第52話 90年越しの成就

 燕の巣、と聞くと中華料理の高級食材の方を思い浮かべるであろうが、今回の話題は泥でこしらえた日本でよく見かける方の巣である。


 先日、家の勝手口の上にある外灯の上に燕が巣を作った。

 別段珍しくもないことに感じるであろうが、我が家にとってこれは実に90年ぶりのことなのである。


 私の祖母が我が家に嫁いで来た頃は、大抵どの家にもうまやがあり、そこに燕が巣を作っていたものだ。燕というのは民家や馬小屋、牛舎など人や生き物の気配が絶えずある場所に好んで巣を作る習性がある。これは、人間など他の生物を利用して天敵のカラスなどの襲撃を防いでいると考えられている。


 ツバメは珍しくもない鳥ではあるが、実は渡り鳥の一種で夏鳥であり一年中いるわけでは無い。前述の通り、営巣する場所を吟味する習性があり、必ず人の気配のあるところを選ぶ。その生態から、むしろ田舎よりも都市部の方でよく見かけるかもしれない。空き家などには営巣せず、必ず人の住んでいる民家か家畜のいる小屋を根城にする。その為、このあたりの田舎では、いる場所といない場所がはっきりと分かれているのである。

 

 古くから、燕の営巣はその家の吉兆であるとする言い伝えがあり、特に邪魔にならない限りは邪険にすることもないであろう。

 しかし、当時の家長であった私の祖父母の父に当たる人物が、「馬に糞を落とす」と言って嫌い、燕の巣の下で煙を燻して追い出してしまったのだという。……以来、燕は我が家に飛来することは一切無くなり、現在に至るという訳である。


 祖母は事あるたびに過去を嘆き、家が貧しいのは、あの時ツバメを追い出したからだ、とずっとぼやいていた。

 しかし、十数年ほど前から我がの庭先に再び燕が飛来するようになったのである。それを見た祖母が感嘆の声を上げて、前述の昔話を私に語って聞かせたのだ。

 何がきっかけだったのか定かではないが、再び燕がやってきたことを喜び、営巣してくれることを願っていた。

 ところがそのツバメたち、夕方やってきては勝手口上の外灯の隙間に数匹固まって身を寄せて夜を明かし、翌朝には去っていくということを繰り返していた。どうも、営巣目的ではなく単なる夜明かしの屋根目当てで来ていたようなのだ。

 祖母はそれを見て「どこかに巣を作ってくれないだろうか」と気を揉み、燕を招き入れるため私に「小屋の窓とシャッターを全部開けておけ」等と言って、一生懸命燕を誘致しようとしていた。

 気持ちはわかるが、それはむしろ「ここ掘れわんわん」の犬を無理やり泣かせた意地悪爺さんのムーブに近いのでは? という可笑しさもあった。


 その後も毎年季節になると燕は欠かさず飛来していたが、結局営巣することはなく、願いは叶わぬまま祖母は亡くなった。


 毎年、巣を作らず夜明かしするだけ、そのうち気にもしなくなっていたのだが……。

 今年のツバメは少し様子が違っていた。

 いつもなら早朝に飛び去っていくツバメたちが、日中も家の周りを飛び回っている。そうしてある日、気づくと外灯の端っこに盛り上がったような泥の塊が付着していたのだ。どうやら、本格的にここを住処とすることを決めたようなのだ。

 観察していると数日のうちにあっという間に巣は完成し、お椀型の巣の中から顔をのぞかせる一組のツバメの姿が連日見られるようになった。


 なにがきっかけだったのか皆目見当がつかないのだが、ともかく燕はここに営巣することにしたようだ。我が家の家族も随分気を良くし、連日その姿を見守っている。

 実に90年ぶりにもなる、燕の帰還である。

 まだ、抱卵はしていないようであるが、その雛が巣立つときを心待ちにしようと思っている。

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