8.Donut war.

 絵本作家とみっちり話し合いをしてきたニムは、打ち合わせの前よりも元気な様子で戻って来た。相手の作家も、二人揃ってスポーツを楽しんできたか、ひとっ風呂浴びて来たかのように頬を紅潮させ、清々しそうだった。

「やあ、お待たせ! ああ……楽しかった!」

顔でわかる充実感を告げ、ニムは興奮気味に未春の両腕を力強く叩いた。

「長く待たせてごめんよ、未春みはる――わあ、こっちの部屋も素敵だね!」

「はい。綺麗な作品ばかりで退屈しませんでした」

未春が正直に言うと、すかさず通訳が訳し、若き絵本作家は嬉しそうに微笑んだ。

「本当だねえ……いや、まったく素晴らしい!」

「先生が好きなブレーメンの音楽隊も有りましたよ」

「わ! なんて綺麗なんだろ……僕も彼らの仲間に入って音楽隊をやりたい……」

満更、ジョークではなさそうな一言をうっとり言うと、ニムはちょうど未春が開いたままにしていた本を見下ろした。

「あ、それは『ガチョウ番の女』だね」

「『ガチョウ番の女』という物語なんですか。初めて見ました」

「ん? 日本ではポピュラーではないのかな? グリム童話の有名な作品だよ。タイトルは”女”だけど、絵の通りの可愛い女の子で、本当はお姫様なんだ。『ガチョウ番の娘リーゼル』の名前で、ブロンズ像がドイツのゲッティンゲンに在ってね、ゲッティンゲン大学の学位取得者はこの子にキスする慣例があるんだよ。”世界で最もキスされた少女”なんて逸話もある」

「リーゼルって、このアトリエの……」

髭を生やした若き作家を振り返ると、彼はにっこり頷いた。通訳によれば、このお話はドイツでは人気の作品で、彼は例の銅像を見て絵本作家を志した為、アトリエの名前に彼女の名を頂いたそうだ。彼の名前がフランツ・リーネルなので、ちょっと似ているというのもあるらしい。

「イギリスのマザー・グースやピーター・ラビットも大好きですが、日本の物語にも大変興味が有ります。何かおすすめがあればぜひ教えてほしいです」

はて、聞かれるとは思わなかった問いに未春は悩んだ。

直近で話題になった『かちかち山』が浮かんだが、あのハルトさえ引いていたタヌキの悪行とウサギの報復劇はちょっと怖すぎるだろうか?

姫が出てくる話なら『かぐや姫』が有名だが、あのストーリーはシンデレラのようなハッピーエンドにはならない為、日本の大人から見ても複雑だ。『桃太郎』は勧善懲悪という面ではわかりやすいが、桃から男児が生まれ、きび団子で犬、猿、雉を仲間にして鬼を退治するのは、説明しようと思うと何やら奇想天外な気もする。『一寸法師』も同様……お椀や打ち出の小づちが難解だろう。有名どころで、『ごんぎつね』や『花咲かじいさん』、『舌きりすずめ』などもあるが、動物が傷ついたり死んだりするのは、彼らには切なすぎる……

「未春? 大丈夫?」

起動中のロボットみたいに黙っていた未春は、ニムにつつかれてはたと顔を上げた。

「すみません。日本は、なんというか……厳しいストーリーが多くて。出てくる道具や食べ物も独特ですから、説明が難しいです」

そもそも、殺し屋が平和的な物語を探すこと自体が妙ではあるが、そこを行くと日本の民話は善悪を対比させたものや、『浦島太郎』に見られるように「何故そうなったのか?」と考えさせられる顛末が多い。今思えば、「めでたし、めでたし」の締め括りにハルトが恐れ慄いたのも無理はない。

「ああ、でも……『笠地蔵』とか……どうかな?」

児童養護施設で世話になった守村もりむら恵子けいこが好きな話だ。若い頃の彼女はよく、施設で紙芝居をしたり、本の読み聞かせをしてくれた。優しい彼女も、誰かが痛い思いをする話は敬遠していたようで、この話はよく登場した。

笠地蔵は、地方で内容に差や違いは出るが、雪国で暮らす貧しい老夫婦のお話だ。

新年を前に餅も買えない二人は笠をこしらえ、お爺さんが売りに出るが売れず、諦めて帰路についた途中、七人のお地蔵様が雪を被っているのを見て寒そうだと思い、雪を払い、売れなかった笠を全て被せ、足りなかった一人には自身の手ぬぐいで頬かむりをして家に戻る。何も持たずに戻ったお爺さんの話を聞き、お婆さんはとても良いことをしたと責めずに迎え入れ、二人は眠りにつく。その夜、大きな物音に気付いて外を伺うと、家の前に米俵や餅、野菜に魚、小判の類までがどっさり置かれており、笠を被った地蔵と頬かむりをした地蔵が立ち去る姿を目撃し、この贈り物で良い正月を迎えることができた、という話だ。

道祖神の風習が殆どない欧州人に地蔵の説明こそ難義したものの、「良い事をすれば良い事が返って来る」という道徳的な教えを示す内容に、二人の作家は真剣な顔で感心したようだった。特に、善行が無欲に行われることや、見返りを求めない親切という点が刺さったらしく、二人揃って端末で調べ始め、笠を被ったお地蔵様と頬かむりをしたそれが雪の中に並んだイラストに「可愛い!」と言い、良い話を聞いたと喜んでくれた。

「素敵な話だね。日本はエキゾチックで良いよねえ……僕も読んでみたくなったよ」

散々盛り上がったアトリエから辞した後、ニムは興奮冷めやらぬ様子で言った。

「これから会う子たちとも、楽しい話し合いができるといいな」

まさか民話を話す羽目になった未春は苦笑した。

ニムなら、誰とでも楽しい話し合いにしてしまいそうだ。相手がちょっとでも油断すれば、瞬く間に彼のペースになるだろう。

「そうだ――先生が話している間、レディと連絡を取りました」

ハルトが銃撃に関わったかもしれない件は迷ったが、念のため、ありのままを話した。むしろ、作家がおり扱いを受けた件は内緒にすると、ニムはおっとり頷いて腕組みした。

「誰かがひと月ほど前からネオナチを狩っているけど、誰なのかはわからない――でも、BGMが事後処理をしてる可能性が高い、と」

「はい」

「じゃあ、僕らのベルリン初日に起きたテロ騒ぎは、彼らの報復ってことだね」

静かな住宅街を歩きながら、ニムは一見、のんびりした調子で言った。

「ねえ、未春……僕は初日のテロ以来、気になっていたんだが、ベルリン市民は実に落ち着いているよね。普通はテロなんか起きたら、巡回する警察車両をもっと見るし、僕らみたいな旅行者が、職質や検問を受けることだってある」

それは、異常聴覚を持つ未春も気になっていた為、頷いた。

この町は大勢が暮らす大都市で有り、規模こそ大きく広々しているが、東京のそれより静かなのだ。無論、車の往来や旅行者が多い界隈は賑わっていたし、暮らしの営みを感じないわけではない。しかし、生活音そのものも静かで、警戒態勢ほどの物々しさは皆無である。日本では、9.11のアメリカ同時多発テロの時さえ、国内の警戒態勢はひりついていた。特に国道16号線界隈は、警察車両が巡回し、自転車でパトロールする警察官も多かった。テロや銃撃がベルリン市民にとって、歯牙にもかけない出来事ならともかく、アグネスやグレーテは気味悪そうにしていた為、日常茶飯事ではないのは確かだ。例の『タクシーは緊急時以外使用禁止』という件は居残っているようだが、これまでにも数台見掛けている為、完全に守られているのかは怪しい。

「リーネル先生にも聞いてみたけど、ネオナチはレディが言っていた通りの差別的な暴徒のイメージが強いが、名乗る連中全てが大手を振っているわけじゃあないそうだ。中には社会的にあぶれた、アウトロー気取りの若者グループも多いんだって」

未春が、日本のハッピータウン支部に吸収された、暴走族系の東部鷲尾連合会を思い出す中、ニムは寒空を見上げてぼやいた。

「目下のとこ、ネオナチが居なくなって得をするのは誰だろうね」

「得ですか」

「悪党の行動は損得勘定が基本だ。今回の件、誰かがネオナチを陥れたいのはわかるが、当の相手が不明だから気味が悪い。ドイツ支部なのか、他の誰かなのか……それとも、そう見せて別の何かを潰す手筈なのか……」

「先生、ハルちゃんがネオナチ用に雇われた可能性はあると思いますか?」

問い掛けに、ニムは唇を尖らせて考え込み、首を振った。

「現段階では、僕は無いと思う。ハルは君に匹敵する殺し屋ヒットマンなんだろう? ネオナチは厄介な連中だが、優秀な彼を海外から呼ぶ程の強敵とは思えないな。彼は国際テロ組織のリーダーとか、指名手配犯なんかがおあつらえ向きじゃないか?」

「俺もそう思います」

そう。ネオナチに対する一連の動きは、蜂の巣をつついて彼らが騒いでいる中、裏で何かをする勢力が居ると見るのが普通だ。

ドイツ支部がこの”勢力”に該当するなら、非常にBGMらしい行動だが、それなら自分たちのテリトリーであるバーで起きた件は伏せるか、別の場所を利用するべきだ。

そして、ヒルデガルトの表では単純な門前払いよりも、それらしい理由を付けて追い払う方が効果的だ。こちらがあの病院をドイツ支部の本拠地と知らないのならばまだしも、関係施設と知った上で来ている以上、知らぬ存ぜぬの態度は奇妙でしかない。

「まあ、今はハルの件だね。聞き出せることはなるべく聞き出すよ」

「はい。宜しくお願いします」

ようやく、ドイツ支部と御対面だ。若い女性二人でもBGM。ペトラが言った通り、侮るのは危険だろう。

そう思って気を引き締めた――が。




 三時きっかりにヒルデガルト・クリニクムを訪問すると、先程の受付嬢が案内してくれた。相談室に使うのだろうか。小部屋が並んだ一つに通された未春とニムはハッとした。

Guten Tag.グーテン ターク

かしこまった挨拶と共に、揃って片足を後ろに下げるというダンサーのような優雅なお辞儀をした双子が顔を上げた。

「エマ・ブルームです」

「ラナ・ブルームです」

名乗るのも忘れて硬直してしまったのは言うまでもない。

改めて見ると、鏡を合わせた様によく似ている。睫毛の数まで同じなのではと思わせるほどの完璧な双子だ。エマと名乗った娘は肩口で束ねた金髪に白い花の髪留めを、ラナと名乗った娘は同じ髪型に青い花の髪留めをして、ぱっちりした灰色の目をしている。

「Oh my……やあ、本当にそっくりだ。君たちのご両親はお見事と言わざるを得ないな」

ニムがぼやいた一言に、何故か双子はきゅっと眉を寄せて見交わした。

どうぞ、と促された椅子に座って改めて名乗ると、双子は”何もかも知っている”という顔つきで頷いた。

「私達に何の御用です?」

「BGMのお二人さん?」

二人の間のルールなのだろうか。先にエマが問い、一人が喋っているようなタイミングでラナが問う。

「えーと……一応、僕は中途半端な身内なんだけど……」

来る前の勢いは何処へやら、所在無さげに呟いたニムに、双子は胸を反らせて頷いた。

「知っているのです」

「二人とも有名です」

思った以上に素性は通っているらしい。「僕って、有名人だったのか」と意外そうにぼやくニムと、ブラックに有名人だと指摘された未春は顔を見合わせた。双子のような意思疎通はできないが、言うべきことは決まっている。

「レベッカさんに会いたくて来たんですけど……」

正確にはそうではないのだが、イギリス支部のペトラは”早急に”レベッカに会えと忠告した。しかし、受付ではごく普通の表の事情――レベッカが当院の正規の医師であり、名医故に忙しいと面会を断られた。そこで、ニムが機転を利かせて双子に会ったのだが。

「レベッカはとっても忙しいのです」

「関係者にも滅多に会わないのです」

受付嬢とほぼ同じ回答に、二人の男はポカンとした。

……何か、変だ。

レベッカはBGMでも、部外者――特に男は毛嫌いしていると聞いている。しかも、ニムはその中でも特に嫌われているスターゲイジーの事実上の部下だ。しかし、門前払いはしていない。一方、スプリング適合者には興味があるとも聞いたが、この応対は捕まえて尋問しようとか、中に誘い込む素振りもない……無関心そのものではあるまいか?

「俺たちがドイツに来ていたのは御存じですよね?」

『もちろん』

「何をしに来たのかも?」

双子が小鳥みたいに同じ方向に小首を傾げるので、ニムはちょっぴり身を乗り出した。

「えーと、僕らは行きの航空機内でフライトアテンダントかそれに扮した何者かに、妙なものを飲まされそうになったんだが……それも君たちとは関係ないのかい?」

『妙なもの?』

あろことか、質問は質問で帰って来た。未春とニムも顔を見合わせた。

「調べないとわからないが、恐らく、睡眠薬の類のようだけど」

双子は再び揃って首を傾げた。とぼけている様には見えない。

ニムが独り言じみた声で「Oh my gosh……」と呟く。未春も微かに開いた口が塞がらない。何やら遠回りをさせられた感が有る。いや、これでは初日にここまで突っ走って来たところで結果は同じか?

それとも、レベッカは知っていて、彼女たちが知らないだけ……?

「あの……俺は、野々ののハルトを探しにドイツに来ました。この病院に居ますか……?」

どこか自信が無さそうな未春の問い掛けをニムが訳すと、双子は大きな瞳をぱちりと瞬かせた。

『それを聞いてどうするの?』

美しいほどにぴたりと出た合唱に、ニムは森のような双眸を瞬かせ、硬い表情の日系人は両の目のアンバーを確と向けて答えた。

「……居るなら、会いたい。会わせて下さい」

『なぜ?』

「理由は……わかりません。ただ、会いたいと思って来ました……」

『会うだけ?』

「話を……できるなら、したい。でも、会って何を言いたいのかはよくわからない。どうして黙って出て行ったのか、どうして連絡をくれなかったのか聞きたいけど……聞くのが怖くもあります」

何やら押し問答のような会話を経て、双子はまた同じ方向に小首を傾げた。次には互いの目を見て、言葉ではない何かを言い交しているようだった。

『貴方は、ハルの何なのです?』

唐突に出た問い掛けに、未春は喉元を絞められたような顔をした。

「……そ、それは……」

じいっと見つめる双子の視線が刺さる。

「同僚、かな……――」

ちらとニムがこっちを見てから、訳した。すると、双子は怪訝な顔をし、じろじろと未春を眺めまわしてから、改めて互いの目の中を覗き込むような仕草で見交わした。

『お話はわかりました』

鳥類のように物静かな視線が未春を見つめた。

「ハルは確かにドイツに居ます。でも、居所は教えられないです」

「彼はまだやることがあるのです。レベッカの為にも彼の為にも」

――やること? やはり、ハルトは何らかの目的の為にドイツに来ている……?

未春が訊き返す前に、双子は『だけど』と付け加えた。

「ハルに聞いてあげましょう」

「貴方に会いたいかどうかを」

ぎくりと未春が身を強張らせた。胸の内に、期待と不安の両方がどろりと流れ出て混じり合う。双子が謳うように綴る。

「ハルが、貴方に会いたいと言ったら会わせます」

「今は『会わせる』だけになると思いますけれど」

何か含みのある返答だった。未春が表情を強張らせて黙したので、ニムが代わりに問い掛けた。

「それって……テレビ通話とか、画面越しで会わせたことにしないよね?」

『しません』

「じゃあ、聞いてもらうとしよう」

一も二もなく頷くニムを、双子は怪訝そうな目で見た。

『貴方も、ハルに会いたいの?』

「え、僕?」

完全に油断していたらしい作家は慌てた様子で両手を振った。

「いや、僕は未春ほど会いたいとは思っていない。彼がそれほど会いたい人がどんな人かは気になるし、出会いはいつでも大歓迎だけれど、僕が居てマズイようなら遠慮するよ。とにかく、一人に会いたい一心で、日本からドイツまでやって来た彼の一途な気持ちを汲んであげてほしい」

幾らかたどたどしいが熱心なドイツ語の回答に、双子は得心のいった顔で頷いた。

「わかりました。ではこれで」

「答えが出たら連絡しますね」

告げるなり、二人はすっくと立ち上がった。

連絡?――未春が一瞬、ニムのデタラメな連絡先を思い出して訂正しようと思った刹那、当のニムが先にサッと立ち上がっていた。異議申し立てる検察か弁護士のように、片手を差し伸べて。

「ちょっと待って、お嬢さん方」

さすがに気付いたかと思ったが、ニムの口を突いたのは予想外の一言だった。

「君たちが、ハルトに意志を聞いてくれるのは大変ありがたい。でも、このやり方だと、本当に本人に聞いたかどうかを僕たちが確認できないと思うな」

未春が虚を突かれた顔で瞠目し、双子は目敏い作家の意見に、猛禽類のようにスッと目を細めた。

『私たちが嘘を吐くと言いたいのですか?』

一人の人間が喋っているような回答は、幾らか不機嫌そうだった。ニムはにっこり笑い掛けて両手を胸の前に挙げて首を振った。

「いいや。だが、君たちが誠意をもって伝えてくれたこともわからないだろ?」

その通りだが、これは完全に双子の優位性を指摘する意見である。

もし、本当に「会いたくない」と言った場合でも、彼女たちが本当にハルトに聞いたかどうかが定かではない限り、こちらには正否を確かめる方法が無い。

「ブレンド社らしい発言なのです」

小賢しい、と言いたげな調子でエマが言う。

「では、どうしろと言うのです?」

全く同じ態度でラナが問い返す。

本当にどうする気だろう、と、未春が突っ立ったままの作家を仰ぐと、彼はその育ての親みたいにニヤニヤ笑いながら堂々と胸を反らした。

「一応、確認するが、僕らが直接会うのはダメなんだよね?」

『ダメ』

「フフン、宜しい。では、お互いの信用の為に、第三者の証人を立てるのは如何かな?」

『証人?』

言語は違うが、未春も揃って言うと、ニムは三人に向けて頷いた。

「公平な取引には、公平な相互関係が欠かせないだろう? 君たちとも僕たちとも関係ない人物を間に立てる。――つまり、その人には、君たちがハルトに質問する際に同行してもらい、できればその人が質問し、回答を聞いてもらうんだ。それなら、最低限の公平性と正当性は保たれると思うんだが、どうだい?」

双子は明快な思案顔で向き合うと、先程とは異なり、ヒソヒソと言い交した。

「そんな人、居るのですか?」

「国外から呼ぶつもりなの?」

ご尤もな意見が飛び出るが、ニムは些かも動じずにあっけらかんと答えた。

「今から、探しに行くのさ」

『は?』

飛び出た疑問符には未春まで加わった。三者三様に、一体コイツは何を言い出したのかという顔の中、作家はずっとにこにこしている。

「だって、この場合はお互いに知らない相手じゃなくちゃ。僕らが知り合いを連れて来たら君たちに不利だし、君たちが連れてきたら僕らに不利だ。そもそも、僕らとハルトが短時間でも会えれば、こんな面倒臭いやり方にならないんだけどさ」

双子は最初のようにきゅっと眉を寄せた。

未春も唖然としてニムを見た。……なんて恐ろしい男だろう。現状、この双子を通すのが最も近道だと知りながら、面倒臭さにも訴えて話を通す下心まで覗かせる。此処で彼女らの機嫌を損ねたら、それこそ話は振り出しに戻るのに――……と、思った未春だが、ニムの自信満々の顔を見て、気付いた。

そうか。ハルトがドイツに居ると相手が洩らした以上、そうはならない……

彼は現在、日本のハッピータウン支部所属。それを不当に異動したと指摘されれば、困るのはレベッカだし、ハルトが勝手に此処に居る場合、本人も弁解の為に出て来ざるを得ない。彼らが外部に洩らせない行動をとっているのなら、それを知られない為に、こちらの要求を飲む必要が出てくる。優位性は依然、双子に有るにも関わらず、如何にも譲歩してやった風に話を進める……さすがは、スターゲイジーとラッセルが育て、あのペトラと正面から言い合う仲か。

「と、いうわけでお嬢さん方、僕らと三時のお茶に行かないか?」

『お茶?』

「可能なら、そこで良い相手を見つける。お互いの誠実さを証明する為にも、今日の内にお願いしたい。買収なんて、ドイツの淑女はやらないだろうけれど、ウチのボスの所為で英国紳士の印象はあまりかんばしくなさそうだからねえ……何なら、その相手に、互いに報酬を支払うやり方も悪くはない」

双子はじいっと見つめた。それは二羽の小鳥が、深く豊かな森を見つめて、本当に安全かどうか確かめているようだ。未春は両者を交互に眺めながら、静かに待った。

『いいでしょう』

程なくして、双子は答えた。

「玄関で待っていて下さい」

「許可を貰って来ますから」

言い置いて、二人はスタスタと出て行った。振り向いた未春にニムがニヤッと笑って親指を立てた。

「先生……凄いですね」

「なあに、どうってことないさ。これで折れないなら、レディに連絡を取ろうと思っていたしね」

彼は陽気に答えると、玄関に行く前に受付に立ち寄り、案内してくれた女性に丁寧な所作と笑顔で挨拶した。こういうところもイギリス支部の仕込みなのだろうか。いつか、日本の病院でも受付嬢から連絡先を受け取っていたブラックを未春が思い出していると、ニムは何か小粋なジョークでも飛ばしたか、受付嬢をクスクス笑わせてから戻って来た。

「うーむ、ドイツ女性は、そこまでガードが堅い感じはしないな」

「ガード?」

「うん。一体、どの辺りまでが裏のスタッフなのかと思って……あれが演技ならお手上げだが――僕程度であの愛想だろ? ブラックなら、笑い掛けるだけでデートを申し込まれると思うよ」

確かに、あのハンサムが路地裏でボコボコにされるという支部の本拠地にしては手薄な印象だ。

言われた通り、玄関で待っていると、双子は昨晩見掛けた時のように揃いのふっくらしたラベンダー色のダウンを着込んでやって来た。たっぷりとしたファーが付いたフードこそ下ろしていたが、屋内では暖かすぎるだろう厚着に見えた。

「どこか、お望みの場所はあるかい?」

愛想よく話し掛けたニムを、双子はじいっと見た。受付嬢に比べ、こちらの二人の警戒心はそう安易に解けそうにないようだ。

無言で顔を見合わせてから、何度聴いても見事な合唱で答えた。

『今日は、ドーナッツを買う予定だったのです』

「え、ドーナッツ?」

まさかドイツでそのワードを聴くことになるとは思わなかった未春に、双子はフクロウがくるりと首を回すようにこっちを見た。「何か文句でも?」という顔に、聞かれてもいないのに身を引く中、約一名が突然叫んだ。

「いいね! ドーナッツ! 大賛成!」

急に大声を上げた作家に、双子どころか未春まで驚いて振り返る。

「せ、先生、まさか、ドーナッツも……」

こっちの男は「この世に嫌いなものは全くないです」という顔で頷いた。

「大好きだとも!」

今、目の前にドーナッツが有ったら鷲掴みにしそうな勢いに、三人がそっくりな調子で後ろに下がるが、ニムは気にした様子はない。スポットライトを浴びた役者みたいにドーナッツへの想いをべらべら喋り出した。……やはりこの作家、純文学ではなく、グルメ誌の関係者では?

「ドーナッツといえばオランダのオリーボーレンとアメリカが定番だけど、イースト生地を最初に揚げた人は全く天才だよ! ロンドンじゃあ、パイ菓子を揚げたものにバナナやチョコのクリームを挟んだり、塩キャラメルとピスタチオのドーナッツとか、アイスクリームを挟んだものもあるんだ……美味しそうでしょ⁉」

否と言ったら殺されそうな力説に、三人は引き気味に頷くしかない。

「そしてドイツといえばベルリーナー・プファンクーヘンだよね! あの粉砂糖がたっぷりまぶしてある、ジャムやチョコが詰まったまあるい揚げパンクラップフェンといったら! ジェリードーナッツは奥が深い……ローズヒップやママレードのジャムは最高だけど、グレーズやチョコレート、クランブルが掛かっているのも大好きさ! あ、ウチのボスはね、日本の”あんこ”も好きなんだよ。イギリスじゃあ敬遠されがちだけど、日本のスイーツ文化は実に素晴らしい! あんドーナッツは至高の味だった……! そうそう、此処はベルリンだからベルリーナーの面白い逸話が有ったよね、アメリカ大統領が自分のことをベルリン市民って言おうとして自分をドーナッツって――」

双子は顔を見合わせた。思案する時にそうするのがクセらしい。ドーナッツ談義が止まらない男を珍獣でも見るような目で見ていたが、その視線が未春にすっと向いた。意思疎通はできないが、意図は聞かなくてもわかった。


――こいつ、どうにかしろ。


まさか、こんなタイミングで割り込みをせねばならないとは思わなかった……

意を決した未春は、作家の肩をトンと叩き、穏便に尋ねた。

「あの……じゃあ、先生、ドーナッツの美味しいお店は聞いていますか?」




 「貴方、思った以上に読書家のようね、ハル」

声を掛けられた青年は、文庫本から顔を上げた。リビング&ダイニングのテーブルに居座るようになった男を、スクラブスーツを着た妙齢の女が悪童でも見つけた様に眺めた。ひと仕事済ませると、すぐにこのフロアに戻る女は、疲れた様子で冷蔵庫の方へと部屋を渡った。

「暇つぶしですよ、レベッカ」

「そういう時は、ゲームじゃないの?」

「どっかのゲーム好き紳士に捕まりたくないので」

「ああ、それはやめた方がいいわね」

あっさり同意した女は、コップに水を入れて一息に飲み干した。

「此処は静かね」

「貴女の部屋の方が静かじゃないですか?」

「それは嫌味かしら」

軽く双肩を持ち上げて本を置いた青年は、ごく当たり前のようにポットを取ってお茶を淹れ始めた。ティーバックではない緑の茶葉を落とす仕草を眺めながら、女は前の席に座った。日本茶らしい。炊事のヨハナも随分、この青年を気に入った様だ。

「……貴方が来てから、よく、父のことを思い出すの」

「まさか、似てるなんて言いませんよね?」

「似てないわよ。私にも似ていないと思うけれど」

お茶を含んだ女は、どこか寂し気に言った。

「ハル、聞く?」

「はい?」

「父の話」

「話したいのなら、どうぞ」

寛大よりも無関心が透けて見える青年に、倍近く年上の女は笑った。

「……賢い子は損だって、子供の頃の私はそう思っていたの」


賢いから、父が去るのもわかっていた。

かわいそうなパパ。

私が他の子みたいな子供なら、キャンディやお人形でごまかせたでしょうに。

「パパは、私を捨てるのね」

幼いレベッカは、はっきり言った。

父は私を見下ろして、困ったように微笑んだ。金髪に青い目の優しい顔。それはもう、腹が立つほど整った優しい顔。

「ひどい父親だって、自覚はある?」

「かわいいレベッカ、僕はひどい父親だ」

彼は穏やかな調子で言った。

「でも、その方がいい筈だ。素敵なレディになった君の近くに僕は見えないから」

ひどいだけではなく、おかしな父親だった。

彼はいつも、此処ではない景色を見ている。

「ママも皆も、パパは妄想を見ているって言うわ」

「かわいいレベッカ、僕もそうであれと思う」

ひどい、おかしい、かわいそうなパパ。

良い大人の癖に、変なものを見ているのだ。それは大抵、良くない妄想だった。

彼は呑気な癖によく分からない妄想を気にして、周りから変な目で見られている。

親族は無論のこと、妻からも、娘からも。

アメリカに居た彼がドイツに渡ったのはそうしないと死ぬ恐れが有った為だと言うし、母と結婚したのは、そうしないと紛争に巻き込まれるからだと言った。

本当は、好きな人が居たらしい。

彼がアメリカ軍に属し、日本に居た時の話だそうだ。父は結局のところ、その人も置いていった。その方が良いから、と言って。

ひどい話だ。

母も、日本に残した恋人も、怒って良いと思う。

しかも、いつだって彼は何を根拠にしているのかを説明できない。日頃、呑気で穏やかで、口達者な娘の生意気な態度さえ、一切とやかく言わない父だが、妄想に関わることは頑として譲らない。住む街、付き合う人、私の進学先、時には着ていく服や靴の色まで口を出す。先日は、何かとんでもないものを見たらしく、ショッピングに行くのを急にやめにして、母をすこぶる怒らせた。

彼は言う。

「わからないが、僕には見えるんだ」と。

レベッカは、いま履いている靴を見た。良い仕立ての革のローファーは真新しいが、年頃の少女には地味だった。これを買ったとき、母はウィンドウに飾られていた赤い靴を履かせたがった。娘も素敵な靴だと思った。しかし、父は猛然と反対した。

それはもう殆ど怒鳴り声で、「赤は駄目だ! かわいいレベッカに赤は絶対に駄目だ!」と、気が触れたように喚いた。

「パパ、何処へ行くつもりなの?」

靴先で石を小突いて、娘は訊ねた。父は遠くを見ていた。

「かわいいレベッカ、僕にもわからない。できれば、暖かいところがいいけれど」

「ドイツの冬が寒いから、他所へ行くの?」

「かわいいレベッカ、君が言う通り、ドイツの冬はとても寒くて億劫だ。それは理由にはならないがね」

ひどくて、おかしくて、かわいそうで、寒がりのパパは、そう言って、姿を消した。

〈恐ろしい事件が起きました〉

テレビ画面の中、ニュースキャスターが淡々と告げた。

〈ドイツ各地にて発生していた女児の誘拐事件は、最悪の結末となり――〉

それは父が旅立った半年後。

女児の連続殺人事件があった。犯人は常人には理解不能な特殊性癖のシリアルキラーで、被害者は皆、幼い女の子だった。

レベッカは朝食のシリアルにスプーンを浸しながら、ぼんやりとニュースを眺めた。

次の瞬間、画面いっぱいに赤い靴が並んだ。

犯人の家からの押収品が、シートに並べられている映像だった。犯人は、赤い靴を履いた子供を狙ったとキャスターが報じた。殺した子供も含め、これまでに盗んだり奪ったりした赤い靴が何十足も。

レベッカは食べる手を止めて、ニュースを凝視した。足先が冷たくなるのを感じた。

赤い靴。

父の必死の形相を思い出した。

赤は駄目だ! かわいいレベッカに赤は絶対に駄目だ!

「あら、レベッカ。もうごちそうさま?」

「ママ、ひどいニュースだわ。赤い靴を履いていた子が沢山殺されたの……赤い靴を履いていただけなのよ」

淡々と言った娘に、母はテレビ画面を見て顔をしかめたが、すぐに別の報道に切り替わり、娘に笑い掛けた。

「心配要らないわ、レベッカは賢いもの。こんな男には引っ掛からないわ」

「……ええ、ママ」

いま、私は賢いレベッカ。

母は父が赤い靴で喚いたことなんか忘れていた。

無理もない。彼女はもう、次の恋をしていたから。

いいのよ、ママ。ひどくて、おかしくて、かわいそうで、寒がりなパパのことを忘れても。

賢い私は、無理だ。

だから、賢いレベッカは調べた。

父の足跡を。

彼が異常な反応を見せた前後に、何が有ったのかを。

それは大概、人が死ぬ事件に行き着いた。父の言葉と結末、多くの無意味に思われた出来事と行動が、円のように繋がる。

シリアルキラー、テロ、ショッピングモールの無差別殺人。

裏付けられたものもあれば、不明瞭なものもあった。未遂に終わったものもあった。一番気になったのは、犯人が予定を変えたと供述したパターンだ。当初狙うつもりだった所に何故か警察が駐留していたり、ターゲットが居る筈の場所に居なかった等、中には予定を変えて尚行った犯行等……様々だったが、レベッカは直感した。

――パパは、見えていた。

彼は、未来を見ていたのだ。

そう遠くない未来と……もしかしたら、もっと遠い未来も。

そして、可能な限り、行き着く最悪の未来を変えようとした。


「それが……グレイト・スミスなんですか」

低く訊ねたハルトに、レベッカは小さく微笑んだ。

「こんなこと喋るのは久しぶりだわ」

カップを置くと、女は立ち上がった。そのまま出て行く背を焦げ茶色の平凡な目は見つめていたが、カップを洗い桶に落とし、再び、本に向き合った。




 どんな一行に見えているのだろう?

そんなことを気にしたのは自分だけかもしれない。

ヒルデガルト・クリニクムからさして遠くも無い徒歩圏内のドーナッツ・ショップ。ショーケースに並んでへばりついているニムと双子を見て、未春は憮然としていた。

「ああ、美味しそう……ちゃんとベルリーナーもあるじゃないか……種類も多い……これは迷う……いや、しかし、ドーナッツなら選択肢は増える……三つ……この大きさなら、五つ以上あってもいける……」

二十種近くあるそれを前に読経のように唱え続けるニムに、キャップをかぶったポニーテールの店員がクスクス笑い、双子もこの不審者グルメをちらちら見つつ、頷いたり顔を見合わせたりしている。未春に至っては見慣れて来た光景に――もう、端から端まで買えばいいのでは?と思っていた。

軽く息を吐いて、何気なく大きなガラス窓の外を振り返ると、対岸の道路をスッと行き過ぎた大きな黒い影が目に付いた。一瞬、ブラックかと思ってしまったが、微かに見えた顔は彼よりずっと年配であり、ぼさぼさの黒髪や無精髭が、どこかくたびれた印象の別人だった。

『ねえ』

ちょいちょいと袖を引かれて、未春は振り返った。

見下ろす先で、双子が揃ってショーケースを示している。

『ハルはどれが一番好きそうですか?』

試すような一言に、未春は言葉に詰まった。

「ハルちゃんが、どれが好きか……?」

『貴方が選んで』

押されるように未春はショーケースの前に行かされ、色とりどりの菓子を見下ろした。ニムが迷うのも無理はない……どれも美味しそうだ。ナッツやチョコ、ジャムやクリームの種類も豊富で凝っている。粉砂糖をまぶしたもの、グレーズのもの、さららも新作で作っていたバナナのもの、どれを選んでも失敗は無いだろうドーナッツを前に、逡巡した。

ハルトの好み……

さららのドーナッツは、どれも美味しそうに食べていた。それは当然だ。彼女のドーナッツは専門店にも負けない。しかし、彼はドーナッツの本場たるアメリカ在住時代にも色々食べている筈だ。何せ、上司のアマデウスが大のドーナッツ好きだ。パイやアイスクリームなども大好きらしいが、ドーナッツに関しては飽くなき執念のようなものを抱いているとかで、店に食べに来た際はさららを天才と評価し、彼女からの手土産をハルトが持参した際には、奪い取らんばかりに受け取り、大いに喜んでいたようだ。未春の記憶の中で、ドーナッツとハルトの食事風景がぐるぐると巡った。

「その……アーモンドのやつだと思う」

ようやく指さしたのは、良い色に揚がったイースト系生地にハニー・グレーズがかけられ、香ばしそうな厚めのスライスアーモンドがちりばめられたものだ。

日本ではあまり見かけないタイプだ。ダイス状や薄いスライス状のアーモンドをまぶしたものは見るが、このカットのアーモンドではさららも作らない。

でも……確か、ハルトはアーモンドが好きだ。

チョコレートを掛けたのにアーモンドが付いたものも喜んでいたが、あれはチョコではなく、アーモンドに惹かれている筈。鶏肉や鮭にスライスしたものを纏わせて焼いたものや、頂き物のフロランタン、アーモンド入りのキャロットラペもよく食べた。そういえば、いつの間にか家の冷蔵庫にアーモンドミルクを入れていたのは、よほど入れそうなさららではなく、ハルトだった。

後で知った事だが、アメリカでは日本よりもアーモンドミルクはポピュラーで、そのまま飲む以外にもコーヒーやグラノーラに入れたり、料理に使うなど様々利用されている。

「それ、美味しいわよ」

双子が何か言うより早くにっこり笑ったのは、ニムの読経を面白そうに見ていたポニーテールのスタッフだ。

「おひとつ?」

「ええと……」

「あ、お嬢さん、持ち帰るのと此処で頂くのを分けてほしいんだ。面倒で悪いけれど、彼女たちの分も僕が持つから」

「お安い御用よ。良かったら此処にメモしてちょうだい。食べてから決めても良いわ」

軽快にメモ帳とペンを手渡すスタッフに礼を述べ、ニムが双子と共にイートイン用とテイクアウト品の暴力的な羅列を書きながら、未春に振り返った。

「未春、さっきのアーモンドのやつでいいかい? 他にも食べる?」

既に五個食う気でいるニムに未春は怯んだが、よく考えたらさららの役に立つかも……と思い、二つ目は先ほどのスタッフに人気を訊ねてから、元祖ベルリーナーであるアプリコットジャム入りの丸いドーナッツを所望した。

オーダーを受け取ったポニーテールの店員は、ちょっと目を丸くした。

「あなた達も、こんなに? 持ち帰りじゃなくて?」

双子は同時に頷いた。出てきたのは、全く別々のものを四つずつ。未春は感覚がおかしくなりそうだと思ったが、よく考えたら叔父もその妻娘も甘いものは沢山食べる。

女性が甘いもの好きなのは万国共通か。しかし、この見るからにカロリーの塊であるドーナッツに動じない辺り、この双子もニムに負けていない。

四人はイートインの端に陣取り、各々のドーナッツをコーヒーと共に味わい始めた。

はちきれんばかりの笑顔でリスみたいに頬張るニムには聞くまでも無いが、並んで口に詰める双子も同様で、未春の目の前でリスは三匹に増えた。

「君たち、見込みがあるじゃないか」

奢り甲斐がある、と笑う作家に、双子は何故か得意げな顔をした。

「イギリス紳士もなかなかです」

白アスパラシュパーゲルにしてはやります」

「うおぅ……ドイツでも白アスパラガス扱いされるとは……」

褒められているのかけなされているのかわからない、と項垂れるニムだが、双子がニヤっと笑った辺り、それほど悪印象は持たれていない様だ。むしろ気が合いそうだなと未春は思いつつ、さららが作るそれよりワイルドなドーナッツを齧った。

「ねえねえ、ところで君たち、ハルには会ってるんだろ?」

カラフルなマーブルチョコレートが十粒はトッピングされたチョコレート・ドーナッツを手に、双子は無言で見交わした。

『会ってますけど、それが何か』

「僕はこの中で唯一、会ったことが無いんだ。どんな人物だい?」

双子は同時にドーナッツを齧り、ちらちら見交わす。この双子、思案の如何で視線を交わす回数が多い様だ。それでも喋らずに意思疎通ができるのなら大したものだと思っていると、ドーナッツを持ったまま、額だけ寄せ合ってヒソヒソ喋った。

会話は聴こえたが、ドイツ語のスラングらしき言葉の意味はわからない。

ふらりと振り向いた両者は、大人しく待っていた男二人につらつらと言った。

「器用だけど尊大」

「男の癖に細かい」

「クールぶってる」

「正論モンスター」

ニムが半信半疑の調子で訳すと、吹き出しかけた未春は脇を向いた。

「合ってる?」

「……大体合ってます」

”クールぶってる”も面白いが、正論モンスターは拍手を送りたい表現だ。

叔父のとおるを間に置いて仲良くなりつつあるさららと優一のように、ハルトを間に置くと、この双子と仲良くなれそうな気がした。

「フーン……僕が思っていたより、口やかましい男なのかな?」

ニムに言われたくはないだろうが、彼とはやかましさの意味が違う。

「前にも言いましたが、ハルちゃんは理屈屋なので」

双子はそれを聞くと、口元のチョコをナプキンで拭いながらクスクスと笑い合った。

当初は機械的な印象だったが、あまり敵意を感じない二人だ。ペトラには戦う際の注意をされたものの、彼女たちと争うことにはなりそうにないのでホッとした。

しかし、問題は此処からだ。

「ヒルデガルト・クリニクムまで配達?」

トレイを下げ、テイクアウトの注文がてらの提案に、スタッフはごく当たり前の反応をした。先程のポニーテールの彼女に、ニムは真摯な顔で頷いた。これが所謂、彼の英国紳士の顔なのだろう、誰が相手だろうと丁寧に、へりくだることなく、穏やかに会話に滑り込む。

「変なことを頼んでいるのは重々承知だ。彼女たちに付いていくのをお願いできないかな。出張費は支払うよ」

「私はもうすぐ上がるから、別に構わないけど……彼女たちが行くのに、私が行くのはどういうこと? 荷物がいっぱい有るとか?」

仰る通りの疑問に、ニムは何故か深刻そうな顔で声を潜めた。

「実は、彼女たちはヒルデガルトのナースなんだが、いま少々厄介な患者を抱えていてね……」

周囲を憚るようなニムの話に、双子や未春まで聞き入った。彼は片手で自身の頭を指差してくるりと回した。

「若い日本人男性なんだが、些か頭がそのう……イカレちまっててさ――」

未春と双子がぷっと吹き出しかけ、それぞれサッと口を覆った。口チャックしたお互いをちらっと見交わす三名をよそに、ニムの弁説は続く。

「そのイカレた野郎に、遠路はるばる会いたくてやって来た人が居るんだ。何を隠そう、そこの彼なんだが……彼らは所謂、兄弟みたいなもんでね」

振り返ったスタッフの視線からして、作家のせいで悲壮あふるる身の上と化してしまった未春は仄かな罪悪感と共に会釈した。

「しかし、当のそいつはイカレちまってる。悲劇だろう? もし、『君を覚えてない』なんて言いやがったら、彼がどんなにショックか……」

店員は興味を引かれた顔で、眉をひそめた。

「それは気の毒」

人のいいスタッフに、すかさず身を乗り出し、ニムは頷いた。

「だろう? 心ある人は皆そう言うさ。だからまず、そいつが何処までヤバいのか確かめなくちゃならない。だったら僕が行けばいい話なんだが、彼はさあ……それじゃあ信用できないって言うわけ」

「あらまあ」

「名誉のために言うが、僕が信頼に足らんロクデナシなんじゃあないよ? むしろね、親しい僕が気遣ってウソをつくと思ってるんだよ。そりゃあ真実を伝えるのが正しいとは思うがね、男ってのはその辺りの機微ってもんに疎いだろ? 下手なことを言えばかえって傷付けるぐらいは僕にもわかるが……」

何か経験でもあるのか、彼女は大きく頷いた。

「つまり、彼に言わせるとね、看護士さんも同じように当たり障りのない事を言うと思ってるわけ……そんなことはないとドーナッツで気分をほぐそうと説得してたんだ。美味しいものは心のビタミンだからね。とはいえ、見ての通り彼女たちは天使みたいな凄腕ナースだ、心を病んだ新たな患者が増えちゃあたまらんだろうし、ケアに努めるのが仕事だからね――まあ、そうした事情で、第三者の意見が欲しい。会ったばかりの人なら、奇譚のない意見が聞けるだろ?」

こんな妙な話で引き受けてくれるのだろうか……未春が不安げに見ていると、スタッフは険しい顔で頷いた。

「よくわかったわ。私で良ければ手伝わせて」

……引き受けてくれた。

「良かった! ありがとう――君はなんて優しい人なんだ! ドイツの淑女は美しくて良い人ばかりだ!」

曲者と言うには清純すぎる目でのたまう作家を、三人は出来たてのロボットみたいな顔で眺めた。話はトントン拍子に決まり、彼女――カリーナは指示通りのドーナッツを詰め、帰り支度の為にバックヤードに消えてから素早く戻ってきた。

五人になった一行は、ぞろぞろとヒルデガルトに戻り、ロビーで二手に別れた。

「たまにはこういう非日常的な出来事もいいわ。ちゃんと聞いて来るから待っててね」

何となくワクワクしているらしい彼女に、悲劇の当事者は複雑な心境で頷いた。

「宜しくお願いします」

「ああ、そうだ……これ、僕の連絡先ね」

別れ際、ニムは調査会社BLENDブレンドの方の名刺を、双子とスタッフの双方に手渡した。双子はこくりと頷き、カリーナは裏返したりして不思議そうに見ていたが、ドーナッツと共に、バックヤードへと消えた。

「こう上手くいくと、逆に気味が悪い」

ロビーの椅子に腰かけ、ニムは言った。未春も隣に座って頷いた。

「ハルは、此処に居るだろうね」

「はい」

当初、居所は報せられないと言われたが――カリーナを連れてバックヤードに行った以上、この病院に居るのはほぼ確定だ。可能性の話をすれば、地下から車、屋上からヘリで移動も考えられるが、無意味である。そんな手間を掛けるぐらいなら、この提案に乗ること自体が無駄だ。双子自体が別人というパターンも同様である。ブレンド社が入っている段階で、下手な虚偽はドイツ支部を不利にする。

「あの子たちは、素直な性格だと思います」

阿呆と言う意味ではないが、策謀には向かない人物だ。許可を貰って来たというのが事実なら、レベッカはこの二人が駆け引きに向いていないのは了承しているだろう。

「僕も同意見だ。それでもあの二人が出てきた辺りを疑うのは野暮な気もする」

「はい……ハルちゃんの方が、どう出るかわかりません」

双子の口から、「正論モンスター」などという言葉が出るのだ、ハルトはの発言ができる、彼らしい状態を保っていると思われる。ドイツに来たのも完全な強制ではあるまい――それなら、何も言わずに出て行ったのも……

「不安に考えても仕方ないさ、未春。待つしかない時は、楽しいことを考えなくちゃ勿体ないよ」

今日の夕飯とか、と言う男に、未春は苦笑した。

彼が食べたドーナッツは、もう消えてしまったのだろうかと思いながら。




 「おかえ、り……?」

言い掛けた青年は文庫本を手に、胡乱げな顔で瞬きした。

戻ってきた双子の後ろに、何故かドーナッツの箱を持った見知らぬ女性が立っていたからだ。ポニーテールが若々しい印象の彼女もきょとんとしてこっちを見ている。

「……誰だ?」

『証人』

すかさず出るエマとラナの合唱に、疑問は更に深まったらしい。

「何の……?」

『ハルは聞かなくていいです』

双子の片方がコートを預かり、片方が椅子を引くのを訝し気な視線が見つめる。

「俺の前に座るのに……か?」

『何か問題?』

「まあ、別に無いが」

じゃあ黙れと言わんばかりの視線に、仕方なさそうに青年は肩をすくめた。

「こんな所まで、配達?」

尋ねたハルトに、女は頷いた。

「一応、そういう話。私は『Jeden tag Donutイェーデンタークドーナッツ』店スタッフのカリーナよ。貴方が”ハル”ね?」

「ああ。なんだか知らんが、ご苦労なこった……コーヒー要る?」

「ありがとう――そんなに酷くなさそうね」

変な事を呟いた女に怪訝な顔をしつつも、店員のようにミルクや砂糖の有無まで聞いた若い日系人は、双子と自分の分もコーヒーを淹れ始め、注いでから席についてドーナッツの箱を覗き込んだ。

「お、美味うまそう。ドイツにもこんなに種類置いてる店有るんだな」

『どれにしますか?』

「え、俺は後でいいよ。お前らから……」

「私たちは食べて来ました」

「好きなの選んでいいです」

双子の言い得ぬ圧に、ハルトはたじろいだ。――何だ……その頑なな態度は?

「……じ、じゃあ……オススメある?」

店員と見込んでの問い掛けに、彼女は口を開きかけたが、サッと双子が手を伸べた。

『自分で選んで!』

「一体何なんだ、お前たちは……!」

「どれも美味しいわ。人気が有るのは全部入ってるわよ」

三者の視線を浴びながら、ハルトは双子をちらちら見ながら一つを指差した。

「じゃあ……この――アーモンドのやつ……」

イースト生地にざっくりしたカットのアーモンドとグレーズがたっぷり掛かったものを選ぶと、双子の眼光がギンときらめいた。ドーナッツを選んだだけで。

『ハル、アーモンドが好きなの?』

眼光は依然として鋭い。医師が危険な症状を何故黙っていたと問う様でもあるが、いや……これは再三の犯行の末、貴様はブタ箱が好きかと問われる気分か?

「お、おう……悩んだらアーモンドにするな。牛乳より、アーモンドミルクの方が好きだし……」

『もう一つ選んで』

「さっきから何なんだ?」

『選んで!』

「あーわかった、わかった、落ち着けよ……これ、なに? シナモン?」

『オレンジピールとレーズン生地に、シナモンシュガー』

店員のような詳しさと正確な合唱に、本物の店員も驚いたように見ている。

「オリーボーレン風ってことか。じゃ、これにする……」

ぱん!と双子が片手と片手をハイタッチし、ハルトはドーナッツを手元の皿に乗せてびくりとした。

「本当にどうした、お前ら……」

「放っとけなのです」

「こっちの都合です」

「あー、そーですか……そいつは失礼しましたー……」

投げやりな返事をしながら、ハルトはドーナッツを齧ったが……今度はその様子を、三者がじいっと見てくる。まるで、実験動物の様子を見る研究員、または毒を盛った相手の反応を見る殺人犯だ。

「……落ち着かねえわあー……」

気怠そうにぼやくと、コーヒーをひと口入れて溜息を吐いた。

「そろそろ話せ。一体、何なんだ。こちらのお客さんはともかく、お前らは何を企んでる?」

『企んでません』

「嘘つけ。怪しすぎるぞ」

双子はつんと澄まして、鏡に映すように同時にカップを傾けた。ハルトの視線はカリーナに向き、彼女はちらりと双子を見た。

「もう、聞いてみてもいいんじゃない?」

目前でこっそり問いかける彼女は、もろに内緒話に向いていない。

一方で、双子は無言で互いに言葉を交わすと、彼女に頷いた。了承を得たと見るや、ドーナッツショップのスタッフはこほんと咳払いした。

「ちょっとお尋ねしますけれど」

変な調子で話し掛けてきた女に、ハルトは怪訝――いや、胡散臭いものを見る目で嫌そうに頷いた。

「何?」

「貴方、ミハルさんに会いたい?」

Huh?はあ?

唐突な質問に唖然とする男に、カリーナはニムのように身を乗り出した。

「大事な事よ。ちゃんと答えて」

「なんだ、藪から棒に……なんで、あんたが未春を……」

「あ、良かった。ちゃんと覚えてるのね!」

「覚えて……? そこまでボケちゃいない――って、何の話だ……?」

明らかな動揺が見えて、女三人は表情をひりつかせた。

「会いたいか聞いているのよ」

『正直に答えて』

ちょっぴり怒ったような女に、双子がダメ押しする。

「そ、そんなもん答えてどうするんだよ」

わけがわからん、と身を引く男に、カリーナは応援するように言った。

「兄弟みたいな人なんでしょ! ちゃんと考えて!」

「兄弟……!? な、なんで初対面のあんたがそんなこと言うんだ!?」

狼狽えたハルトは吐き捨てると、がばりと涼しい顔の双子を見た。

「……来てるのか?」

双子は急に知らん顔でマグカップを傾けた。

「おい! 来てるんだな……!?」

殆ど怒号が出たが、それでも双子は応じない。チッと悪党じみた舌打ちが出た。

ハルトは椅子を蹴るように立ち上がり、洗い桶にマグカップを放り込み、すたすたとドアに向かった。

『ハル、返事がまだです』

静かなハーモニーが呼び掛け、肩をいからせた男は肩越しに振り向いた。

「……お前らのボスを通せ。そういう契約なんだろ?」

フッと双子が鼻で笑った。

『ガキ』

墓穴を掘ったと気付いたハルトは気の利いた台詞も出ない。歯噛みして部屋を出ようとしたが――たった数歩で、バックして戻って来た。その向かいには、息を切らした金髪の若い女が立っていた。

「イルゼは……帰ってる……!?」

ただならぬ雰囲気に、双子も席を立ってやって来た。ハルトも眉を寄せて女を見た。

「お前、ロッテか。此処には居ないが、どうした?」

「帰ってないの?」

問い掛けに、双子も頷いた。

『どうしたの、ロッテ?』

らしくもなく青ざめた女は、のろのろと辺りを見渡した。

「イルゼが……急に居なくなったの……!」

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