第13話 共闘

「あぁ、あぁ、ほらほら、無理しない方がいいよぉ、雑になってない?」


「あの覚醒者は何だ!」


 次々とモナの身体に刺さる痩剣、その数は十八、十九、二十。

 ほとんど拷問の終末としか思えない姿でも、その全ての転移は成立することなくモナの身体から吐き出される。



「ねぇ、敵に質問して答えてもらったことってある?遠視と戦闘で頭ぱんぱん?」



 モナは埃を払うようにアイリスの攻撃に全く動揺がない。

 単純な戦闘力の差ではない。

 これは相性だ。

 転移させる物質量が小さいほど、拒絶はしやすくなる。

 遠距離からの不意の殺傷を主戦場とするアイリスにとって、相対しての近接戦は最も苦手とするところだ。


 アイリスは慣れぬ戦闘に入りすぎた力を抜く。



 __苦手だって?



 戦場において、苦手なんて言葉を少しでも頭に浮かべた自分に腹が立つ。

 それほどに強敵ということか。

 ただ、そう思ってしまった時点で自分は相手から半歩下がっている。

 近頃の自分は、少々弱気に過ぎていけない。

 これは訓練ではないのだ。この場にあるのは、目的と遂行、その二つのみ。



 ___舐めるなよ。

 


 「はぁぁ___」



 アイリスは肺に残った空気を全て吐き出す。

 生死の天秤が大きく傾くことなど、これまでいくらでも経験してきた。

 その都度、秤の支柱を掴んで、無理矢理「生」の方に持っていく術だってあるに決まっているだろう? 


 アイリスの眼前に、虚構の円環が拡張され、静かに回転を始める。

 彼女の静謐な声が、己の力に耐えきれぬようにその言葉を漏らす。




「__________十二鏡じゅうにきょう__」




 アイリスの扱う痩剣が、一瞬の後、戦場から一振り残さず消える。

 モナ・ザレファユフセラの顔が逡巡して、


 

 「波長が、、、追えない、、、っ!?」



そしてモナはこれまでにない退避の形を取った。

 一呼吸。

 二呼吸。

 再び現れた剣の数本が、距離を取ったモナの足を穿ち、 血の雨を流す。

 拒絶する間も、思考の隙もなく、その転移は姿を現した瞬間に成立していた。



 「、、、、っ!やるじゃない、アイリス・ライゼンバッハ。今のは頭が混乱したわ」


 「隙を見せるからよ」


 「誰が。こっちだって高速転移は疲れるんだから、ねぇそうでしょう、ミラリロ・バッケニア」


 モナが語りかけた先には、アイリスの痩剣で背の軍服だけを貫かれ、空に縫い留められたように、鉄馬ごとぶら下がったままのミラリロの姿があった。

 エチカのところに向かう途中、モナへの攻撃にカモフラージュされたアイリスの剣によって強制転移させられたらしい。



 「どういうつもりですの、クソ女」



 ミラリロは不満を隠さず、呆れたようだった。



 「各個撃破で行こうと思って」


 「自分の弱さを、さも戦略のように飾らないでくださる?」


 「じゃぁお姉様、あれに勝てるの?」



 アイリスは遠視した炎の女をミラリロにも見せる。

 エチカとその女はすでに管理棟から離れ、軍基地監視塔の天辺にいた。何かを話しているようにも見える。

 遠視に気づいているとは思えないが、その炎の顔がアイリスの方を見て笑んだように見えた。



 「、、、あんな自由に覚醒を扱えるものかしら。何かのトリックじゃないの?」



 そのミラリロの言葉に被せるようにして、急に退屈そうになったモナが、爪を弄りながらだった。



 「もう作戦は練った?モナとしても二人揃った方が都合が良くて助かっちゃう」


 「ほらクソ女、相手の思う壺だそうですわ」

 

 「いいから、さっさとその統一性のない剣を私のために振り回しなさい」


 「誰があんたの!」



 ミラリロの激昂を聞き流し、アイリスは長距離転移の準備に入る。

 その隙を逃すまいとモナが鎌を擡げるが、三振りの刃が彼女の頭をぐるりと囲む。



 「おい、おかちめんこ、モナの顔に刃を向けたな?」



 ミラリロはモナに半身を向けて、片目だけを魔に取り付かれたとしか思えないようにかっぴらく。


 

 「最初から傷がついているんだから、今さら1つ、2つ変わらないのではなくて?」


 「死ねよ、狂人」


 「誰が誰に」



 次の瞬間、モナの身体が消え、ミラリロの正面に現れる。

 が、そこにはすでに待ち構えた鉄槍の切っ先が向けられており、モナの額を薄く刺した。それはまるで悪戯な子どもをぺちりと叱るようなものだった。

 モナは佇立したまま固まり、鼻の横をうっすら流れた血が唇に触れた、その時、残された短剣と太刀が左手と右手を深く穿つ。



 「ぅがぁあああああああ!!」



 穴の空いた手同士を重ねて、モナが呻く。

 そこに今度は、姿をくらましたアイリスの遠方からの転移が胸を貫く。それを何とか弾くものの、今度はミラリロが片手に持った太刀で袈裟にモナを断った。


 黒いドレス風の服が破れ、胸から臍までが露わになる。

 あちこちから血を流したモナが、ミラリロを射殺すように睨んで叫ぶ。



 「お前、お前ェ!」



 モナが怒りに狂ったまま、鎌だけをミラリロの背後に置く。振り返ったミラリロの先には、すでにそこにあるべき鈍色の輝きがなかった。

 


 (お前の強さは「そこ」か)



 モナは半狂乱になりながらも、冷静に分析する頭を追い出すことができない。

 こいつの強さは、思考とウーシア運用、どちらも空白がないこと。

 普通の人間が、一、二、三、、、と離散的に動くのに対して、彼女には小数点以下がある、連続的な動き。


 なら!

 強制的に思考を止めて、こちら側に拍を合わすしかない。



 「、、、シぃ!!」



 不格好に後ろを向いたミラリロの、無防備になった背後からモナが襲う。

 が、それも短剣と鉄槍の交差した盾に防がれた。

 そして、今度は拒絶しやすい胸ではなく、両の太ももにアイリスの細い剣が刺さる。

 


 「あああああああああぁあ、、、、、、ぐそっ、、、っ、、、なんで、、、お前らなんかにっぃぃぃいいいいいいいいいいいいい、、、!」


 「ボルラ波長値はおそらく1点代、促成能力も高いわね。高速転移によるバック・バック。相手の背後に武器を転移させ、すぐに手元に戻す基本型。ウーシア波長を察知する能力の高い相手には有効で、それも高精度」


 「なのにお前は、、、、!!」


 「エチカ少尉はわたくしのことを、帝国最高の騎士と称しましたわ。帝国最強でも、最高の適合者でもなく。それが何故か分かって?わたくしがなぜ鉄馬に乗ったままなのが分かるかしら?」



 モナは流れ続ける己の血で滑る手でツーサイドアップになった髪を乱雑に解き、ミラリロの自信に満ちた顔を見る。その顔は冷たく、まさに徹底された騎士の誇りが全ての感情を凍結しているようだった。


 

 「修練を終えたばかりの兵士だからじゃないですわ。鉄馬という自分より大きい質量体を通して、増幅しすぎたウーシアを濾過し、常に一定の波長、濃度で戦闘に臨むため。全ては帝国が想定する最高の運用の再現。まぁ、遠くで眺めているあのクソ女は波長が大きすぎて乗れないだけですけど。わたくしに無様に負ける者たちはね、わたくしの髪を見て、薬物中毒者の戦闘狂であると誤解するから、瞬きの間に落ちるのですわ」



 ミラリロはその手に太刀を握り、鉄馬の両脇に短剣と鉄槍を天に向かって立たせる。それは彫像にしたらさぞ美しいと思わざるを得ない、寸分の狂いもない騎士の姿だった。



 「天賦の才を持った素人の、鼻息の荒い真似事ほど見ていて腹立たしく、もの悲しいものはありませんわね」



 その言葉に、モナの顔が初めて恐怖に引きつった。

 すでに体のあちこちに穴の空いた彼女に、対抗する手立てはない。



 「その生き恥は、ミラリロがそそいであげる」



 ミラリロがその太刀で以てモナを断罪しようとしたとき、突如として1人の男と、1人の女が1体の鉄馬に乗ってモナの横に現れた。

 まるで、勝敗が決するその瞬間を見計らっていたように。


 ミラリロはいらいらしたように、太刀を持ったまま頭を掻く。



 「ったく!!一体なんなんですの、わらわらと次から次に、、、、、、、、、は?、、、、、、え?、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、っ!!!!!!!!!」



 背後の男に支えられるようにして、鉄馬の前方に乗った少女。

 その顔を見て、憤慨していたミラリロの表情は固まった。



 「あなた、、、、、、嘘、、、、、、本当に、、、、、、?」


 「ミラリロ!ミラリロなのね!ずっと、ずっと、会いたかった、、、、、、、!」



 その少女は大粒の涙を流しながら、今すぐにでもミラリロの方に駆け寄りたいと言わんばかりに手をめいいっぱい伸ばした。



 「どうして、あなたは、ミヤハはテミナル島で、、、、、、、」


 「みんな、みんなじゃないけど、、、生き残った人はここに居るの!!モラン母さんも、マットルも、タハリャンも、カイラースだって、、、!!」


 「嘘よっっ!!!テミナル島に居た人たちはほとんどみんな、ミスタント朝の奴らに、、、殺されて、、、、」



 その言葉の先を、ミラリロは接げなかった。

 顔を下げたミラリロの脇に、アイリス・ライゼンバッハがいつの間にか立って、彼女を支えた。



 「あの子が言っていることはおそらく本当。ここはただの牢獄じゃない。ほとんど1つの街と言っても良いぐらい」


 「どういうことですの、一体、何が何だか、、、どうして、、、」




 ミラリロの疑問に答えたのは、白銀の髪の顔立ちの整った男だった。




 「ミラリロ・バッケニアよ。丁度6年前に起きたテミナル島虐殺事件の生き残り。あの時、他にも生き残った者たちがいた」


 

 その男が誰か、という疑問はすでにミラリロの頭から捨てられていた。



 「でも、帝国に救われた者以外はほとんどミスタント朝の軍の奴らに殺されたって、、、」


 「いや、一部の住民はレガロ帝国軍に救護された。そして、その者たちを再度抹殺しようとしたが、できなかった」


 「抹殺?出来なかった?」




 ミラリロは旧友のミヤハの目に訴えかけるが、彼女は顔を逸らす。




 「そもそも、ミスタント朝の軍を島にけしかけたのは帝国だ。ファー大陸のヤイグセン=ファトランティス朝が、分霊海のゴンゼキ島に進行するため、その足掛かりでテミナル島に侵略をしかける。ヤイグセンと友好的なレガロ帝国にも、海の反対、ユイセル大陸側から援護してほしい、と。その嘘の情報を、わざとミスタント朝に流した」



 言葉を失ったミラリロに代わって、アイリスが質問を投げる。




 「ゴンゼキはアリタン系とファトランティノ系の人たちにとっては人類発祥の聖地。そしてゴンゼキの北と南の海峡、その経済的管轄権の争い。ミスタント朝とヤイグセンは分霊海を挟んでずっと対立してきた。それを利用したってこと?」


 「ああ、そうだ」


 「なぜ?帝国がミスタント朝と戦争をするために?」


 「違う。テミナル島には帝国の最重要人物、その子孫が韜晦とうかいしていた。帝国は幾度も島民に対してその人物の明け渡しを要求していたが、拒み続けた」


 

 そこでようやく、ミラリロの目に光が戻り、白銀の男に噛みつく。



 「そんな話、聞いたことないわよ!!あそこは、何もない、ミラリロたちの、、、」


 「島民たちもなぜ、その少女のことを帝国が欲するのか、理解していなかったからな」


 「小、、、、女、、、、?」


 「ああ、シャーリス・フォーヴァー。君も良く知っているんじゃないか?彼女がこの帝国の第一観測者だ」


 「シャーリス、、、シャーリス?あの、甘ったれで、ひ弱で、性格の曲がった、陰険でうざったいあの女のせいで、みんな、ママも、、、エチカだってそのせいで記憶を、、、」


 エチカ、と少尉と付けずに呼んだのはいつ以来だろう。

 年下の、ただの男の子だったときのエチカ。

 ミラリロのウーシアが、重い血のように撓みながら広がる。




「ミラリロ!エチカは元気なの?それからユトは?ユト・クーニア!」




 ミヤハが涙を飛ばすようにして問いかける。




「エチカは、ここに居る。でも、島での記憶はあの時のショックで、、、忘れてるわ。ユトは元気よ、東方の作戦でしばらく会ってないけど」


「良かった。みんな、みんな心配していたの。亡くなった人たちは、お願いしてここに墓を作ってもらったの。あなたの両親の、、、、、、、、そう、、、、、、お墓もあるわ。でも、軍に入った人たちのことは分からなくて、、、」


「パパとママの、お墓、、、」



 ミラリロの顔を、アイリスはもう見ることができなかった。騎士の名誉にかけて、それは見てはいけないものだと思った。

 アイリスはその代わり、事態を整理しようと努めた。「第一観測者」という言葉だけは依然ブラックボックスの中だが、それ以外の状況は繋がる。


 つまりだ。

 テミナル島の虐殺は「第一観測者」、シャーリスという少女を捕獲するための帝国の陰謀。

 そして、その島民を口封じなのか知らないが、存在を消そうとしてもできなかった。ゆえに、囚人としてこの地下牢獄に封じている。そして反抗しないように、一定の自由を認めて居住環境を整える。

 民主神聖同盟は、囚人の解放と帝国の罪を暴露しようとしていると考えるのが自然だ。

 そのため、なるべく秘密が露呈しないよう、最小人数でそれを阻止するべく、内密にエチカが派遣された。


 そう考えれば辻褄が合う。

 

 そして、この状況の先には、エチカを殺すことにより、何らかの形でその第一観測者を入れ替える。その因果関係は不明だが、それらを全て含めた作戦、暴動と捉えれば、道は通る。


 ただ、疑問がある。

 なぜ派遣するのはエチカでなければならなかったのか。

 民主神聖同盟がエチカの命を狙っているとは知らずとも、テミナル島出身のエチカを派遣するのは、いくら記憶を失っているとはいえ、不安要素が大きすぎる。

 正直、エチカと同等の作戦遂行能力を持つものは他にも多くいるのに、だ。


 分からない。

 理解できる事態が出てくるのと同時に、不可解も増える。

 その状況こそが、自分たちが不利な場所に落ちて行っていることの証左に思えてならない。



 「ミラリロ、みんなを助けて、、、島に戻りたい、、、あの頃みたいに、、、」



 ミヤハが気を失ったようになったミラリロに語りかける。

 その声が届いているのか定かではなかったが、ミヤハは続ける。



「今のあなたなら、ウーシアに認められたあなたなら、出来るでしょう?」


「わたくしは、、、ミラリロは、、、、」




 ミヤハとミラリロの目が合う。

 ミラリロの頭に、過去の、あの海に囲まれて穏やかなテミナル島での生活が一気に想起される。大工仕事で帰ってきたパパの汗の匂い、ママが作ったハイリス貝の出汁の匂い。全部が幸せではなかった、辛いことの方が多かったかもしれない。ただそれは合奏のように混然一体となって、懐かしい望郷の念となる。



 その思い出を再度壊すような、下卑た声が追憶の終わりを告げる。



「ねぇ、シュージルぼっちゃん、もういいでしょう。十分よ。モナはさっさとこの女の醜く歪んだ顔を見ないと、血が止まりそうにないわ」


「ああ、そうだな。そろそろ幕引きだ」



 シュージルと呼ばれた、その白銀の髪の男が、刀身を煌めかせて短剣を持つ。




「、、、ねぇ、、、ちょっと、、、おい、、、、あなた何を、、、?」



 ミラリロが目を見開く。

 ミヤハもまた、そのミラリロの尋常ならざる気配を感じて一気に怯えた顔になり、背後を振り向く。



「い、、、いやぁあああ!やめて、、、殺さないでぇ!!!助けて!助けてミラリロ!!」


「待って、待ちなさい、、、ダメよ、、、そんな、、、、」




 乱れたウーシアで転移できそうにないミラリロに代わって、アイリスがその男に照準を合わせる。ただ、転移が成功する兆しがない。

 あたかも、大きすぎる潮の満ち引きに脚を取られたように、立っていることがままならない。


 その時、太く雄々しい、男共の声が脳裏に響くのを、そこにいる皆が聴いた。



 【 漁火いさりびこそわだつみへの諫言かんげんと知るが良い】



 「まさか覚醒!?どうして、そんなこと、、、!」


 アイリスの驚愕にも、その男共の雄叫びに近い声は止まない。

 鼓動のように、徐々にその幻聴は大きく、皆の胸を直に打つ。 



【 罅割れた褐色の肌は大地への焦がれ 】


     【こちらを見つめる者よ】


【古から大仰を崩さぬお前は知る由もない】


     【本当に恐れなき者はいつだってお前に背を向ける】


【いくらでも酒を食らい、よしなく肉を飲むために】


     【幾多の酸甘さんかんを身に干し、敗残すること千や万】



 アイリスは亡霊のように虚空を掻いて進もうとするミラリロの背を掴む。



 「ま、待って、待って下さる?ミヤハが、あの子は弱いのよ。昔からいつも虐められたってわたくしのことを頼るような子なの、だから、だから、いつもわたくしが助けてあげるのよ?偉いでしょ、わたくし」


 「ミラリロお姉様、、、もう無理よ、、、」


 「どうしてよ!ねぇどうしてっ!邪魔しないでくださる?私たちだって覚、、、くっっ!」



 アイリスはへらへらと力なく笑うミラリロの頬を叩いた。



 「どういう理屈か知らないけど、あいつらは覚醒を自由に起こせる、!ここは撤退します、ミラリロお姉様」




 アイリスは、ミラリロが自棄やけを起こす前に抱えて退避しようとした。




 「ミラリロ、ミラリロ!!!どうして、どうして助けて、、、ううん、、、、なんでこんなこと、、、、どうか、、、、どうか、生きてね、、、私たちの分まで、、、ぐっぁ、、、」



 短剣が、ミヤハの胸から生えたように突き出る。

 事切れる瞬間、責めるような、微笑むような瞳で、ミラリロのことを見た。

 それも僅かの間。

 すぐにミヤハから命の光が失われていく。瞳はもう焦点が合っておらず虚空に置かれた。

 


 「置いて、、、置いてかないで、、、わたくしだけ、、、また、ミラリロだけ、、、もう苦しむのは、嫌、、、、、、耐えられない、、、、、、」



 自分はミヤハを見ているのに、彼女は違う。

 ミヤハはもうきっと、過去に行ったのだ。みんながいるあの頃に。

 わたくしだけをまた独りにして。


 ミラリロの心の中に、死に行くミヤハへの悲しみと、なぜか憎悪も生まれていた。



 ミヤハの胸からゆっくりと流れる血が、いよいよモナ・ザレファユフセラに最後の力を与える。


 鉄馬の上でぐったりとしたミヤハ、その身体が、足先から腐るようにどす紫になり、ぼたぼたと地に落ちる。その腐敗は脚から胸、頭部におよび、眼球が崩れる。



 「惨いな」



 アイリスが呟き、ミラリロはもう言葉とも言えない金切り声を上げた。

 もう視線が交わらないミヤハの瞳を直視しなくていい安堵なんてものは、喪失の前では意味をなさなかった。


 それは誰への慟哭だったのか。

 ミヤハを殺した男に対してか。モナに対してか。

 あるいは全ての元凶の帝国に対して、それとも己の運命にか。




 「ああああああああああああぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああいやぁあああああああああああああああああ!!!」




 それはどこか、古の光景。

 普遍で回顧的な、漁師たちの船団が朝霧の向こう、その場の皆の目に映る。

 自然との対立と憧憬、畏怖と克己こっき

 原始的な狩猟活動の喧騒。



旨酒みわを飲め、飲み尽くせ】


     【旨酒を飲め、飲み尽くせ】


【空の樽には勝利の澱が溜まっているぞ!】



 _____アキエース《マネ・ウト・エス》





 


 


 


 

 

 

 

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