3匹目 保護悪役令嬢になったエレノア



「おい、起きろ」

「………ッフニャ゛!!」


 何かがずり落ちた。黄色い何かが私の肩を揺らしてきたせいで、目が覚める。袖でよだれを拭いた後、目元をゴシゴシ擦る。黄色い何かじゃなくて、お人好しだけど逃してくれなかった王太子殿下だった。落ちたこれは……マント?


「見ず知らずの人の船に乗っておいてすぐに寝る馬鹿がいるか!」

「そう仰る割にはもう着いたみたいですけど……」


 寝かしておいてくれたくせに何を。いい昼寝でした。

 恐る恐る辺りを見回す。マーレリアの王都は、張り巡らされるかのように流れている運河に合わせて、アイボリーの石造の家などが建ち並んでいる。一般市民は相乗りゴンドラや小舟を使って移動しているようだ。水は嫌いだけれど、ちょっと興味が沸いて、手を出して触ってみる。


「……子供か」


 やっぱり水は水で、ピャッと手を引っ込めると、お人好し……いや王太子殿下は呆れたように、でもなんだか楽しそうに笑った。


「……綺麗だろう」

「そうですね」


 そして愛おしげな顔で町や人を見る。あの元婚約者様こと殿下とは大違いね。自分の国を愛しているのだわ。というか……。


「なんてお呼びすればいいですか?」

「ん?」

「王太子様? それとも殿下?」


 正直、殿下とは少し呼びづらい。元婚約者と同じなんだもの……。こう、むず痒いというか気まずいというかこれじゃない感がする。


「名前を教えただろう? そう呼べばいい」


 名前……なんだったかしら。エドワード? エドモンド? エドえもん?

 必死に記憶を引っ張り出そうとしていることがバレたらしく、お人好しさんとその隣の従者さんになんとも言えないじっとりとした視線を向けられる。

 ど、ド忘れってやつですよ。


「はぁ……エドアルドだ」

「はい、エドアルド様」

「ほら着いたぞ」


 差し出された手をひしと掴んで船から陸へ上がる。王城……にしては小さな宮殿だった。いや、もちろん綺麗なのだけれど。街並みと似たような感じで四角くて、コの字になっている。でも中庭があって、自然に囲まれているし……どこ、ここ。


「ここは離宮だ。俺が住んでいるところであり、お前には身辺調査が済むまでここにいてもらう」

「……え」

「とりあえず入れ」


 今日中に帰れないの? 調査したところで元侯爵令嬢の元殿下の婚約者で国外追放されたことしか出てきませんことよ?

 流石にここから逃げることもできずついていくと、中はこじんまりとしつつも綺麗にされていて、カーペットの色や美術品などの所々にセンスを感じさせた。客間のソファもフカフカで、ヴィンテージもの。応接間に案内され、カフェラテが出された。苦いのは嫌だからありがたい。


「それにしても、串焼きを食べていた時とは大違いだな」

「と、言いますと?」

「なんかこう、表情が固い」

「そうですか?」


 とエスプレッソを飲みながらひとりごとのように仰るエドアルド様。

 そうかしら。意識したことはなかったけれど。そういえば昔殿下が、少しくらい笑ったらどうだと理不尽に怒ってきたことがあったかもしれない。扇子で隠している上に何も面白くもない状況なのに何を笑う必要が? と無視したけれど。


「まあ、そこは置いておいてだな。これからどうする予定だったんだ」

「……とりあえず服を売って」

「待て待て売るな」

「大丈夫ですよ買いますから」


 さすがの私も下着姿で町を闊歩なんてできませんよ。これでも淑女でしてよ?


「それで得たお金と服で、都合のいい設定……捨てられた商人の娘とでも言ってその日雇いをしてもらおうかなと」


 これでも侯爵令嬢として、多言語は喋れる。実際、マーレリア王国だって違う言語だけれど、何も不便なく会話も読み書きもできていた。貿易国でこれほど役立つ能力もないだろう。


「そんな適当な……襲われたらどうするつもりだったんだ」

「野犬程度なら倒せます」

「そういう問題じゃない」


 頭を抱えているエドアルド様。いや、そんなことよりですね。


「すべて吐くのでどうか解放してくださいませんか?」

「それは無理だ。あと吐くな」

「持っている情報はすべてお教えしますから」


 といっても機密情報くらいしか持ってないけれど。殿下のお尻にほくろがあるとか。そういう……。


「すまないが、少なくとも数日はここで食客として過ごしてもらう」


 これはどう交渉しても無理らしい。これで婚約者様でもいらっしゃれば、泊めるのなんて不貞だと言えるのだけれど……現在いらっしゃらないことを私は知っている。

 ああ、絶対に野に放たないって顔に書いてあるわ。私はたださっさと漁港に戻って明日も海鮮が食べたいだけですのに。特に……ああ、そうだわ。


「じゃあ大人しくする代わりにあくあぱっつぁを作ってください」


 漁港に着いたばかりの頃、どこかのご婦人と漁師が話していた謎の料理。

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