鈴虫の鳴く田舎道のど真ん中で、子供らと合流した母親らが帰るのを確認し、ひとり呆然と立ち尽くす。冷たい風が心の奥にまでしみ込んでくる。私は足を一歩踏み出したが、すぐにぴたりと止まってしまった。そういえば、坂間さんは未亡人じゃなかったかしら。こう思うと、なおさら裏切られた感覚が強くなる。それに対して、あの子らはどうだろう。やっぱり、母親に抑圧されるのではないかしら。あの子らもどうせ大きくなったら、私の母や弟のように、口を奪われたがごとき生活をするに違いない。


 あの口の悪かった少年はどう思っているかしら。今は表立って表情を見せることはない。でも年を取るにつれて、あの少年の申し訳なさそうな顔と、あの少女の純粋さと誠実さは、どんどん失われていくんだろう。あんな顔をしていた少年もどうせ、二、三十年たてば私の父親のような形相に様変わりするんだろう。


「認知症って、何よ。勝手に決めないでくれる。」


 そう言って目の下にたまった涙を吹き飛ばした。この気持ちにくれるなみだはない。涙を拭った腕は、例の夜風に吹かれて、一瞬で冷たくなっていった。


 いまやもう、私は、私の家族との一切の記憶は、私の口と共に空の彼方に打ち捨ててしまいたい思いである。

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