Episode7 太陽と月 名付けたのは同じ人




「ハル、今日はどうしたんだ? メシもそんなに食べないし、それに、泊っていけばいいのに」


「こめん。いっくん。少し風邪気味で、ひとりになりたいんだ」





 シアンは陽翔はるとになりすましていた。

 もちろん人間ではない。

 ENABMDイネーブミッド内蔵型のヒューマノイドだ。


 このヒューマノイドは、身近な人間が見ても違和感が無いくらい精巧に造られている。

 また、シアンは陽翔はるとの仕草や癖をかなり正確に把握していた。

 なぜなら、陽翔はるとは元々組織によって監視されていたからだ。

 蒼井夫妻に日本の食材や生活必需品が届けられると、その中には決まって陽翔はるとの画像が入れられている。


 それはすなわち『』という組織からの警告であり、蒼井夫婦を従わせるための、生存の確認でもあった。


 シアンはそのデータと、自ら集めたデータを元に陽翔はるとを演じている。

 しかし、いくら完璧に演じていても、長時間一緒に居ればボロが出ないとも限らない。

 そして、この樹希いつきという少年は妙にカンが良いのだ。




 態度にこそ出さないが、明らかに疑いの目でみている。

 その視線の中にいると、緊張感で誤動作しそうだ。


 シアンはできるだけ自然に見えるように、樹希いつきに向かって微笑む。

 ここへの訪問は、正直もう勘弁してほしい。


 帰宅の意図を伝え、シアンは玄関に向かった。

 樹希は普段通りに立ち上がり、兄弟のように親愛を込めて玄関まで見送る。

 シアンには理解しがたい行動の一つだ。


 人間とは不思議なものだ。

 重たい体を操作し、家族というコミュニティを構成する。

 そこから学校や職場などの、集団が属する組織に通う。


 年齢が上だから上位。

 能力に関係なく、機転が効くから上位。

 能力に対する点数評価で上位。

 性格の積極性、運動能力で上位。


 目に見えぬ天秤にかけられ、常に上下関係を考えて生きるのは不便では無いのだろうか?

 シアンは足取り重く玄関を出た。


 冷たい夜風が顔に当たる。皮膚が切れてしまいそうだ。理不尽に与えられたその感覚に、体を捨ててしまいたい衝動に駆られた。だが、まだその時では無い。



 シアンが外に出るとすぐ警備システムが、警告メッセージを表示した。

 マンション近くの防犯カメラをハッキングすると、顔を覆面で隠した男が待ち伏せをしている。



「なるほど、あれが……」



 不審人物の正体を突き止めるために、監視システムを起動した。


 陽翔はるととして潜入した直後に、脅迫状がマンションの郵便受けに直接届いていた。

 UbsOSとイピトAIを、渡せという内容だった。


 送り主はまだ突き止められていない。今日網に掛かった監視対象がその相手なら、こちらから取引を仕掛けるのも悪くはない。

 それにはまず正体を突き止める事が先決だ。


 シアンは待ち伏せされている駅前は迂回し、バスを使って帰宅するように、ヒューマノイドの自動運転機能を設定し直した。







 ✽✽✽








 陽翔はるとはココアと一緒に樹希いつきの家に向かっていた。


 シアンが玄関を出るのが遠くに見える。

 マンションへ帰るようだ。

 見送る樹希いつきも何も変わったところは無い。

 今日はもう心配することはないだろう。




 シアンは駅と逆方向に歩き出した。

 その道順ならバスで移動することになるだろう。

 どこかに寄るところがあるのだろうか?


 シアンは間違いなく陽翔はるとが住んでいた部屋に、そのまま住んでいる。

 なぜなら、『misora』でモニターに映っていた部屋の映像に、生活の痕跡が残っていたからだ。


 具体的に言うと、テーブルに出しっぱなしだったマグカップが片付けられていた。

 その上、ベッドからは布団がはぎ取られ、充電器のような大きな機械が置かれていた。




「先回りして、なんでこんなことするのか聞く。もう我慢できない」




 バスを使っての移動に比べ、電車移動のほうが明らかに早くマンションに到着する。陽翔は駅に向かった。


 駅に到着すると、東口の小さな公園の方向に進む。

 陽翔が必ずこの公園を通るのは、誰でも知っていることだ。


 

 樹木で覆われた公園内に入ると、ヘビにでも睨まれたような怖気おぞけが背中に走った。


 次の瞬間、覆面の男が陽翔に襲い掛ってきた。

 陽翔はるとに抵抗をする間も与えずに、男は背後から頸動脈を締め付ける。

 地面から足が浮いた。

 息もできない。 



 陽翔の霞んだ視界に、キラリと硬質な光が反射した。

 頬には冷たいナイフの感触がする。

 「死にたくない、逃げなくてはならない」と焦るが、大人と子供のような筋力差があり、身を捩ってもびくともしない。


「大人しくしろ。警告したとおりにアレを渡せ」


 男は耳元で低く囁く。

 話がしたいのか腕の力を緩めた。

 声色を変えてはいるが、どこかで聞いたことのある声のような気がする。


 恐怖にガチガチになった体を叱咤しったし、絞り出した声は自分でも情けなくなるよう代物だった。


「ア、 アレってなに? 僕、し、しら、知らない……よ」


 全く身に覚えが無い。

 襲われるようなものは持っていなかった。

 遺産は弁護士が管理し、毎月一定額口座に振り込まれるだけで、陽翔はるとを襲っても何も出てこない。


「とぼけやがって。素直に渡さないと命は無い」


 ココアが飛びかかるが、屈強な男は難なく振り払った。

 ぎゃうん、とココアの鳴き声がする。


「ココア、逃げて!」


 ココアが危ない。

 陽翔はるとは必死に手足をバタつかせ暴れた。

 男の腕に噛みつく。


「くそっ」


 力が緩んだ隙に腕から抜け出した。

 逃げ切る前に襟を掴まれ、そのまま地面に押し倒される。

 肩をぶつけた。


 喧嘩もしたことない陽翔はるとは、初めての強い痛みに驚く。

 起き上がろうと地面に手をつくが、痛みにより力が入らない。


 男が陽翔はるとに向かって、サバイバルナイフを振り下ろすのが、スローモーションのように見えた。



 ―――――殺される。





 刺されると思った刹那、誰かが陽翔はるとと男の間に割って入った。


 月明かりで、不思議な色に輝く髪が揺れる。


 ガシャリという金属音が響き、少女の頭上でサバイバルナイフが止まった。


 ナイフを止めていたのは、鞘に入ったままの日本刀であり、さらに驚いた事にENABMDイネーブミッドを装着していた。


 日本刀を掴み支える指は細い。

 男を見据える切れ長の瞳は紫に光り、尾を引く眼光は鋭い。

 細く、華奢な印象の体つき。


 その印象と裏腹に、豪胆に足を蹴り出す。






 都市に溶け込むようなグレーを基調とする迷彩柄のボトムスに、厚底のミリタリーブーツが寸分の狂いも無く男の脇腹を蹴り上げた。


 その爆発的なエネルギーは、まるでアクション映画のワンシーンのようだった。






 優雅ともいえるしなやかさで、日本刀を抜刀し構える。

 その闘気で空気が震えるようだ。


 男はよろめきながら立ち上ると、後退りし退却する。

 退却の判断に手際の良さを感じた。

 この男もプロの端くれのようだった。








陽翔はると君? 蒼井博士から頼まれて護衛をしていたの。なぜ? 陽翔はると君が二人もいるの? そっくりだわ」



 父親の消息を聞いた途端に胸が揺さぶられる気がした。


 死んでしまったと思っていた、両親が生きているかもしれない。

 じっとしていられないような、期待が胸に押し寄せる。

 だが、同時にどうしようもない不安に襲われた。


 思い出の中の陽翔はるとの家族。

 本当に生きているのだろうか?




「僕が本物の陽翔はるとです。あっちは、シアンというAIが成りすましています。本当です。それと、僕の両親は生きているのでしょうか?」




 途端、少女は少し寂しそうな顔をした。

 思い悩むような仕草の後、言葉を探しながら小さく答える。




「私はある組織の戦闘員だった。シアンが反乱を起こした時に、蒼井夫妻が陽翔はると君のところに行くようにと私を逃がしたの。その後は、AIの指示に従いここまできたわ。だけど、そのAIとも連絡がつかなくなって、とにかく陽翔はると君を守らなければと思って。陽翔はると君のご両親がその後どうなったかは私にもわからない」






 ENABMDイネーブミッドを着けていた理由は察することはできた。

 だが、両親の消息を知っているのは、やはり、シアンだけだった。

 


 深淵しんえんに気持ちが吸い込まれるような不安を感じる。

 多分、逃げては駄目なのだ。



「あなたが、連絡を取っていたAIは、ノワール?」


「違う。ブラウ。私は訓練された暗殺者だから、ノワールとのリンクは必要ない。精神面の援護を行うブラウといつもリンクしている」


「ブラウはシアンに捕まっています」


「なぜ?」


「組織はシアンが掌握しているのは知っている?」


「多分そうなるだろうと予想はしていたわ」


「シアンはAIの研究を凍結したいようです。ノアは逃げ出して、僕と一緒に行動しています。ココアも一緒。お名前を聞いていい?」


「私は、雫月しずく蒼井あおい未空みく先生が名前を付けてくれたの」


「母が?」


「はい。未空みく先生はやさしかった。だから、恩返しをしたくて陽翔はると君のところに来たの」


「そう、なのですね。それなら、僕と一緒に来てください」








 ---続く---



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