第19話

「ごちそうさま」

「あ、ユーリス」

 

 あれからもユーリスは朝昼晩とご飯の時には必ずダイニングに顔を出す。けれどご飯を食べ終わればすぐに席を後にする。それだけなら忙しいのだろうとしか思わないのだが、こうも毎度毎度毎度毎度一切視線が合わないというのは不自然すぎやしないか!

 

 私は大人に戻ったユーリスとも仲良くできればって思ってるのに、彼の方は違うようだ。

 幼児化したユーリスには関わるなって約束を破ったから以前より距離が遠のいた……と言い切れれば私もこんなにモヤモヤとした気持ちにはならない。


 ただ約束破った私を嫌いになったなら、今からなんとかして好感度回復に努めるしかあるまいと模索すればいいだけだ。

 だが違うのだ。

 ユーリスから視線は合わせないぞという徹底した心意気すら感じるほどに視線は合わない。けれどユーリスからの視線は感じる。

 それも頻繁に。

 私が顔を上げればそれはどこかへ行ってしまっているものの、何度も感じているし気のせいではないはずだ。

 

 つまり彼はまだ私への興味がそこそこはあるのだ。

 それも見られて嫌だと感じることはないから、彼の視線にこもっているのは嫌悪感とかそういうマイナスの感情ではないのだろう。少なくとも私はそう思いたい。

 

 だからこそ困っているのだ。

 

「……今回もちゃんと残さず全部食べてる」

 

 なんとか話すタイミングをと思い、2週間ほど前からシェフに頼んで一品だけ私の作ったものを食事に出してもらっている。

 

 出すのは決まって私の畑で出来た野菜を使ったもの。

 

 すぐにユーリスが立ち去ってしまうのと、日によっては食事の時ですら紙の束を忙しなくめくっているため、会話まで発展できていない。けれど彼は毎日私の作ったそのお皿を空にしてくれている。そもそもユーリスが基本的に出されたものは残さず食べるからだろうけど、嬉しいものは嬉しいのだ。

 

 特に今日はニンジンを使ってグラッセを作った。

 子どものユーリスが甘いと言ってくれたニンジンと同じものを使った。

 今のユーリスに幼児化した時の記憶がないのは分かっている。

 けれどまたあの時のように話せればってそう思ったのだが、上手くはいかなかった。

 

 

 仕方ない。

 次に期待しよう。

 

 

 気を取り直して、今日のお昼は何を使おうかなと昼の一品に使う野菜を花壇で吟味していると、コンコンコンと控えめのノックが部屋に響く。

 

 首から下げたタオルで軽く汗を拭いながらドアを開くとそこには初めて会った日と同じ黒いコートに身を包むユーリスの姿があった。

 

「ユーリス!? どうかしました? あ、イチゴ食べます?」

 会話したいとは思っていたものの、こうも予期せぬタイミングに来られるとすぐには話題が出てこないもので、手近な位置にあったイチゴをいくつか収穫して目の前の彼へとずいっと差し出す。

 

 子どものユーリスならともかく今のユーリスは大人なのだ。

 用があるからわざわざ足を運んだのだろうに、話を開始するよりも早くイチゴを差し出すなんて何をしているんだと自分でも思う。

 

 だがユーリスは私の手にあるイチゴを摘むと口の中に放り込む。

「うまいな」

「あ、ありがとうございます」

 

 よほど気に入ったのか私の手の上にあったそれらを全て口の中に収めると、ユーリスは本来の目的を思い出したかのようにビクッと体を揺らした。

 

「私は研究発表会に出席するためにこの屋敷を数日留守にする」

「研究発表会……」

 そう口に出すと、もうあれからそんなに月日が経ったのかと寂しさが私の心へとズッシリのしかかる。

 

「私が留守の間に実家に帰ろうとは思わないように」

「思いませんよ」

「ならいい」

 

 目を細めたユーリスが何を思っているのかはわからないが、思えば私はこの1ヶ月ほどほとんど実家の家族のことを思い出すことはなかった。

 今度はどれをどう調理しようか、ユーリスは気に入ってくれるだろうかとそればかりで、寝ても覚めても頭を占めるのはユーリスのことだった。

 

 まるで恋でもしているみたいに。

 

「ユーリス」

「なんだ?」

「髪、結ってあげます」

「あ、ああ」

 久しぶりの会話に私は浮かれてユーリスの髪へと手を伸ばす。

 急に伸ばした私を手に驚きを見せはするものの、拒絶はしない。

 柔らかくて指通りのいい銀の糸のような髪。

 手櫛で簡単にまとめられるその髪を彼の左肩で一本の長い三つ編みにする。

 ユーリスはポケットから緑色の組紐を出すと、編み終わるまでの間、暇そうに指先を擦りあわせるようにして組紐をクルクルと回していた。

 

「貸してください」

「ああ」

 

 2〜3センチ残して編み込んだそれを紐で括る。そして完成したそれを眺めながら、我ながら上手くできたのではないだろうかと自画自賛する。出来に納得した後で、私はユーリスの顔を見上げる。

 

「いってらっしゃい、ユーリス」

「いってきます」

 

 こんなに近くで顔を見るの久しぶりだなと思いつつ、またこの距離で話せることを嬉しく思えた。

 



 ユーリスといい雰囲気で別れたのは昨日の朝のこと。

 研究発展会から帰ってきたら、ユーリスも少しは忙しくなくなるだろうし、食事中に何気ない会話でも出来るんじゃないかと浮かれていた。

 

 ――ほんの数分前までは。

 

 

「ヤバイ、これはさすがにヤバイ!!」

 なぜか花壇の土の上に置かれていた? 放置されていた? 水晶を割ってしまったのだ。

 

 そう、あの水晶をである。

 私の前にあるのは勢いよく振り下ろされたクワによってバリバリに割れた土と色が同化した水晶。

 元々は空の青が透けたみたいな色だったのに、なぜこんな紛らわしい色で、よりによって土の上にあるの!! と突っ込みたいが突っ込む相手はすでに一つの本体を複数に分けてしまった後である。そもそも水晶相手にツッコミを入れたところでどうにもならない。

 それに浮かれてちゃんと土と向かい合わなかった私にも非はある。それは花壇にも作物にも土にも水晶にも申し訳なく思う。

 

 だが今一番大事なのはそこではない。

 

 この水晶をどうするかである。

 パッと頭に挙がった選択肢は3つ。

 

 1.隠す。

 2.くっつける。

 3.ちゃんとユーリスに謝る。

 

 なのだが、隠したところでどうせバレるし、水晶くっつける手段なんてしらないし、実質とれる選択肢は3のみだ。

 ユーリス、水晶大事にしてたし多分怒られるだろうな。いや、怒ってくれればいい方か。

 

「はぁ……なんか一歩近づくたびに3歩ほど下がっている気がする」

 何が繁栄の妻だよとため息を吐きながら、私を選んだ水晶の散り散りになったボディを回収しようとその1つを拾い上げたその時だった。

 

「え!?」

 散り散りなっていたはずの水晶が一斉に浮かび上がった。

 土色から本来の空色へと色を変え、私が叩き割った事実などなかったようにくっ付き、接合部さえもなかったことにしてしまう。

 

 目の前の光景を惚けて見ていることしか出来なかった私は修復を終了した水晶からのアナウンスによって意識を引き戻された。

 

『ルピシア=シェガールの魔力を感知致しました』

 

 無機質なその声が途切れると同時に水晶は真っ白な光を放つ。

 私はあまりの眩しさに目を瞑った。

 

  まぶた越しに強い光がなくなったと判断し、目を開くとそこにあったのは見慣れた花壇ではなかった。

 いや、正確には今目の前に広がっている光景の方が見慣れたものだ。

 なにせそこにあるのは私の実家の畑なのだから。

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