第3話
夕食を食べ終えると、着替えを取りに行って、浴室でシャワーを浴びた。その間も少年の頭の中では様々な思索や仮定、情景が浮かんでは消え、なかなか考えがまとまらなかった。風呂から上がりキッチンで温かい紅茶を入れ、部屋に戻り、よたびベッドに背中をあずけて天井を見上げた。目をつむり、考える。
事故に遭った自分も、今ここにいる自分も、どちらも現実と仮定した場合、それを証明することは可能だろうか。
ドラマやアニメ、漫画等では、よく自分の頬をつねるという古典的な方法で、痛みを感じるとこれは現実だと判断したりする。逆に痛みを感じなければ夢ということになる。少年は試しに頬をつねってみた。面白くもない結果だった。少年はため息をつきながら顔を左右に振った。
事故に遭った自分を確認することは、今の自分にはできない。ただ、手足を失った痛みはたしかに感じていた。シートに挟まれた痛みも同様だった。古典的方法では、どちらも現実であり、夢ではないという結論になってしまった。しかし、夢の中でも痛覚を感じ得るということを本で読んだ記憶がある。古典的手法は非科学的であり、それで結論を下すのは早計なのかもしれない。
ただ、事故に遭ったことと、今部屋であれこれと思い悩んでいることの両方とも、現実ということはあり得ない。どちらかが夢で、どちらかが現実のはずなのだ。どちらかが偽りの記憶で、どちらかが正しい記憶のはずなのだ。
たしかに、どちらの記憶も鮮明で、五感で感じられる情報にも疑問を差し挟む余地がなかった。
事故に遭い、気を失ったあと、目覚めたのは自宅だった。そして学校へ行って友人と話をして、意識が遠のいた。次に目覚めた時、自分は病院にいた。病院で事故の原因の車を運転していた二十代男性の顔を思い浮かべ、激情に囚われ意識が弾けた。そして、許せないと叫び声を上げ、目を覚ました。そこは自宅の自分の部屋だった。それは今朝のことだ。この連続した記憶を自覚しているのは、今ここにいる自分だけだった。事故に遭った自分は、事故に遭ったことと病院にいることしか自覚できていなかった。学校で友人と話した記憶がなかった。そのため、あちらの自分は、自分の身に起こった凄惨な事故を夢ではないかと疑うこともなかった。すべてを記憶している今の自分だけが、どちらが夢でどちらが現実なのかと思い悩み、且つ疑っている。
常識的に考えると、今の自分の記憶の連続性に疑いを向けるべきだろう。事故のあとに病院で目覚める、その記憶の前に、自宅で目覚める記憶があるのはどう考えてもおかしい。しかし、その結論は、どうしても受け入れ難かった。あの事故を事実だとは認めたくはなかった。論理的ではない。感情論の産物なのも自覚している。それでも、どうか夢であって欲しいと望んでしまう。どうしようもないほどに。
事故に遭った自分は、受け入れ難い現実を前にして、無意識的に、平和で穏やかで、なんら変哲のない日常の夢を見ているのだろうか。
ただ、友人と言葉を交わした際に感じた恐怖、そして、繰り返しフラッシュ・バックする事故の瞬間の映像、それに、ここにいる自分が感じている違和感。これらの情報がなければ、気づかなかったのだ。逆にいえば、これらの情報があるからこそ気づいたのだ。気づかなくても良いことに気づいてしまったのだ。
今目にしている光景を少年は自覚できている。そして、自分に対して疑問を投げかけている。ここは夢の中なのではないか、と。なぜ夢だと思うのか、それは、唯一認識できていないこと、無自覚なことがあるからだ。学校で友人に尋ねた言葉、その中に一つだけ不確かなものがある。自分は、どのようにして、気を失っていたとされる保健室で目を覚まして自宅に帰ったのかという、記憶の欠如だった。
この
しかし、少年は考えてしまう。事故の元凶のあの男の顔は明瞭な像となって覚えている。名前はわからないが、手が届きそうなところまで近づいていた。友人は言っていた。その夢と同じ行動をしなければ、夢もまた違ったものになるかもしれんぞ、と。
今の自分はまだここにいて、父や母、そして妹も無事だった。ならば、今の自分にやれることは、まだ残されている。友人の忠告に素直に従って、松本市に行かなければいいのだ。事故現場へ行かなければ、事故に遭うこともなくなる。あの夢かもしれない現実を変えることができるかもしれない。
少年の目の奥に、常軌を逸した者特有の鈍い
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