1-4 田之上理央

田之上理央


「お届け物です」

 インターホンの画面に宅配業者の姿が映っている。

「はい? こんな時間に?」

 時刻は夜の九時半を回っている。

「時間指定になっています。二十時から二十二時」

「はい、わかりました。どちらからですか?」

 用心に越したことはない。夫からはいつもそう言われている。議員という仕事柄、恨みを買うことも少なくない。昨年、不審者騒ぎもあったばかりである。

田之上和彦たのがみかずひこ様宛で、送り主は宮川敬一様。長野県からで牛肉って書かれています」

 宮川さんだ。宮川は夫の大学時代の後輩で、たしか地元、長野で市会議員をしている。毎年この時期になるといつも美味しい信州牛を送ってくれる。間違いない。

「今開けるわ」

玄関を開けた瞬間、バチバチっという音とともに首に強烈な痛みが走った。


 頬がじんんじんする。今、頬を張られたのだろうか?

 気が付くと田之上理央たのがみりおは全裸で拘束されていた。銀色のテープでぐるぐる巻きにされ、ダイニングチェアーと一体化されている。両足はそれぞれ左右の椅子の足に、両腕は肘掛に置かれた状態で固定されている。

 理央にとって想像を絶する……屈辱的な姿である。

 激しく力を込めて、抗ってはみたが、びくともしない。

 大声を出そうにも口も塞がれている。口の中になにか布のようなものが詰め込まれている。その上からテープで何重にもまかれているようだ。

 さっきの宅配業者に間違いない。理央は宅配業者の顔を思い出そうとしたが思い出せなかった。男だったか? 女だったか? 男のようにも女のようにも見えた。帽子を被り、マスクと眼鏡をしていた。今時、マスクをしている人は多い。うかつだった……声は? そう言えば、今思えば何か違和感のある声だった。

 部屋を見回すとソファーの向こうに人が倒れている。膝から下しか見えないが、あのパジャマとガウンは―間違いない。夫だ! 両足首は銀色のテープで巻かれている。生きているのかわからない……少なくとも夫は身動き一つしていない……

 リビングの時計を見る。二十三時十七分……あれから二時間近く経っている……

 視線を正面に戻すと、目の前に何かが立っていた。

 理央は叫んだ! 何度も何度もはち切れんばかりの大声をだして叫んだ! だが無情にも、うう……うう……という僅かなうめきしか発する事は出来なかった。

 そいつは足の先から頭まで、全身、黒ずくめだった。そして頭部には不気味なカラスの面を着けていた。

 理央は再び、叫びにならない叫びを上げた。

 理央は髪の毛を掴まれ、頬を張られた。何度も何度も。どんなに泣き叫んでも、声を発する事はできない。顔がじんじんして痛みの感覚も失せてきた。涙と鼻水があふれ出てくる。

 何分、いや何十分叩かれていたのだろうか? このまま死んでしまう……そう思った時やっと、そいつの手が止まった。

 理央が泣きじゃくっているあいだ、そいつは彼女の向かいに椅子を構えて座り、こちらの様子をうかがっていた。

 しばらくしてそいつが口を開いた。

「私が誰か知りたいか?」

 不気味な機械音が響く。

 ボイスチェンジャー……こいつはほんとにヤバい……理央は首を横に振った。

「今から、その口のテープを外すが、大声を出したら殺す」

 理央は何度も何度も頷いた。

「大人しくしていれば、あるいはお前は助かるかもしれない」

 理央は頷いた。

「お前の夫は、私の忠告を聞かなかったから殺した」

 そいつが、ソファーの向こうに向かって顎をしゃくった。

 理央は、思いっきり声を上げたがそれは響かなかった。

「大声を出すなと言ったはずだ。お前も殺すぞ」

 そういってそいつは理央を殴った。

 理央はブンブンと何度も頭を縦に振った。

 そいつは立ち上がり、ソファーのほうに歩いて行った。理央が振り向くと、ずるずると夫が引きずられ、そのまま廊下に消えていった。

 しばらくするとそいつは戻ってきて、再び理央の前に腰を下ろした。

「いいか、大声を出したら殺すぞ」

 そいつの手には大きなナイフが握られていた。

 理央が頷くと、男は理央の顔面に巻かれたダクトテープを剥がし、口の中から布を取り出した。それは理央が今日履いていた下着だった。

「私の質問に正直に答えろ。いいか質問にだけ答えろ。余計な口はきくな。嘘をついたら、その場で殺す」

 理央は泣きながら頷いた。

 そいつはいくつかの質問をし、理央はそれに答えた。質問が終わるとそいつは、再び理央の口を塞ぎ、リビングを出て行った。

 三十分後、そいつは戻ってきて、また理央の頬を張った「私が誰か知りたいか?」

 理央は黙っていた。

「今から私の顔を見せてやる」

 理央は首を横に振った。見たら殺される……

 理央は目いっぱい首を横に振った。何度も何度も泣きながら首を振った。

『見たくない、あなたの顔なんて見たくない。誰にも言わない! だから殺さないで!』

 理央は叫んだ。何度も何度も叫んだ。だがその声はう、うう、という、うめき声にしか、ならなかった。

「怖いか? ならお前にチャンスをやろう。私を見る前に、私が誰でなぜお前を殺そうとしているのか? 当ててみろ。時間は十分。十分間の間に当てることができなかったら、お前を殺す。当てることができたら、とりあえず今すぐに殺すことはしない。ヒントは、お前を殺したいほど憎んでいる者だ」

 理央が首を横に振ると、髪を掴まれて、また思い切り頬を張られた。「十分だ」そう言ってそいつは理央の口からテープを剥がし、口の中に詰め込まれていた布を取り出した。

 理央は自分の罪を暴露した。十分間、しゃべり続けた。

「おめでとう。とりあえず、今のところは命を繋げたな」

 そう言うとそいつはゆっくりとカラスのマスクを外した。

 理央は泣きながら首を振った。

 そいつは満足げに笑っている。

 殺される。わたしは殺される。理央は恐怖のあまり失禁した。そして再び首に激痛が走り、気を失った。

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