお会いする機会はまだまだ作れるのだから。
……やがて、皇妃陛下はお顔をお上げになった。お化粧が少し崩れてしまっていたけど、スッキリとした表情だったわね。
「ありがとう。レルジェ」
私は黙って頭を下げた。皇妃様は目尻が赤くなった目を細めて笑いながらこう仰った。
「つくづく、貴女を息子の妻にしたかったわ。レージェの娘を私の義理の娘にしたかった」
「ヴェリア様は素晴らしい皇太子妃でございますよ。私はヴェリア様を敬愛しております」
「知っているわ。それでも、もっと早く貴女の存在を知っていればね」
皇妃様の発言に私は内心で冷や汗をかく。こんな発言が両殿下の耳に入ったら、お二人と私の関係にヒビが入りかねない。皇妃陛下が他言しなくても、侍女や侍従の口づたいで伝わってしまう可能性はあるだろう。
「私がルレジェンネ様の娘である事は確定していませんし、私がなりたいのはガーゼルド様の嫁であってヴェリア様の座を奪うことではありません」
皇妃陛下は目を瞬いた。
「あら、もう決めたのね」
「はい。ですから、皇妃陛下におかれましては、私とガーゼルド様との婚約のご許可を頂きたく」
私が緊張しながら言うと、皇妃陛下はなんだか華やいだ表情になった。
「ガーゼルドを呼びなさい」
侍従が出て、隣室に控えていたガーゼルド様を呼んできた。ガーゼルド様は大股で室内を横切ると、私の手を取り、包み込むように横に座った。
寄り添う私とガーゼルド様を満足そうに見つめて、皇妃陛下は仰った。
「貴女たちの婚約を認めましょう」
私の右手を握ったガーゼルド様の手に力が入った。
「レルジェを大事にしなさい。ガーゼルド」
「言われなくてもそのつもりです」
「聞いておきなさい。その娘はきっと、我が帝国にとっても重要な女性になるでしょう。その鍵は貴方が持っているのですからね」
随分過大な評価をして下さったものだけど、きっとそれは皇妃陛下が本来ルレジェンネ様に持っていた評価だったのだ。皇妃陛下は手を挙げると、少し目を潤ませながら私たちの頭上に聖印を切った。
「貴女達に大女神の祝福があらん事を」
◇◇◇
皇妃陛下のご許可も頂き、皇帝陛下からも改めて婚約の勅許を頂いた。今度は内諾ではなく正式な勅許だ。こうなるともう余程の事がない限りお話は覆らない。
グラメール公爵家も勅許を受けたことを公表し、正式な発表こそまだだけど、私は公式の場でもガーゼルド様の婚約者として扱われる事となった。
準皇族扱いも復活し、それどころか皇族の参加する儀式でも私は皇族席に座らされる事となってしまった。
一ヶ月後ぐらいに婚約式が予定され、それを終えたら帝国のみならず諸外国にもガーゼルド様と私の婚約が発表され、さらに一年後の結婚式の予定が公式行事として発表されて予算が組まれる、らしい。
大事だった。次期公爵の結婚というのは国家的な行事になってしまうのだ。私も婚約式から結婚式までは大忙しになるので、結局ヴェリア様の侍女の役目は辞することになった。
「仕方がないけど、これからも私の友人でいてくれると嬉しいわ」
ヴェリア様は前から、私が次期公妃、皇族として自分の側にいてくれる事を望んでいたから、私の辞職にも残念そうにだけど同意してくれた。後任の宝石担当には私が色々教えたローリエンという侍女を推薦しておいた。
ただ、私には実家がないので(名目上の実家であるブレゲ伯爵邸には私の部屋はない)皇太子宮殿の部屋に引き続き住み続ける事が許された。侍女待遇ではなく準皇族待遇なので侍女が一気に六人も増やされたけどね。
侍女を辞めなければいけなくなったのは、やはり公爵家に嫁入りするには数々の教育を受けなければならなかったからである。皇族なのだからやはり儀式や独特の風習などがあるそうなのだ。
経験者のヴェリア様曰く「まぁ、大変でしたよ」とのこと。侯爵令嬢だったヴェリア様でも大変だったのなら、伯爵令嬢相当の教育しか受けていない私はもっと大変だろうね。
そしてヴェリア様の侍女として経験したけど嫁入り準備も物凄く大変なのだ。結婚式の準備と公爵城に私の私室と夫婦の部屋を準備するのだが、これが大体女性の仕事なのである。
教育を受けながらこれらの事を並行してこなさなければならない。無茶振りである。幸い、私は皇太子宮殿に住んでいるので、教育はヴェリア様や皇妃陛下がして下さる事になって移動の時間を取られないのは助かった。
でもグラメール公爵城にも通わないわけにはいかない。お部屋の準備があるからね。公爵城には当然ユリアーナ様がお待ちだ。この将来のお義母様が怖かった。
何が怖いって、いつもにっこり笑って私を意味ありげに見ているのである。見ているだけなのである。以前はチクチクと嫌味を言ったり揶揄ったり無理難題を言って面白がっていたあのユリアーナ様が、である。
私的には得体の知れなさで言ったらルレジェンネ様よりユリアーナ様の方が勝ると思うのよね。まぁ、会った回数も違うしもっと深く付き合えばルレジェンネ様の怖さも分かるんだろうけど。分かりたくないけど。
公爵閣下やイルメーヤ様は最初から歓迎ムードだったので、無言のユリアーナ様が怖い他は、公爵城も私にとって居心地の良い場所になりつつあった。まぁ、来年には嫁に入る訳だから、居心地が良いのは良い事だ。
そんな風に忙しくなり掛けていたある日、私に会いに来たガーゼルド様が言った。
「レルジェ。例の件はどうする?」
私は首を傾げた。
「何の件でしょう? 公爵城のお部屋の改装の相談は来週の筈ですよね」
ガーゼルド様は苦笑した。
「違う違う。例の、トパーズの件だ」
思わず私は手をポンと打った。
すっかり忘れていた。そういえば炎のトパーズの話があったわね。皇帝陛下の御命令で捜索を打ち切ってそのままだったのだ。
捜索中止命令の原因は、皇妃陛下が私がルレジェンネ様の娘であると確定してしまうのを嫌ったからだけど、その件はもう解決している。皇妃陛下は私の事をすっかりルレジェンネ様の娘と思って接して下さってるしね。
今なら皇帝陛下も捜索のご許可を下さるかも知れない。もう婚約の勅許は出たのだし、私は予定通りサイサージュ殿下とルレジェンネ様の娘であると「偽装」する事になっている。トパーズを回収しても情勢に大差はないだろう。
ただ、やはり本当に私がサイサージュ殿下の忘形見である事は秘密にした方が良いだろうね。やはり「偽装」にして胡散臭い状態にしていた方が何かと都合が良いので。
私とガーゼルド様は相談の上、皇帝陛下にお伺いを立てた。そして陛下のご許可を頂いた後、忙しい合間を縫って平民服に着替えて下町の、リュグナ婆ちゃんの店に向かったのである。
洞窟の中のような店の中で婆ちゃんはヒッヒッヒっと笑っていた。
「おや、めでたいね。めでたい二人がおいでだよ」
……何もかもお見通しだという雰囲気だ。そうね。得体の知れなさで言ったら、私の知っている女性の中ではやっぱりリュグナ婆ちゃんが一番よね。何歳なのかもよく分からないし。
「遅かったね。待ちくたびれてしまったよ」
「色々あってね。指示通り、例のエメラルドはリーザさんに渡したわよ。これでトパーズを返してくれるんでしょ?」
リュグナ婆ちゃんは顔をくしゃくしゃにして面白そうに笑った。
「おや、なんで私が持っていると分かったんだね?」
「婆ちゃんほどの宝石商人が、あのトパーズの素性に気が付かない筈がないじゃないの。あんな危ない石を不用意に売るほど婆ちゃんは馬鹿じゃないでしょ」
同時に、院長様がリュグナ婆ちゃんに預けた事情も察しただろう。ならば必ずトパーズは婆ちゃんが保管している筈だ。
「ヒッヒッヒ。まぁね。私も盗品を扱って縛り首はごめんだよ。まして皇族の秘宝ではね」
ほら、婆ちゃんは当たり前のようにトパーズの素性を見抜いていた。本当に得体が知れないわね。
婆ちゃんはこの間のように足元の箱をゴソゴソと探り、布袋を取り出すと、特に勿体も付けずに中からコロンと石を転がし出した。黄色い、宝石だ。
「ほら。手に取ると良い」
私は思わず息を呑んだ。考えてみれば、このトパーズがもしも本当に炎のトパーズなら、私は親がサイサージュ殿下とルレジェンネ様であると確定する事になる。今まで親なしだった私にとっては大きな変化だ。
私はトパーズに手を伸ばそうとして、気が付く。
「この石、ガラスコーティングがされていません」
「なんだって? 帝冠の宝石は全てガラスコーティングだった筈だ」
ガーゼルド様がリュグナ婆ちゃんを睨む。偽物を捕ませようとしたと疑ったのだろう。しかしリュグナ婆ちゃんは涼しい顔だ。
「私は買い取ったままで手は加えていないよ。そうさね。ガラスコーティングはよく割れて剥がれるからね」
帝冠から外されてここに至る過程で何かの要因で剥がれてしまうことは確かにあり得る。
「視てみれば分かる事じゃないか。レルジェ。あんたならね」
……確かにその通りだ。しかしそれでも私は逡巡した。ガラスコーティングが無いとすると、視えるわけだ。この石に触れた人の姿や声や想いが、分かってしまうかも知れない。そう。おそらく……。
ガーゼルド様が私の肩を抱いてくれた。
「別に、視なくても良いのだぞ。このまま皇帝陛下の所に持っていけば良い」
ガーゼルド様の言葉に、私は首を横に振った。
「いいえ。視ます。視させて下さい」
私は深呼吸して、左手でガーゼルド様の手を握り、右手をトパーズの方に伸ばした。指先が、トパーズに触れる。
瞬間。
「あ……!」
一気にイメージが流れ込んできた。目の前の、婆ちゃんの狭い店が一転して広い庭園に塗り変わる。
庭園に一人の人物が立っていた。まだ、若い。
白に近い金髪に、血の色のように赤い瞳。痩せていて、肌も白く一見して幸薄そうな感じがした。
宝石に例えようもないくらい真っ赤な瞳。間違いない。サイサージュ殿下だった。
殿下は私を、いえ、多分トパーズをにこやかにジッと見つめていた。しかし、やはりトパーズを通して私を視ているのだろう。
血色の悪い唇が開く。
「我が娘よ」
声が私の頭の中に直接響く。それだけにその時の彼の想いが、無念が、悲しみが、そして大きな愛情が、心に直接感じられた。
「愛しているよ」
愛している。そのたった一言で私の心は満たされた。なんで自分には親がいないのだろう。自分の親はなんで私を捨てたのだろう。どうして迎えに来てくれないのだろう。そういう心の空隙が私にもやはりあったのだ。
気がつけば私は泣いていた。ボロボロと涙を流してしまっていた。顔を手で覆い、嗚咽を漏らしていた。
「大丈夫か! レルジェ!」
ガーゼルド様が抱きしめてくれなければ、私は地面に突っ伏して子供のように泣いただろう。私は彼の胸に縋って、随分と長い時間泣き続けたのだった。
◇◇◇
宝石の記憶を視る事が出来る能力者同士の共感ではないかという事だったわね。あんな強烈な記憶の視え方は私も初めての経験だった。
帝冠のトパーズをすり替えたサイサージュ殿下は、ガラスコーティングを外し、娘に対するメッセージを残したのだ。トパーズには見事にそのメッセージしか残っていなかったわね。サイサージュ殿下が強力な魔力を注いだせいであるらしい。
なんとも手が込んだメッセージだ。あのトパーズがずっと私の手元にあれば、もっと早くに私がメッセージを受け取る事が出来たのだろうか? どうもそうは思えないのよね。この時、私が苦労して見つけ出したその時に、私にあのメッセージが届くようになっていた。どうもそんな気がしてならない。
トパーズは当然皇帝陛下にお返しして、宝石はすぐに本来の帝冠の位置へと戻された。代わりに、私にはすり替えられていたトパーズが皇帝陛下より与えられた。これもサイサージュ殿下が購入したもので、殿下の記憶が入っている。形見代わりという事と、私を非公式にサイサージュ殿下の娘と認めるという意味があるらしい。
トパーズの記憶でサイサージュ殿下は去り際に「さぁ、見つけられるかな?」と呟いていた。皇帝陛下に言ったのか、私に言ったのか。なんとも人騒がせな、お茶目な人であったらしい。我が父は。
私とガーゼルド様はその後、帝都郊外の離宮にルレジェンネ様を訪ねた。
名目上、私がサイサージュ殿下とルレジェンネ様の娘を「偽装」するので、内諾を得るためである。ルレジェンネ様が嫌がっても皇帝陛下の決定だから逆らえないので、本来はルレジェンネ様の許可は必要ない。
それでも皇帝陛下や皇妃陛下、ガーゼルド様やユリアーナ様が強く許可を得る名目での面会を勧めたのは、やはり私がルレジェンネ様の娘だと確定したからだろう。お互い母子の名乗りを上げる訳にはいかないけど、それでも会っておけというわけだ。
私とガーゼルド様の婚約の事情を話し、ルレジェンネ様の娘を偽装させて欲しいというと、ルレジェンネ様はあっさり頷いた。
「いいわよ。なんでも。私に面倒がなければね」
私は少しホッとした。また何か無理難題を言われるのではないかと多少恐れていたので。
「貴女が私とサージェの娘ねぇ? 全然どっちにも似てないけどバレない? 知らないわよ」
ルレジェンネさまはホホホっと挑発的に笑った。まぁ、確かに私はルレジェンネ様には似てはいない。強いて言えばサイサージュ殿下に似てると思う。
私はニッコリと笑って言った。
「お母様とお呼びした方がよろしいですか?」
「止めてちょうだい。例え貴女が本当に私の娘であっても、そんな呼ばれ方をしたら寒気がしてしまうわ」
ルレジェンネ様は大げさに身体を震わせた。
とりあえずご許可は頂いたので、後は当たり障りのない話をして、私とガーゼルド様は席を立った。最後まで私にはルレジェンネ様を母だと感じる事は出来なかったわね。まぁ、それで良いんだと思う。
お別れのご挨拶をして、部屋を出る寸前、突然背中から声が掛かった。
「しっかりやりなさい。私の娘」
思わず振り返ったけど、ルレジェンネ様は窓の外を眺めていて此方を見てはいなかったので、彼女がどんな表情を浮かべていたのかは分からなかった。
宝石令嬢は帝宮で銀色の夢を見る 宮前葵 @AOIKEN
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