第34-1話


 「シュエ、僕が全力を出すことを許可する」




「────こいつらを蹂躙しろ」

 



 鬱蒼とした森。

 曇天だからかまるで夜のように森の中は薄暗い。


 そんな中、カリナが顔を上げると、テオと思わしき声が響き渡った。すると、森の中にぽつんと佇む氷色髪の少女──シュエが歪な笑みをつくり。



「──死ん、じゃえ!」


 シュエが叫んだ直後、呼応するように足元が隆起すると氷の波が現れた。氷の波は賊の魔術師を何人か飲み込むと、そのまま氷漬けにする。辛うじて生き残ったのは、サルビア、鬼人の男と、照準に入っていなかったカリナだ。


 そして、サルビアたちが氷の波を対処したときには、シュエはもう精霊化していた。まるで『殻』を背負った巨大な氷の獣と一体化したような風貌。シュエは精霊化の状態で、カリナを助けるように駆け寄り──



「──させ、るかよッッッ!」



 不意に間に割って入ったのは、サルビアだった。

 サルビアが拳を握り、精霊化した氷の獣に叩き込んだ。破裂音のような盛大な音とともに、シュエが獣の足跡を残しながら後退していく。


 だが、カリナもその間隙を見逃すことはなかった。


「っ」


 サルビアの目が離れた隙に、カリナは地面から跳び起きるとバク転しながら離れていく。やがてシュエの隣に立つと、カリナはサルビアに向かって拳を構えた。


 サルビアはその光景を見て、口元に強気な笑みを浮かべる。


「あたしとやる気か、カリナ? お前らだけで止められるほど、あたしは弱くねえぞ?」

「それは……どうでしょうか」


 ずっと慕ってきた姉が敵として対峙している。

 その事実に、カリナは動揺したままだ。

 それでも、心の奥深くでいつも冷静な理性が勝手に口を動かしていく。


「姉さんは……私を守るために《天撃》をまともに受けたはずです。神を捨てた姉さんには、聖女としての強みはもうありません。強気に振る舞ってますが、実はもう限界が近いのでは?」

「さあ、そいつはどうだろうな。試してみるか?」


 サルビアが拳を握ってみせる。

 その振る舞いからは、とても弱ってるようには見えない。カリナの推測が外れているのか、あるいは虚勢を張ってるだけなのか──



「失礼する、《第二位》」




「──ここは一旦引くぞ」



 そこで割って入ったのは、鬼人の男だった。

 一瞬だけ、こちらを──いや、シュエの方に視線を放った後、サルビアを抱えて森の奥へと駆けていく。サルビアは虚を突かれたせいか、抱えられたまま喚き散らす。



「おまっ──なにしやがる!あたしはまだでき──」


 だが、その声も森の奥へとに消えていったことで聞こえなくなってしまった。

 その光景を見送って、カリナは大きく息を吐き出した。戦闘態勢で緊迫した状況が続いていたからか、予想以上の疲労を感じる。


 だけれど、ここで終わるわけにはいかない。

 

「無事のようだな」


 森の薄暗い闇から現れたのは、テオとイザベラだった。テオは手元に展開していた魔術を音もなく霧散させる。サルビアがあれ以上の攻撃を仕掛けてきた時の対策だったのだろうか。


 そんなテオに、カリナは真っ直ぐと視線を向ける。


「先生、お願いがあります」

「いいだろう、許可するよ」

「え」


 まだ何も言ってない。

 カリナがきょとんとした表情を浮かべると、テオはこちらの内心を察しているかのように言い放つ。


「追いかけたいんだろう、サルビア=ルドベキアを。なら追いかけろ。お前の読み通り、あの聖女にはそれほど力は残されていない。天撃もそうだが……力の根源たる神ともう繋がれないんだからな」


 聖女が聖女足り得る由縁。

 それは、神の寵愛を存分に受けられることだ。

 だが、今のサルビアは神を裏切った。もう寵愛を受けられることはない。既に変質してしまった身体にどれだけ神の力の残滓があるかは不明だが、それでも今のサルビアは普通の魔術師より強い程度のレベルだ。


 法外に強いわけではなく、もう世界最強クラスではない。

 ならば、今のカリナでも勝機はある。


「ただ、こいつらと一緒にいけ。お前一人じゃ無理だ」


 テオが指し示したのは、イザベラとシュエだった。二人とも多少の疲労はあるものの、まだまだ戦えそうだ。


「ほら、あんたにはこれ」


 イザベラが放り投げたそれを、カリナは慌ててキャッチする。イザベラが投げ渡したのは、聖水が入った三本の増強剤だった。ストックはサルビアに捕らわれた際に全て破壊されてしまったが、カリナは今日はまだ二回しか使っていない。《過剰強化》の回数はまだ残っている。


「先生は?」

「僕はやることがある。だからお前たちに任せる」


 やること。

 それが何を意味するかはわからなかったが、テオにそう言われれば納得するしかなかった。


「わかりました。では、私たちは姉さんを追いに──」

「その前にちょっと待て」


 背を向けようとしたカリナに、テオは声をかける。


 この間にも、サルビアたちは先に行っている。

 それに、もう情報は十分手に入っているはずだ。

 だからこそ、カリナは引き留めるテオの言葉に眉をひそめていたが。


「──────」


 続けてカリナにしか聞こえないように耳打ちされた言葉に、思わず息を呑んだ。


 はっ、と顔を上げてテオを見やる。

 様々な感情が心の中を渦巻き、口をぱくぱくとさせるものの、言葉として音は出てこなかった。

 やがて多少の落ち着きを取り戻した後、カリナは怒気を混じらせながら声を漏らす。


「……本気言っているのですか?私がそうするべきだと」

「ああ、本気だ。それとも、お前こそこのままでいるつもりか?」


 テオと視線が交錯する。

 だけれど、テオの問いに、カリナは答えられない。自分がどうしたら良いのか、まったくわからない。


 だが、テオの言葉はどうしようもなく正論で。


「……時間がありませんから。先に進みます、先生」


 だからこそ、カリナは答えを決める前にテオに背を向けて歩き出した。


 この場に留まっていてもきっと答えは得られない。カリナが歩むべき道は、サルビアと対話しなければ決められなかった。




 カリナは進む。

 その道の果てに、どんな結末が待っているかも知らずに。

 



◇ ◇ ◇



「この辺でいいだろう」


 鬼人の男はカリナたちから充分に距離を取ったことを確認すると、サルビアをぞんざいに放り出した。

 

 サルビアはされるがままに、森の地面の上を転がる。やがて木にぶつかって止まると、むくりと拗ねたような顔で起き上がる。


「あたしはまだやれた」

「わかっているとも、《第二位》。だが、テオ=プロテウスを警戒したほうが良いと言ったのはあなただ。今のあなたは全盛期の三割にも満たない」


 《聖女》サルビア=ルドベキア。

 神との接続を得られた状態であれば、天下無敵。

 だけれど、今はその残滓に縋っているだけでかつての力には程遠い。


「もう一度カリナ=ルドベキアを捕らえる体力は我々にはない。今回の任務は失敗だ。だが、負けではない。我々が生きていれば、また機会が巡ってくるはずだ」

「そんな猶予があるかわからねえけどな」


 自嘲的な笑みを浮かべなから呟くサルビア。

 鬼人の男はそんな彼女の表情でおおよそを把握する。


「……あったのか、あの聖女の庭園に?」

「ああ、これ以上のない証拠がな。お前らが暴れてる隙に見つけたよ。あたしたちの考えは合ってたわけだ。……!」


 サルビアの悔恨の表情に、鬼人の男は息を呑む。

 予想は最悪の方向に転がった。

 だが、同時に、この元聖女を一層ここで失うわけにもいかなかった。


「……だとしても、我々は機をじっと窺うしかない。この結末は最悪の一つとして予想していただろう。切り札を使うなら話は別だが……将来に対するリスクが高すぎるのはわかっているだろう?」

「そりゃそうだけどな」


 サルビアは悲しそうに笑みを浮かべる。

 子供のようにころころと感情を剥き出しにする姿は、必ずしも組織の上層部として相応しい振る舞いではない。

 しかし、だからこそ彼女についていきたいと思う者は多いのだろうが。


「で、お前はどうするつもりだ?」

 

 サルビアがあぐらをかきながら見上げてくる。

 その目は、どこかこちらを見透かすようだった。


 何を考えているかなんてもうわかっているのだろう。鬼人の男は先程まで進んできた方へと向き直る。


「私はここに残る。足止めは誰かが務めなければなるまい。それに、今回の目標にはなかったが……あの方がいる」

「そっか」


 サルビアは優しそうな笑顔を浮かべる。

 

「お互い大変だな。守りたいやつがいるってのは」

「ああ、その通りだ」

「じゃあ、あたしは撤退する。今度はカリナ相手にも手を抜くなよ」

「手を抜いたつもりはないのだがな……」

「死ぬなよ」

「善処しよう」



 それが、この場における二人の最後の会話だった。


 サルビアは森の奥へと去っていく。

 鬼人の男はそれを見送ると、大きな石の上に腰を下ろした。目を閉じると、情景が頭の中に浮かび上がってくる。幸せに満ちていた、かつての光景が。


 鬼人の男は静かに口を開く。

 誰にも聞こえていないことは、百も承知で。



「我らが姫をお救いしよう、貴方との約束を果たすために」


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