エンブレイス

有希穂

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刈穂町へ

 がらんどうの電車に揺られながら、僕は暗い窓に反射している自分の顔を眺めている。これが、唯一の肉親だった父を失い、生まれ育った街を離れ、独りで生活することを強いられた十六歳の顔なんだな、とそんなことを思う。客観視ですらない、どこまでも無意味な現状分析だ。

 僕は、どうしたらいいんだろう?

 もうずっと、薄い煙のように捉えどころのないそんな疑問が、解消されないまま頭の中を彷徨っている。

 これまでのことも、これからのことも、どうでもよかった。思いを馳せることも、想像を巡らせることも、今の僕にとっては等しく困難で、億劫なことだからだ。

 ――次は、刈穂かりほ。刈穂。

 くぐもった車内アナウンスの声が、目的地の駅を告げる。足元に置いていたバックパックを手にして、僕はのそのそと立ち上がった。

 刈穂町かりほちょう。路線図の隅から三つ目にあったそこが、これまで住んでいた東京とは比べ物にならないほど寂れた土地であろうことは、想像に難くなかった。事実、随分前から窓の外の光源は外灯と遠い家明かりのみで、今も、眼の前には思わず怯んでしまいそうなほどの漆黒が広がっている。

 おそらく、少し前の自分だったらこんな田舎で生活するくらいなら死んだほうがマシだとさえ思っていただろう。

 けれど、どこでどんな生活を送っていようと、羽場はば未来みらいという人間が抱えている歪みが矯正されるわけではない。そう考えると、誰もが憧れる大都会と名前も聴いたことのないような片田舎の格差なんて、あってないようなものだった。

 寄る辺のない自分の保護者となってくれた叔父には、もちろん感謝している。叔父が転居や転校の手続きを済ませてくれたおかげで、僕は環境を変えるための準備らしい準備をほとんどすることなく、ただバックパック一つ分の荷物だけを持ってここまで来ることができた。

 それでも、僕はどうしてもこう思ってしまう。

 なにもかもを失っても、生きることは続けていかなくちゃならないんだな、と。


 ホームに降り立つと、十一月の冷気が全身を攻め立てた。バックパックに入れていた薄手のセーターを取り出して頭からかぶるけれど、寒さはあまり変わらない。僕は肩をすくませながら改札へと向かう。

 刈穂駅は無人駅のようで、駅員はおらず古い改札機が一台あるだけだった。その割に駅舎は広く、木の湿ったような匂いが薄っすらと漂っていた。

 改札機が切符を吸い込む音が、大げさに響く。高い天井に取り付けられた蛍光灯のぼんやりとした光からも伺えるほどに建物は老朽化が進んでいて、なんだかまるで過去の時代にタイムスリップしてきたような感覚だった。

 ふと、前方で人が動く気配がした。出入り口付近に設置されているベンチから、誰かが立ち上がったのだ。終電がたった今行ってしまった駅に人がいるとは思っていなかった僕は、驚いて足を止めた。

 そこにいたのは、白いダウンジャケットを着たショートボブの女の子だった。顔の造形はあまり鮮明には伺えないけれど、どうやら僕とそう歳の変わらない子のようだ。

 彼女は、立ち止まったままの僕の元へとゆっくり近づいてくる。距離が縮まるうちに、その表情が少しずつ鮮明になっていく。色白で、ハッとするほど綺麗な顔立ちをしていた。豊かな睫毛と流麗な線を描く二重瞼が印象的な切れ長の目許が、まっすぐにこちらを見つめていた。

 次第にその目が喜びに細められる。口角は緩く上がり、頬が薄明かりでも見てとれるほど色づいていった。その表情の変化を、僕は息をするのも忘れて眺めている。

 そして。

 ――気がついたとき、僕は彼女に抱きしめられていた。

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