第50話 今こそが戦後
「散歩行くよ~」
声を掛けると、外で待機していた白き愛猫が前脚を揃えてぐい~っと背伸びをする。続いて、後ろ脚ストレッチも。
そして、私の前を先導して歩きだし……たと思ったところで、目の前の地面に「ごろ~ん」。
「こら寝るな」
昨夜、ダニよけの薬を後頭部に塗っておいてまだちゃんと乾いていない。そのまま地面でゴロゴロやられるとコロッケの衣のごとく土が付く。しかし、愛猫はおかまい無しで更に二度三度とごろごろ……。
手を伸べて起こしてやると、ぷるぷるっと身震いしてからおもむろに駆け出す。
朝の日課である猫の散歩をしながら、物思いに耽る。
うちの猫はちょっと身体に弱いところがあり、まっすぐ歩くのが難しい。そんな自分の身体を知ってか非常にのんびりとした性格であり、めったに駆け回ったりしない。ゆったりとした動きが信条だ。しかし、散歩のときだけはその喜びを全身で表す。両前脚と両後脚を揃えて交互に運ぶ、飛び跳ねるような歩様。馬でいうところのギャロップに近いか。ほんの4~5回しか飛び跳ねてくれないが、傍目にも喜んでいるのがわかるのだ。
すぐに歩様を斜対歩に切り替えて早足で歩く。
ラクダは、だく足歩行といって、前後の脚を同時に左右交互に運ぶ歩き方をするらしいが、流石に猫でそんな歩き方をしているのは見たことがない。たぶん構造的に、そういう歩き方はしないのだろう。
生まれてこの方、四つ足の生き物を飼ったことがない私にとって、猫のいる暮らしというのは新鮮そのものだ。小鳥なら飼っていたことがあるが、手乗りに躾けたわけでもないので、触れ合いという点では希薄だった。
こうして見ていると、猫は歩き方ひとつとっても非常に興味深い。
これだけで、ひとつ自由研究のテーマになりうるな、などと思ったりする。
……大人になってからも定期的に自由研究を提出する課題とかあったら、案外世の中楽しくなるのではないか? などと思ったりするが──それをしたいなら大学行け、ということなのだろうな。学のない私には見果てぬ夢さ──。
そういえば。
小学校のときに、自由研究で「鳥の飛び方」というテーマの観察記録を提出したことがあった。飼っている小鳥ではない、野鳥の飛び方である。それも、珍しくもないスズメや鳩、燕などの身近にいる鳥の観察だ。
そんなもの観察して何になる、とお思いだろうが、幼少期の私は鳥を見ていて気付いたことがあったのだ。一般に、「羽ばたく」と云うが飛んでいる鳥は常に羽を動かしているわけではない。実際は「羽ばたき」と「滑空」を織り交ぜた非常に複雑なものなのだ。その事に気づいた私は、それを自由研究のテーマにしたのである。
私の子供の頃の自由研究は、とにかくみんなの発想に無いものを選ぶことに血道を上げており、都合12回しか無いこの機会で如何にみんなの度肝を抜いてやるかということに心血を注いだものだった。
この、鳥の飛び方というテーマを選んだのは6年生の夏休み。
謂わば小学校生活の集大成に、私はあえて身近にあるものの掘り下げという一見地味に見えるテーマを選んだのだ。まあ、自由研究のためにあれこれ買ってもらえるような家でもなかったし、手伝ってくれるような家族でもなかったため、道具を使わずに一人でできるものから捜すしかなかっただけなのだが。
その時既に高校生だった兄に頼んで、隣町から模造紙だけを買ってもらい(当時一枚60円)、そこに調べた事を書き記していく。
雀などの小鳥は、高速飛翔時には羽ばたきと滑空を交互に素早く繰り返し、細かく見るとその羽ばたきに応じて軌道は上下している。一方、ほぼ同じ大きさの燕は、小鳥にも関わらず翼を動かさずに滑空している時間が非常に長いことなどを、停止→飛翔→(羽ばたき)→(羽が止まっている)※当時は滑空という単語を知らなかったため、こう記した── などと、図解を添えて発表用の資料とした。
まあ、テーマが身近すぎたせいで、実際は発表してもクラスのみんなは、ぽかんとしているか興味無さそうに見ているだけであったが。
拙作「葬送ることば」の主人公・世良の小学校生活は、ほぼ私の実話なので察してもらえるだろうが、当時担任の教師と私はあまり折り合いが良くなかった。そのため、私の自由研究は歯牙にもかけられず、学年代表での全校発表の栄誉は別な人が担っていた。
しかし、その自由研究発表会の閉会式の総評で、校長先生は「この場で発表されなかったものの中にも、素晴らしい研究はたくさんありました」そう言って幾つか紹介していたのだが、その中で私の「鳥の飛び方」は特に大々的に紹介され、とても嬉しかったのを覚えている。
担任の目につかなくても、校長先生は見ていてくれた。
その事がとても嬉しく、そして、もし校長先生のような人がいなかったら、私の研究は誰からも取り上げられることは無かったのだろうと思うと、すこしさびしく……。
我がクラスは16人ほどなので、一人ひとりに目が届かない、なんてことはありえないのだろうが。翻って、40人クラスなどでは自ずと目立たない子も出てしまうだろうとも思う。一人の教師がギリギリ目が届く人数がそれくらい、ということではあろうが、私のような陰キャにはあまりに人が多い空間でもあった。
戦後のベビーラッシュで爆発的に増えた子どもたちを、纏めて効率よく社会に送り出すために作り上げたシステムでもある教育制度。時代が変わっても、基本的な事はその頃のままだ。
社会が複雑化し、一人ひとりが細分化された多くの要素に向き合わなければならなくなった現代において、このシステムは少々時代遅れのような気がしている。
もはや戦後ではない。
この言葉が言われたのは、1956年のことらしい。
しかしその頃になっても、「進め一億火の玉だ」と叫ばれ戦争に突き進んでいたころと、国民の精神構造は殆ど変わっていなかったのではないか、とも思うのだ。要は、火の玉になって突っ込んでいく、その対象が戦争から経済に変わっただけだったのではないか、と。
最近になって、個人の尊重だの多様性だのと叫ばれ、それもどうなんだと思いつつ、精神構造の変化は確実に訪れている感じがする、現在。
私からすれば、精神構造まで含めて、今ようやく戦後を迎え始めたのではないか、と思ってしまうのだ。
社会システムの不整合は、いまや看過できない所まで来ている。
かつて一億火の玉だった頃の日本人は無くなり、おそらく変化しているだろう。
社会は、変わるタイミングに来ているのではないだろうか。
私の自由研究は、気付いたことと知りたいこと、知らなかったことが溶け合った、今思ってもいい出来だったと思う。
先日、とあるYoutuberの動画が、なんとも……世も末だと思わされる内容だった。
ある教授が大学生に、授業中の問題点や嫌な点などがあればそれを書いて欲しいとアンケートを取ったそうだが、その中で最も多かったのが……。
「自分が知らない話を教授が得意げに語っているのが腹が立つ」
というものだったそうだ。
…………?
大学に行ったことのない私が思うことなので、的外れだったら指摘してほしいのだが……。大学、いや学校というのは、知らないことを学ぶために行く場所ではなかったのだろうか。
よたよたと歩く、愛猫を見ながら、そんな事を思った。
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