第一章 奮起するドキュメンタリー作家

第1話 企画書の作成

 パソコンの青白い光が、夜更けの狭いワンルームを照らしている。彼女は壁一面に貼られた新聞記事や写真を見上げ、ため息をついた。


「フリーランスになって三年目かあ……」


 名刺入れを取り出す。そこには「ドキュメンタリー作家・月影つきかげみお」と印刷されている。三十二歳。まだ大きな実績はない。でも、この町で何かを見つけられる。彼女はそう確信していた。


 壁には、澪がこれまで手がけてきた作品のポスターが貼られている。「廃墟の真実 ~都市開発の影で~」「消えた村 ~ダム建設と地域の記憶~」


 ふと、澪の目は画面に映るかげみ町の過去の新聞記事に釘付けになる。


「連続失踪事件、未だ謎のまま」(一九九三年八月十五日付)


 何気なく貼ったこの記事が、彼女の好奇心に火をつけた。澪は最近、自分の故郷に似た小さな町で起きた不可解な出来事に関心を持っていた。この記事はまさにそのテーマに合致していた。時計の針が深夜二時を指す。澪が疲れた表情で伸びをすると、過去の記憶が蘇ってきた。


 大学時代の記憶が鮮明によみがえる。映像制作サークルでの活動、カメラを手に取った瞬間の高揚感。そして、指導教官との忘れられない会話。



「澪さん、あなたには人の心を掴む才能がある。でも、時には危険も伴うかもしれない」

「覚悟はできています。真実を伝えるのが私の使命だと思うんです」



 その決意は、初めてのドキュメンタリー制作で更に強まった。地元の高齢者にインタビューする中で、澪は人々の声なき声を拾い上げることの大切さを知ったのだ。



 翌日、渋谷のカフェ。割と騒がしい店内で、澪は制作会社のプロデューサー、高野と向き合っていた。


「かげみ町? あそこは取材お断りで有名だぞ」

「でもほら、この動画を見てください。絶対に何かがあるはず」


 澪がタブレットを差し出すと、高野は興味深そうに画面を覗き込んだ。不思議なことに、その瞬間、カフェの喧騒が一瞬静まり返ったように感じる。


「へぇ、面白そうだ。企画書を作ってくれ。ただし、証拠はしっかりな」


 澪の心臓が高鳴った。(チャンス。絶対に成功させなければ)



 東京都立図書館。古い書架の間を縫うように歩きながら、澪はかげみ町に関する資料を探していた。


 ようやく見つけた古い地方新聞のマイクロフィルムを、彼女は食い入るように見つめる。


「影美炭鉱、ついに閉山へ」(一九六五年)


「かげみ町の主要産業だった炭鉱が閉山。町の存続が危ぶまれる」


 メモを取りながら、澪は背後に視線を感じて振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。


「かげみ町に関する最近の資料、これ以外にありませんか?」


 澪の問いに図書館員は首を傾げた。


「あれ? 確かあったはずなんですが……」



 真夜中のアパート。澪はパソコンに向かい、企画書作成に没頭していた。画面には大きく「封印された町の真実 ~かげみ町七日間の記録~」のタイトルが踊る。


 企画書にはかげみ町の概要が詳細に記されていく。人口、地理、主要産業……。そして、過去の失踪事件の詳細。日時、被害者数、捜査状況。現在報告されている怪異現象のリスト。最後に、取材計画と予算案。


 疲労が澪を襲う。彼女は机に伏せ、いつの間にか眠りに落ちた。


 夢の中。澪は真っ暗な森の中にいた。かすかに人の影が見える。近づこうとすると影が消え、代わりに耳元でささやき声が聞こえる。


「来ないで……ここには来ないで……」


 冷や汗をかいて目を覚ました澪は、ゆっくりと窓の外を見る。月明かりに照らされた木々の影が、不気味に揺れていた。


(これは……何かの前触れ?)


 澪の心に、期待と不安が入り混じる。かげみ町の取材で、彼女は一体何を見ることになるのだろうか。答えはまだ見えない。しかし、真実への渇望が、澪の心を強く突き動かしていた。


 夜明けが近づく。新たな一日が始まる。澪は深呼吸をし、もう一度企画書に目を通す。この企画が通れば、彼女のキャリアは大きく動き出すかもしれない。しかし同時に、未知の危険が待ち受けているかもしれないという予感も、心の片隅でうずいていた。


 澪は立ち上がり、窓を開けた。冷たい朝の空気が顔に当たる。彼女は目を閉じ、決意を新たにした。


(どんな真実が待っていようと、私は必ずそれを明らかにする)


 そう心に誓いながら、澪は新たな朝を迎えた。企画書は完成した。彼女の旅が始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る