1-6 選択

 理央の顔は腫れあがり、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。口には銀色のテープが巻かれていて声は出せない。

 カラスが理央の方を向いて言った「ほら、ご主人は生きています。昨夜、ご主人を殺したと言ったのは――あなたを殺すと言ったのも――さっきお話したとおり、あなたに恐怖を与える為です」

 昨晩のあれ、ご主人の死体だと思ったでしょう? いろいろと考えたんですよ。でも、あの時は信じていただいたようで私も満足です。

 理央が泣きながら首を振る。

「これからゲームを行います。これが私のやりたかった事です。だから理央さん。あなたもご主人も、前もって殺してしまったのでは元も子もありません」

「ゲーム? ゲームだと?」和彦が聞き返す。

「はい。ゲームです」

「殺す気か?」

「これからがメインイベントです」

「俺達は助かるのか? どうすれば助けてくれる? お前の……君の望みを教えてくれ。私にできることならなんでもしよう。だから……」

 カラスは和彦の言葉を無視して続けた「さて、このゲームは選択です。何を選択しようが、私はその選択を尊重します」

「選択だと?」

「はい。どれにするか選択するだけの簡単なゲームです」

 カラスが理央と和彦に向って交互にナイフを突きつけていく。まるでメトロノームのように正確な規律だ。しばらくそうした後、和彦の前でナイフの動きを止めた。

「安心してください、田之上和彦さん。圧倒的にあなたに有利なゲームです。因みに私はゲームには参加しません。傍観者、観客です」

「有利?」

「はい。有利です。なぜならこの選択は田之上和彦さん。あなたにしか権利がありません」

「どういうことだ?」

「全て、あなたの選択で決まるという事です。そこいる口のきけない女―あなたの妻、理央さんに選択権はありません。ただあなたの選択にしたがう事しかできません」

 カラスが理央の方に向き直って続けた「因みに先ほど、奥様にも、同じ選択ゲームをしていただきました」

 理央が泣き出した。

「参考までにお願いしたのですが、それはおもしろい結果でした」

 カラスがまたナイフを左右に振り始めた。「もう一度言いますが、どんな選択をしても私はその選択を尊重します」

 丁寧な言葉遣いと、ボイスチェンジャーによって変換された機械音が、より不気味さを醸し出している。

「公正を期すために、奥様の選択結果は内緒にしておきます」

 理央が泣きながら和彦を見つめる。

「さて始めましょう―と、もう一つ言い忘れていました。勝者……勝者と言っていいのかわかりませんが、このゲームの対価として私は一億円をお支払いします」

「なんだと!?」

「たしか奥様、仮想コインで一億ほど損をなさいましたよね?」

 理央がプルプルと身体を震わせる。

「ご主人も、いらぬ投資で散財してしまった後だけに痛い出費でしたね」

「な……なんで……その事を……」

「あそこにバックがあります」

 カラスが指さした先、リビングのガラステーブルの上に黒いボストンバックが置かれていた。

「見てください」

 カラスがボストンバッグのファスナーを開き、その中身を見せた。「ここに一億あります」

 ちらっとしか見えなかったが、札束で間違いない。「どういうことだ?」

「そういうことです。一億さし上げると言っているのです。命の対価としては少なすぎる気もしますが、まあそこはご勘弁ください」

 そう言うとカラスは和彦を拘束しているテープを切っていく。

「テープは切りました。後はご自分で剥がしてください。剥がしたらそれをこちらに投げて下さい」

「自由にしてくれるのか?」

「早くしてください」

 カラスがナイフを突きつける。

「わかった。わかったから」

 和彦は言われた通りにした。

「では、そこにある新しいパジャマに着替えて下さい。そして、今着ていたパジャマもこちらに投げてください」

 カラスがナイフをテーブルの下に向ける。

「なに?」

 気が付かなかったが、そこには、見慣れた自分のパジャマが置かれていた。

「なにをしようと言うんだ」

「早くしてください」

 和彦が着替え終わると、カラスはダイニングテーブルの上、和彦からは少し離れた位置にナイフを置いた。そして左のポケットからもう一本、ナイフ取り出してもてあそび始めた。

「な…なんのまねだ」

 ナイフ……身体が自由になった今なら、このナイフをつかんで……

 カラスが和彦の顔を覗き込む。「自由になりましたね。そのナイフで私を攻撃してみますか? でも私の特技は格闘技です。対戦してみます?」

 和彦は襲われた時のことを思い出して首を横に振った。かないっこない。

「賢明な判断です」

 そう言うとカラスは弄んでいたナイフを自分の足元に置いた。それからコートの右ポケットに手を入れ、拳銃とサイレンサーを取り出した。そして慣れた手つきでそれを組み立てていく。

「な……銃……」

「銃は嫌いです。できれば私もこれは使いたくありません」

「ほ、本物なのか?」

「さあ? モデルガンかもしれませんよ。試してみますか?」

 カラスが銃口を和彦の右足に向けた。

「いや……」

「う……うう……」と理央が和彦に向って何か言っているが、それは、あいかわらず言葉として響いていなかった。

「ではゲームをはじめます」

 そう言ってカラスが頭上で拳銃を振り回し始めた。





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