1、ココと黄金の骨董品たち

第1話

 とある勇敢な貴族と天使が、この地を支配する悪魔を倒した後に興ったのが、『ファインデンノルブ王国』だ。


 天使は貴族の若者を土地の王とし、王となった青年は天使を国の守護聖人と定めた。


 凍える人々に天使が与えたのは金の涙。


 天使の恵みは、彫金細工の工芸品によって国中に広まった。


 そしてさらに時代が下り、金山が国内のあちこちで見つかると、国は彫金細工の品々を輸出し豊かになっていく。


 今では彫金細工による恩恵によって、大陸内で一、二を争う強大で歴史ある王国となった。


 そんなファインデンノルブ王国の王都、『ロイデンハウン』は、内陸部だが穏やかな気候に恵まれ、素晴らしい景勝地が周辺に広がっている。


 一周するのに徒歩で丸一日かかる巨大な城壁に囲まれ、多くの市民でにぎわっていた。


 ロイデンハウンの一角に建てられているのが、ココの住む『シュードルフ男爵家』……もとい、元・シュードルフ聖公爵邸の非常に豪華な屋敷だ。


 天使の黄金の涙を使った、彫金細工の匠としての地位を確立し国の発展に大きく貢献したのが、ココの先祖一族だ。


 王族と並ぶいにしえの家系であり、そのため本来なら『聖公爵』という特別な貴族の地位を持っている。



 ――七年前。



 母の姉――ココの叔母が亡くなると、『直系女性が家長になる』という一族のしきたりによって、ココの母である『メルゾ』に白羽の矢が立てられた。


 彼女は商売人の『マッソン』と結婚して一般人になっていたが、一転してシュードルフ聖公爵家の家長となり、貴族の地位を再び得ることになる。


 しかし。


 メルゾは一夜にして老け込み、美しかった容姿は今のココと同じように、老婆のようになった。


 ココの父マッソンは、あまりにもひどいメルゾの姿に衝撃を受けてしまった。


 母とココへの愛情は冷え込み、人目につかないように家に軟禁状態にしてしまった。


 マッソンは不倫相手である子連れの美しい妾を家に連れ込むようになり、メルゾとココのことは居ないものとしてふるまった。


 そしてその年の末にメルゾが天国に旅立ってしまうと、彼女と同じようなひどい姿になったココのことを、家族たちは使用人のように扱うようになっていた。




 立派な建物の中から、今朝も女性の金切り声が聞こえてきていた。


 ココは使用人とともに昼食の準備にいそしんでいた手を止める。


「……また、お義姉さまが癇癪をおこしたのね」


 義母ポーラの連れ子である義姉ステイシーが、癇癪を起こすのは毎度のこと。


 それもこれも、身に染みついた贅沢が止められないからだ。


 おまけに娼婦出身のポーラは、もともとの貴族たちとの超えられない壁を埋めるのに、着飾って社交界に繰り出すことで自分を誇示しようとする。


 商人上がりでおこぼれで貴族になれたマッソンも、地位と権力の甘い汁を思う存分吸い続けており、その甘美な余韻から覚めることができない。


 どうみても身分違いの豪華な衣装に装飾品、そしてとんでもない広さの屋敷。


 維持費がまかなえないため使用人たちに暇を出し、残ったのはメイドと給仕の長のみだ。


 屋敷に残る遺品は日を追うごとに換金され、生活に困窮する日々が続いていた。


 ココは立ちあがると、ステイシーの待つダイニングに向かった。


 入室するなり投げつけられたのは、熱い紅茶の入った安物のカップだ。


 ステイシーのコントロールが悪いため、避けずともココに当たることなく床に散らばる。


「早く脚をもんでちょうだい。痛くて痛くてもげそうなの!」


 昨晩、大きなパーティーに参加した彼女は、無理にかかとの高いヒールをはいたせいで足を痛めたらしい。


 ココは言われた通り、彼女の脚に手を伸ばした。


 十八歳という美しさの盛りにあるステイシーの脚は、肌の張りもありほっそりしている。


「素手で触らないで。気色が悪いし、ガサガサで痛いのよ」


 パシンとたたかれてしまい、ココはポケットから手袋を取り出した。それを嵌め終わると、再度ステイシーの脚に手を伸ばす。


「ココ。あんたって、ほんっとに気持ち悪いわ。そんな見た目だから、公爵次男ニールにも捨てられてしまうのよね」


 フレイソン公爵家の次男坊である『ニール・フレイソン』は、ココの二つ年上の幼馴染だ。


 彼は、かつてはココの婚約者だった。


 しかし七年前にココの容姿が急変するなり、婚約を委棄してしまっている。


「でも、あんたが気持ち悪いおかげで、ニールは、あたしと愛を育んでいるんだけれど」


 彼はそのうち、何事もなかったようステイシーの恋人になった。彼女は金髪碧眼の美人で、着飾っていれば目を引く容姿だ。


 ステイシーと同い年のニールが、ココから乗り換えるのも納得できた。


 ただ、ニールの兄が婚約をしていないこともあったため、ニールとステイシーの二人はまだ正式な婚約を交わしていなかった。


 やっと、数週間前にニールの兄が伯爵家の娘と結婚を決めたので、ステイシー達に婚約発表の順番が回ってきた。


 そういうわけで、ステイシーの誕生日の祝いも兼ねて、近々フレイソン公爵家の屋敷で婚約パーティーを開催する運びになっている。


「……そういえば。ニールも素敵だけど、昨晩のランフォート伯爵は格別だったのよ」


 ココは彼女の脚をもみほぐしながら、さりげなく相槌を打った。



 ――ランフォート伯爵。正式には、『ランフォート聖伯爵』だ。



 それは、王族たちの財宝を収蔵・管理する『ランフォート城』を守護する、重要で特別な称号でもある。


 難関と言われる試験を受けたあと、王族じきじきに選抜し伯爵カウントの爵位をもらうため世襲制ではない。


 栄えあるランフォートの名前を一年前に受け継いだのは、今年二十歳の青年、ノア。


 一目見たら、誰もが魂を奪われるといわれるほどの美貌を持つと噂が絶えない。


「彼の灰銀色の瞳にじっと見つめられたら……ああ……」


 たいがいパーティーの翌日は文句ばかりのステイシーなのだが、今日は噂のランフォート伯爵の美貌にあてられたようで文句が少ない。


「それに、あたしのブローチを褒めてくださったの。伯爵自ら声をかけてくれたのは、あたしだけ!」


 さすが、国内外の美術品を管轄しているだけあるわ、とステイシーは上からな物言いをしている。


 良かったですねと呟きながら、ココは内心意地の悪い笑みになった。


(――ランフォート伯爵が、動き始めたみたいね)


 それはステイシーたちの破滅の始まりを示すのだが、そうとわかっているのはココだけだ。


 ステイシーは「もっと強くして」とココの手の甲をつねった。


 もろい皮膚はつねられただけで血がにじんでくる。


 しかし来客を告げる侍女の声を聞くと、ステイシーはパッと手を離した。


「そういえば、ランフォート伯爵が、婚約の祝いの品をくれるって言ってたのよ。それが届いたのかも!」


 飛び起きてバタバタと駆け出して行ったステイシーが、悲鳴を上げるのは二分後。


 入り口に散らばった茶器を片づけていたココは、屋敷に噂の美青年――ランフォート伯爵がやってきたのを知ることになる。


「……やっと来たのね、ノア」


 ようやく王国の未来のシナリオが、ココの思う通りに書き変わり始めたようだ。

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