第27話

「あたし、結菜先輩が好きなんですよぉ」


 俺は吹き出した。予想だにしない回答だったからだ。


「そんなに驚くことないじゃないですか」

「いや、驚くは。女が女を好きって」

「先輩だって男なのに男が好きなんですよね」

「…………」


 確かにそういうことになっているんだった。俺は額から噴き出した汗をハンカチで拭った。


「だから先輩は同志だって思ってます」


 なるほど。そういうことか。同性愛者同士ということで、妙に懐いてきていたのか。


「それって勿論恋愛的な意味でだよな」

「当たり前じゃないですかー」


 若月は唇を尖らせて不満をあらわにする。


「結菜先輩は女子から見てもすっごい可愛いし、見ていて癒されるんですよね」


 久世の推薦だからと油断していたが、こいつはとんでもない怪物なのかもしれないな。

 俺は咳払いを一つ挟むと、真面目な表情を作り若月に向き合う。


「先に言っておくが、結菜は同性愛者じゃない。想い続けるのは好きにしたらいいと思うが、その恋は叶わないと思うぞ」

「別にいいですよぉ、そんなの」


 意外にも若月はあっけからんと言ってのけた。


「見ているだけで幸せなんですよぉ。だから野蛮な男と付き合ったりしなければそれでいいです」


 その若月の言葉を聞いて、俺は背中に冷や汗が流れるのを感じる。

 これ、俺が結菜のセフレだったってバレたら刺されるんじゃないのか。


「その点先輩なら安心ですよぉ。男の人が好きなら結菜先輩に手出しませんもんね」

「ま、まあな」


 俺の表情はきっと引きつっていたことだろう。若月が言葉を発する度に俺は恐怖が俺の心を支配する。

 だが、言っておかなければならないこともある。


「好きなのは自由にしたらいい。だが、尾行はやりすぎだ」

「それは反省してます。ごめんなさい」


 殊勝に頭を下げる若月に、俺は苦笑しながら釘を刺す。


「今後こう言うことがあったら結菜にお前の気持ちバラすからな」

「それだけはやめてください。わかりました。もうしませんから」


 これだけ言えばとりあえずは大丈夫だろう。あとは結菜にセフレだったことを絶対に口止めしておかないとな。


「あたし、男の人は苦手なんですけど、なんだか先輩とは上手く付き合っていけそうです」

「久世のことも苦手なのか」

「久世先輩も苦手ですね。なんだかすっごいあたしのこと買ってくれてるみたいなんですけど、正直生徒会に結菜先輩がいなかったら断ってました」


 若月は苦笑しながらケーキを口へ運ぶ。

 俺はコーヒーを啜りながら、若月の様子を見る。今回の若月の暴走ははっきり言って想定外だった。若月が結菜のことを好きなことも、俺にとっては予想の範囲外でこういったことも起きるのかと驚いている。若月には釘を刺したが、今後は俺が若月の監視役として目を光らせた方がいいだろう。


「確認なんですけど、結菜先輩って付き合ってる人とかいないんですよね」

「いないみたいだぞ」


 好きな人がいるということは伏せておく。若月はその答えが聞けると満足したように頷いた。


「結菜先輩はみんなのアイドルなんです。男と付き合ったりしたら相手の男を刺してあたし死にます」

「さすがに冗談だよな」

「やだなぁ、本気ですよぉ」

「…………」


 やっぱりこいつ怖い。結菜と付き合ったことはないが、セフレだったことは絶対に若月に知られるわけにはいかないな。


「先輩も兄妹なら結菜先輩の最新情報、期待してまーす」

「あまり期待するなよ。他愛のないことしか教えてやれん」

「えっと、じゃあ結菜先輩の好きな食べ物とか教えてほしいです。今度作って持っていきたいんで」

「いや、知らないな」

「じゃあ聞き出してきてください」


 若月の要求を聞く道理はないのだが、ある程度欲求を満たしておかないと何をしでかすかわからんからな。


「わかった。できるだけ聞き出す努力をしよう」

「わーい、ありがとうございまーす」


 それからしばらく喫茶店で時間を潰し、若月と分かれた。

 家に帰ると、結菜が心配そうな表情で俺を出迎える。


「遅かったね」

「いや、忘れ物を探すのに手間取って」

「ふーん、ごはんできてるよ」


 俺は手を洗い、リビングへ移動する。テーブルの上には、餃子と麻婆豆腐が並んでいた。


「いただきます」


 手を合わせて箸を取る。餃子を口に運ぶと、パリッとした食感が口に広がる。


「美味いな」

「私が作ったからね」


 結菜が自慢気に胸を張る。帰ってから夕食づくりを手伝ったのだろう。何もしなかった俺は少し申し訳ない気持ちになる。


「すまんな」

「いいよ別に。今度は一緒にやろうね」

「ああ」


 麻婆豆腐は中辛で、俺も結菜も食べられる味付けだった。俺はもっと辛いのが好みだが、作ってもらっている以上文句は言えない。

 こういう夕食のタイミングでこそ、若月に頼まれたことを聞き出すチャンスだと思い、俺は結菜に質問する。


「なあ、結菜の好きな食べ物ってなに?」

「どうしたのいきなり」

「いや、家族になったし、お前のこともこれからいろいろ知っていきたいと思ってな」


 そう言うと結菜は少し頬を染めると、照れくさそうに頬を掻いた。


「へー、いい心がけだね。うん、いいよ。教えたげる。私の好きな食べ物は唐揚げ」


 そう言って結菜は餃子を口へ運ぶ。確かに唐揚げが嫌いな奴はいないだろう。


「屋台とかで出る唐揚げ美味しいよね。自宅で作るやつも好き」


 とにかく唐揚げだったらなんでもいいようだ。


「で、穂高は?」

「へ?」

「私が答えたんだから穂高も教えてよ。私だって穂高のこと知りたいんだから」

「あー」


 まあこれは結菜の言う通りだな。


「俺は辛いものが好きだ」

「ああ、確かに。カレーとかも辛いの食べてたもんね」

「刺激が欲しくなるんだよ」

「でも辛いは味覚じゃないんだよ。痛覚だって言われてる」

「それは知ってる」

「痛いのが好きだなんて、穂高ってひょっとしてM?」

「違うのはお前が一番知ってるだろうが」

「隠してたのかと思って」


 俺と結菜は何度も体を重ね合った。当然、お互いの性癖も熟知している。俺はいたってノーマルだし、特殊な性癖も持ち合わせてはいない。


「でも、辛いものか。私とは真逆だね」

「お前は辛いもの苦手だもんな」

「マジで無理」


 結菜は舌を出しながら顔をしかめる。

 まあこれで若月からの依頼は完了だ。だが、俺も結菜のことを知るいい機会になるかもしれないな。


「そうだ、朱星あかりちゃんのことなんだけど」


 不意に若月の名前を出され俺に緊張が走る。


「おう、若月がどうした?」

「妙に穂高に懐いてたから気になって……手出しちゃダメだからね」

「わかってるよ」

「どうだか。可愛かったもんね朱星ちゃん」

「お前の方が可愛いよ」

「っ!?」


 結菜が固まる。みるみる顔を赤く染め上げていく。そして爆発し、頭から湯気が立ち上る。


「も、もう、そういうことを言ってるんじゃないの」

「事実だろ。お前で見慣れてたら他の女は普通に見える」

「ふ、ふーん、そうなんだ」


 実際、俺は結菜のことは可愛いと思っている。セフレになった時も、こんな可愛いやつを抱けるのかと思ったぐらいだ。


「とにかく若月の面倒は見るが、それは後輩としてだ。それ以上のことはない」

「本当かなぁ」


 疑り深い結菜を無視し、俺は餃子をぱくつく。茶碗のご飯が空になったので、俺は手を合わせて席を立つ。

 食器を洗い食洗器に置くと、二階に上がる。

 若月とは喫茶店で連絡先を交換しておいた。今後、若月の暴走を防ぐ意味でも、必須事項だと判断したからだ。

 スマホを開き、若月にメッセを飛ばす。すぐに既読が付き、返事がくる。


「ありがとうございます。今度お礼に先輩にも何かつくっていきますね」

「別に気にしなくていい」

「そういうわけにはいきませんよぉ。ちゃんとお礼はさせてください。今後もいろいろお願いすると思いますし」

「そういうことなら遠慮なく受け取っておこう」


 若月とのメッセを終了し、俺はベッドに横になる。

 結菜がこの家に来て、一カ月と少し経った。もう同居生活は慣れたが、俺はまだまだ結菜のことを知らない。一緒に暮らしていくうえで、もっと結菜のことも由仁さんのことも知っていく必要があるだろう。

 あの海での一見以来、結菜は本当に誘惑をしてこなくなった。それは俺にとって平穏が訪れたということなのだが、正直少し寂しい気持ちがないといえば嘘になる。

 俺は結菜とセフレだった。その事実は揺るがない。結菜の体の良さも、あいつがどこで感じて鳴くのかも俺は知ってしまっている。それが忘れられない。一人でする時は結菜を想ってすることが多い。やはり俺の中に結菜という人間は根深く存在しているのだろうと思う。


「結菜か……」


 俺は結菜のことをどう思っているのだろう。家族として、妹として好ましく思っているのは事実だ。選挙戦を一緒に戦ったことで、絆が深まったことも事実だ。

 だが、一人の女性として俺はどう思っているのだろう。若月の出現で俺が結菜にとって男であることを認識させられた。今まで意識してこなかった結菜を恋愛対象として見れるかという問題を俺に突きつけてくる。

 結論は出ている。結菜を恋愛対象としては見れない。やはり妹だし、それ以上に俺の心の問題だ。やはり女を信用できない。過去のトラウマが今も根深く俺に巣食っている。

 結菜はいい女だ。これは間違いない。だが、それとこれとは話が別なのだ。俺が結菜を恋愛対象として見るには、ハードルが高すぎる。

 それに結菜にも好きな人がいるらしい。あの海で打ち明けられたのを聞いた時、少なからず驚いた。俺と体の関係を続けようとしていた傍ら、本命はきちんと存在していた。それも随分と一途だ。あの結菜の心を射止めた男がどんな男なのか興味あるが、詮索するのは良くないだろう。それはきちんとしておくべきところだ。兄妹になっても踏み入れてはいけないところはある。

 そうなるとますます、俺は結菜に対してどう接するべきなのかわからなくなる。兄として接するべきなのか、ただの同級生として接するべきなのか。いずれにせよ、俺はまだまだ結菜について知らなさすぎる。


「もっと知っていくべきなのかもな」


 これから一年、二年と過ごしていくうちに関係性は変わっていくのだろうか。

 それが俺は少し怖い。


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