無気力社畜、異世界転職フェアに放り込まれてみた!(1)
土曜の朝の新宿は、戦の前みたいにざわついていた。駅の東口から地上に出ると、ビルの谷間を吹き抜ける風がポスターをはためかせる。
「異世界転職フェア in 新宿」
――でかでかと印刷されたその文字の下に、ドラゴンのシルエットと握手するスーツ姿の人間が描かれている。嘘みたいだが、現実だ。
俺――中村翔太、無気力社畜。今日はなぜか、勇者と元魔王軍参謀と一緒に就職イベントへ来ている。
「中村殿、見よ! 人界と異界の盟約の門だ!」
金髪をポニテに結んだライナが、入口ゲートのアーチを指さしてはしゃいでいる。白いパネルに「ようこそ異世界就職市場へ」とある。係員が首から提げるストラップは、色で来場者の種別が分かれているらしい。
青が人間、緑が“魔法使い系”、赤が“ドラゴン・獣人系”、紫が“魔族系”、そして金が“勇者・聖職者”。どうしてそんなカテゴリが成立しているのか、社会の適応速度はたまに恐ろしい。
「受付はこちらです。職種希望は当日変更できますよ」
事務的な声で案内するのは、首から“翻訳の加護(オートインタープリタ)稼働中”と書かれたバッジを下げたスタッフだ。俺とライナ、それから黒ベストにネクタイ姿のヴァル――今やファミレスの店長候補――は、言われるままにタブレットで事前登録を済ませる。
画面には“保有スキルを選んでください”の文字。選択肢がやばい。「剣術」「光魔法」「炎吐き」「精霊交渉」「会計」「Excel」「在庫最適化」「クレーム鎮圧」「残業回避」……最後の二つは現代の闇が濃い。
「中村、ここは『Excel』『差分可視化』『会議中の冷や汗耐性』だ」
「そんなスキル欄あるかよ……いや、ある……」
ライナは当然のように「剣術」「聖属性耐性」「勇気」をタップ。ヴァルは「兵站管理」「人員配置」「オペレーション設計」「クレーム三段対応」。タブレットがぴこんと鳴って、三人分の名札がプリントされる。「来場者:一般」「来場者:勇者」「来場者:魔王軍(元)」の文字。カオス以外の言葉が見つからない。
ホールに入ると、そこは異界の市場だった。左手には“スキル換算エージェント”の巨大ブース。『火吐き→溶接・焼却業務』『風魔法→空調ダクト清掃・災害ドローン操縦』『結界→セキュリティ業界』など、魔法を現代職に変換するマトリクスが光る。右手には“労働法入門セミナー”のステージ。スクリーンには“魂の契約は無効です”の大文字。会場のどこからか「えっ無効なの!?」という悲鳴が上がって笑いが起きた。
ドラゴン族の青年が、胸を張ってブースの担当者に訴える。
「俺は薪を一瞬で灰にできる! どうだ!」
担当者はうんうん頷きながらタブレットに打ち込み、
「産廃熱処理の資格講座とセットでご紹介できます。法令順守は大事ですからね。」
隣では、手のひらサイズの妖精が「週三十時間以内が希望で……花粉の季節は休みが多く……」と真顔で労働条件を交渉していた。世の中は思ったよりちゃんと回るのかもしれない。
「ヴァル殿、あれは何だ?」
ライナが指さした先には、“ブラック企業判定所”のテントがあった。入場口でノベルティの耳栓を配り、テスターが“残業代未払い”“固定残業超過”“魂の担保”などのチェック項目を読み上げる。テントの前で角の小さい小鬼が震えていた。
「魂は……担保に、できないのか……」
「できません(法的にも倫理的にも)」。
スタッフの即答が気持ちいい。
中央のハブには、地図とタイムテーブルが掲示されている。“勇者・聖職者のためのキャリアパス”“魔族幹部のマネジメントを“人間界”で活かす”“ドラゴン族の口腔ケア”“現代日本での休憩の権利”。プログラムが鮮烈すぎて目が滑るが、俺の視線は隅のほうの小さなセッションで止まった。
“無気力系社会人のための“疲れない働き方””。
講師:産業医。場所:C-4。
「中村、これだ」
ヴァルが俺の肩を軽く叩く。
「お前のジョブクエストだ」
「やめろRPG用語で追い詰めるの」
まずは全体を回ろう、と決めて歩き出す。ブースの一つに“スキル評価ミラー(簡易鑑定)”があり、手をかざすとステータスが出るらしい。半信半疑でやってみると、空中に文字が踊った。『集中力:B−』『継続性:A』『逃避力:S』『人畜無害:SS』『責任感:揺らぎ』。
「最後の評価ひどくない?」
ライナが爆笑している。彼女がやると『勇気:A』『冷静:C』『直進力:S』『方向音痴:A』が出た。方向音痴はどこで計測した。
ふと、会場の片隅で、古びた革の鞄を抱えた老人が小さなブースを構えているのが目に入った。“記憶の翻訳屋”。
「写真一枚を、履歴書の自己PRに変えます。」
老人の前で、異世界から来たらしい男が、焦げたマントの切れ端を差し出していた。
「これが、故郷の最後の夜の匂いで……」
老人は静かに頷き、ノートにさらさらとペンを走らせる。
「『最後の夜に、私が守ったのは焚き火ではなく、隣にいた仲間の震える手でした』――この一行を、あなたの“リーダーシップ経験”に移し替えましょう」。
胸が少し熱くなる。ここには、ちゃんと“物語を職務経歴に翻訳する”人がいる。
少し歩くと、黒い幕で囲われたブースから甘い声が聞こえた。
「週六勤務、宿舎完備、従魔貸与、魂の前払い……」
出た。“異世界ブラック企業”だ。入口には“魔界金融グループ協賛”の札。ライナが剣の柄に手を伸ばしそうになったので、俺とヴァルが左右から止める。「ここはフェア会場、決闘禁止」「決闘は概ね禁止です。」スタッフの注意書きがすかさず飛ぶ。代わりに、“法務ボランティア”の赤いベストを着た人たちがそっとチラシを手渡している。「困ったら相談を」。この世界も、悪い手と良い手が同じ通路に並んでいる。
「そろそろセミナー一本、観るか」
ヴァルの提案で、“休憩の権利”のミニ講義に座る。講師は眼鏡の産業医だ。穏やかな声で、具体例から入る。「あなたが勇者でも、八時間働けば休憩は必須です」「魔法の消耗は“疲労”に該当し、回復時間は“休憩”として保護されます」「『世界が危ない』は免責になりません」。会場がどっと笑う。スライドの最後に“休むことは義務です”と出た。義務。救われる言葉だ。俺はメモ帳に丸を書き、二重線で囲んだ。
休憩スペースでサンドイッチを齧っていると、ふいに背後から声が飛んできた。
「中村さん?」
振り向くと、うちの会社の後輩、小田さんが立っていた。首から青いストラップ。
「先輩も来てたんですね! 私、友達(エルフ)に付き添いで……」
その横から、銀髪で耳の長い女性がぴょこんと顔を出す。
「はじめまして、シェリと言います。木工魔法が得意で……森林管理とか、家具工房とか、興味があって」
ライナが瞬時に握手を交わす。
「我は勇者ライナ。森の民よ、良い風が吹くブースを案内しよう」
ヴァルはパンフを三枚取り出し、矢継ぎ早に並べた。
「公的資格の講座がある。安全教育を先に受けると現場に入りやすい。あと、労災の仕組みは必ず知っておけ」
シェリは真剣に頷き、小田さんは「先輩、なんかいつもより頼もしい……」と笑った。いや、周りのキャラが濃いだけだと思う。
午後のハイライトは、“模擬面接キャラバン”だった。希望者が簡易ブースで五分の面接を受け、アドバイスをもらえる。ライナが真っ先に手を挙げる。
「面接、受ける!」
止める間もなく、彼女は椅子に座り、面接官(たぶん人材会社の人)の前で背筋を伸ばす。「志望動機は?」――沈黙。ライナの目が泳ぐ。戦場なら一歩目が出るのに、ここでは言葉が出ない。俺は心臓がきゅっと縮むのを感じた。彼女は勇者だ。でも、言葉にする訓練は受けていない。面接官が助け舟を出す。「誰かを助けたときの話を」ライナは小さく息を吸い、言った。
「仲間が、夜に泣いていた。私は剣を抜かず、朝まで隣にいた。魔物は来なかった。だから、私の仕事は成功だった」
静かに、面接官が頷く。
「その話、すごくいい。『状況判断』『待つ力』『伴走』に分けて伝えましょう」。
プリントに三つの見出しが印刷され、手渡される。ライナが目を丸くして俺を見る。俺は親指を立てた。勇者の物語は、面接の言葉にも変換できる。
夕暮れが近づくと、ステージ上で“合同閉会アナウンス”が始まった。
「本日はご来場ありがとうございました。帰るまでが転職フェアです」。
会場の笑いに紛れ、俺は深く息を吸う。胸の内に、さっきの産業医の言葉が残っている。休むことは義務。たぶん俺は、今日それを“許された”のだ。定時退社の夜に味わった空の明るさみたいに、ここでも小さな明かりを受け取った気がする。
「中村、次はどこを見る?」
ライナが覗き込む。ヴァルは腕時計を見て、「C-4の“無気力系”が最終回だ」と告げる。シェリと小田さんも「一緒に行っていいですか」と並ぶ。俺は頷いた。ようこそ異世界就職市場へ。ここは、誰かの物語が仕事に翻訳され、誰かの傷が制度で支えられる場所だ。俺の物語も、いつかきっと――翻訳できる。そう思いながら、俺は次の会場へ歩き出した。
C-4に向かう途中、俺たちは“ATS対策講座”という小さなコーナーに足を止めた。履歴書のデータを機械が読み込む時代、キーワードがないと検索に引っかからないという。講師が言う。「たとえば『頑張った』は検索に弱い。『在庫最適化』『欠品率2%改善』『クレーム初動3分以内』など、数字と名詞で書くと強い」。ライナが眉間にしわを寄せる。
「勇気は数えられぬが」
「数えられる言葉に翻訳すればいい。『退避を選択、負傷ゼロで撤退成功』とかね」
彼女は目を瞬かせ、ゆっくりとメモを取った。横でヴァルが囁く。
「数値は盾だ。交渉のとき、心を守る」
俺はその言葉をそっとポケットにしまう。
ノベルティ配布の島では、各社が妙な景品を配っていた。ドラゴン耐熱ミトン、妖精サイズの名刺ケース、魔族向け完全遮光アイマスク。“勇者お守り”と刺繍された反射バンドを手に取ると、係の人が微笑んだ。
「夜道で光ります。あなたの夜が少しでも安全でありますように」
安物の布なのに、不思議とじんわり効く。こういう小さな気遣いの積み重ねが、世界をゆっくり良くするのだろう。
出口付近では、就活カメラマンが撮影会をしていた。背景布の前に立つのは、さっきのドラゴン族の青年だ。熱で歪む息を抑えるために氷嚢を頬に当て、笑顔の練習をしている。
「歯は見せすぎず、眼光は優しく」。
写ったプレビューには、ちょっと誇らしげな若者がいた。火を吐く口で、これからは「いらっしゃいませ」を言うのかもしれない。世界は可塑だ。
最後に、俺はひとりで休憩スペースの端に立った。遠くでセミナーの拍手が弾け、天井の照明が夕方色に変わり始める。俺はこのまま会社に残るのか、いつかどこかへ移るのか。答えはまだない。でも、今日、確かに見た。ライナが言葉を見つけ、ヴァルが理を重ね、シェリが未来に手を伸ばす瞬間を。その全部が、俺の背中を少しだけ押す。転職はしなくてもいい。けれど、働き方はいつでも少し変えられる。そんな当たり前を、ここでもらった。
アナウンスが流れ、閉場の音楽が鳴る。
「本日のご縁が、あなたの明日を軽くしますように」。
出口でもう一度、係の人と目が合った。俺は会釈を返す。ビルの外に出ると、新宿の風が少し冷たかった。ポケットの中で、反射バンドが小さく鳴った気がした。
「行こう」
俺が言うと、ライナが
「次のクエストへ!」
と拳を上げ、ヴァルは
「まずは夕飯」
と現実に引き戻した。笑ってしまう。異世界就職市場の外でも、俺たちの生活は続く。そういう当たり前が、今日はやけにありがたかった。
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