36. サフィラの本音
「サフィラ。これが終わったら、結婚しよう」
「し、……しない」
できたらいいのに、と心の隅っこで思う。そんなことお構いなしに、クラヴィスは「俺のわがままを聞いてくれ」と頬ずりをした。
「サフィラ。ずっとここにいてほしい」
クラヴィスが、サフィラを抱きしめる力が強くなる。息をのむサフィラに、クラヴィスは囁いた。
「お前はすぐに隠しごとをする。……言ってくれないと、俺は、サフィラを助けられない」
サフィラは「隠しごとなんかない」と首を横に振る。クラヴィスは、サフィラの肩口に顔を押しつけた。堪えかねたように、息を細く吐き出す。
「俺はそんなに頼りないか?」
途方に暮れたような細い声で、クラヴィスは言った。サフィラはなにも言えなくなって、クラヴィスの腕の中でちいさくなる。
「……ううん。すごく、頼りになる」
「なら、頼ってくれ。今のお前が何かを隠していることくらい、分かっている」
その言葉に、サフィラは身体を強張らせた。クラヴィスを呼べば、なんだ、と彼は低い声で言って、サフィラをますます強く抱きしめる。
クラヴィスの体温が愛しくて、悲しくて、どうにもならない。胸がどくどくと脈打って、頭に血がのぼった。
無言になってクラヴィスを抱きしめるサフィラに、くしゃりとクラヴィスが笑った。
「言ってくれ。お前の気持ちを」
彼の体温で、強張っていた心と身体がほだされていく。クラヴィスは、サフィラの背中を軽く叩いた。
「好きだ。結婚しよう」
ばか、とサフィラは罵った。自分もクラヴィスも馬鹿だ。そして一番救いようのない馬鹿は、サフィラだ。
「結婚しない」
頑なに声を張るつもりが、情けない甘ったれた声が出た。クラヴィスは「うん」と鼻を鳴らすように返事をする。
「サフィラ」
ゆっくり、クラヴィスの顔が近づく。サフィラは「違う」と身体を引いた。
「ちがう……」
「違わない」
諭すようにクラヴィスが言う。あやすようなキスが額や、頬に降りた。もう、何もかもが台無しなような気持ちで、サフィラは首を横に振る。
「クラヴィス。離して」
「離すわけがないだろう」
自信たっぷりの声で、クラヴィスが言う。彼は大きな手でサフィラを抱きしめて、撫でさすって、とろかしていった。
「サフィラ。助けてほしいと言ってくれ」
くらくらする。太く筋肉質な首筋からは、彼自身の蒸れたにおいがした。
「だめ。だめになる」
サフィラが歯を食いしばって身をよじると、クラヴィスは低く喉を鳴らして「降りてこい」とサフィラの背中をあやすように叩く。
サフィラは、八つ当たりのようにクラヴィスの背中を叩いた。拳を、その広い背中へと打ちつける。
「きらいになるだろ、普通!」
ぼろぼろと涙があふれる。悔しくて、罪悪感で胸が苦しくて、やけになってクラヴィスを傷つけた。
ずっと、サフィラはそうだった。
「きらいになってよ、どうしてぼくなんかのことが好きなんだ。神さまだって助けてくれない僕を、なんで!」
クラヴィスは「なんでだろうな」とサフィラを抱きしめつづけた。日だまりのような体温でサフィラを包み込み、額に唇を押し当てる。
サフィラはクラヴィスの腕の中で何度も彼を叩き、身体をねじり、駄々をこねた。
そして精魂尽き果てた頃。サフィラは、クラヴィスの背中を、渾身の力で殴る。鍛えられた彼の身体は、びくともしない。
「……きみは、強くなった」
サフィラがぽつりと呟くと、クラヴィスは黙って頬ずりをした。サフィラはクラヴィスに抱きしめられて、ベッドへと押し倒される。二人でベッドに転がって、サフィラは天井を見上げた。
「僕なんか、もう必要ないだろう。なんで僕に執着するんだ」
「お前だったから」
甘く震える声で、クラヴィスは言った。
「子どもの俺を外へ連れ出してくれた。俺をずっと応援してくれた。それが、お前だったからだ。お前がいなきゃ、今の俺も、これからの俺もない」
サフィラは、大きなため息をつく。肺を空っぽにするほど長く息を吐いて、目元に手を当てた。
「本当に、馬鹿」
どいて。サフィラはクラヴィスの腰のあたりを軽く蹴った。クラヴィスは「嫌だ」と頑なに離れない。
仕方がないのでサフィラはクラヴィスの背中を撫でさすり、「ごめん」と呟いた。
「思い切り殴っちゃった。痛かっただろ」
「全然痛くない」
そう。サフィラは頷いて、観念したようにまぶたを閉じる。
再び目を開いて、クラヴィスを呼んだ。
「……僕がこれを言ったところで、きっと、きみの望む結果は得られないと思う。もしかしたら、きみは僕を嫌いになるかもしれない」
だけど、とサフィラは、クラヴィスのあたたかな身体を抱きしめる。
神様は、サフィラを助けてくれなかった。見守ってくれていると思っていた。
でも実際は違うみたいで、クラヴィスのほうが、頼りがいがありそうで。
望む未来にならなかったとしても、どれだけ自分勝手だとしても、サフィラはこう言いたかった。
「助けて、クラヴィス」
ああ、とクラヴィスは、感極まったように息を吐き出す。のしかかるようにサフィラを抱きした。
クラヴィスは満足げに喉を震わせ、獣が我が子を慈しむようにサフィラの頬に唇を添える。
「何で困っている。お前を苦しめるすべてのものを、俺は取り除こう」
「大げさ」
こんなときでも憎まれ口を叩くサフィラへ、クラヴィスは満足げにキスの雨を降らせる。相変わらず抱きしめる力も強くて、少し苦しい。
だけど、それが無性に嬉しかった。
サフィラは、自分の秘密を白状するために、口を開く。
「僕は、自分の命と引き換えに、力を手に入れたんだ」
少し冷えた指先を、クラヴィスの背中へ、錨のように突き立てる。
「マーレを倒したら、僕は彼女の道連れになる。……テストゥードーと、そう契約した」
クラヴィスはサフィラの背中をさすり、「そうか」と首筋に顔を擦り付けた。やわらかい髪が肌をくすぐり、獣のような唸り声が鎖骨に響く。
「サフィラ。俺の秘密も話そう。お前が話してくれたのに、俺も話さないのは誠実じゃない」
彼はそう言って、顔を上げた。サフィラはクラヴィスの下で、彼の影を浴びた。
「俺は魔物の神ウィータから、テストゥードー殺しを依頼された。……お前を、助けられるかもしれない」
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