最後の願いは光の下で

 病院の白い壁が冷たく感じる。病室の窓からは、少し曇った空が見えた。その部屋のベッドに横たわるのは、高校生の琴音。


 もう数年もここで過ごしている。両親と妹が何度も見舞いに来てくれているが、どうしてか申し訳ない気持ちになる。


 彼女は笑顔を見せるものの、その笑顔の裏には深い疲れが隠れていた。琴音の妹、千尋が病室に入ってくると、琴音はその顔に明るい表情を浮かべる。


「千尋、来てくれたんだね」


「うん、お姉ちゃん。今日はどうだった?」


 千尋の声は優しく、まるでお姉ちゃんが元気を取り戻してくれるのを祈っているようだった。


 琴音は小さく息を吐き、目を閉じた。彼女の病気は難治性のもので、医者たちも手をこまねいている。


 「実はね…」琴音は、少し言いにくそうに口を開いた。「私、もう長くないみたい」


 千尋の心臓が大きく跳ねた。彼女はしばらく言葉を失った。琴音は両親にも言えなかった自分の余命を、妹に告げたことに苦心しているようだった。


 「お姉ちゃん、そんなこと言わないでよ。きっと、治る方法があるはずだよ!」


 千尋は必死に笑顔を作りながらも、内心ではどうすればいいのかわからなかった。琴音はその目を優しく見つめ、手を伸ばして千尋の手を取った。


 「千尋…ごめんね。こんなことを話してしまって」


 「お姉ちゃん、謝らないで。私、まだ何もしてない。どうにかできることを探すから」


 琴音はその言葉に小さく頷き、千尋をじっと見つめた。千尋の心は痛むばかりだったが、彼女は決意を固めた。何とかして姉を救う方法を見つけると心に誓った。


ーー


 数日後、千尋は「夢を叶える本屋」という噂を耳にした。なんでも、その本屋には願いを叶えてくれる本が現れるとのこと。藁にもすがる思いで、その本屋を訪れることに決めた。


 本屋は町の端にひっそりと佇み古びていた。店の中に入ると、古びた本がたくさん並んでいて、静かな雰囲気が漂っていた。


 「いらっしゃいませ」と、店主が穏やかに微笑んだ。


 「ええと、姉の病気を治す方法が書かれた本を探しています」


 店主は少し考えた後、棚の一冊の本を取り出して千尋に渡した。


「この本が、もしかしたら役立つかもしれません」

 

 病気の症状すら話していないのに適当な本を渡す店主に疑念を抱きながらも、千尋はその本を受け取り、部屋で読み始めた。


 本には効果のありそうな行動がいくつかあった。例えば、[姉に折り紙で鶴を折る]や[姉に今日会った嬉しかったことを話す]などだ。


 それぞれ、心身を回復させるものであると書いてあったのだが、千尋には難しい話はわからなかった。実行は簡単なものだったので姉のために必至になった。


 姉は私の行動に笑みを浮かべて、みるみるうちに症状が改善されているようだった。


 「お姉ちゃん〜! これ覚えてる?」


 「んー? あっ懐かしいね、まだ私の病気が深刻じゃなかった時の写真だね」


 「うん、この時のお姉ちゃんめっちゃ笑顔」


 「太陽が眩しかったからかな」


 ふと千尋は本に『太陽の下で深呼吸をする』と言った文言があるのを思い出したので、それを琴音に告げる。


 それを聞いた琴音は一瞬渋い顔をしたが即座に笑顔になり、「それなら屋上に行くのはどう?」と提案した。


 「千尋! ほらもう大丈夫よ! 立てるし」


 「お、お姉ちゃん…!!」


 「なに泣いてんのよ? 一緒に屋上行くんでしょ? ほらいくよ…」


 「うん…」


 千尋もそんなに鈍感ではないので明らかに琴音が無理をしていることは悟っていた。しかし、ここで無理をせず病床に留めることはできなかった。


 エレベーターの一番上のボタンを押して、屋上へと上がっていく。エレベーター特有の浮遊感が妙に心地悪い。


 「えーとね、お姉ちゃん! 太陽さんに会うときっともっと体調が良くなると思うんだ」


 「へーお日様にそんな効果があるんだね?」


 「うん! 本に書いてた」


 「あはは! さっきも聞いたよ」


 屋上に着くと2人の間を秋風が通り抜けた。最上階ということもあり、なかなかの寒さをしている。


 千尋が風につられて視線を後ろへ向けると…


 「千尋、ずっとありがとうね…」


 ─────目を疑う光景を見た。


 琴音の口からは血が垂れていて、いまにも倒れそうな姿勢だ。こほこほと咳をしており、顔色もみるみるうちに悪くなっていく。

 

 千尋は、積み重なってきた不安が爆発した。やはり、姉の症状は改善なんてされていなかった。本の力に書いてあることはまるっきりの嘘であり、健康に見えたのは琴音の演技だったのだ。


 視界がまるでスローモーションでコマ送りみたいになっている。千尋は涙を流しながら、姉の手を握りしめたが、姉の息は次第に途絶えていった。



─────数ヶ月後


 千尋は姉の墓前にひとり膝をつき、静かに涙を流していた。冷たい風が頬を撫で、彼女の心の痛みを一層際立たせる。周囲の静寂と、ススキの奏でる音が彼女の心の中で響く苦しみを増幅させていた。


 姉との最後の時間を思い出しながら、千尋は自分の無力さと後悔に押しつぶされそうだった。


 姉の手が冷たくなっていったとき、彼女の目にはあの日の最後の姿が鮮明に浮かぶ。姉の力尽きた様子を見たその瞬間、千尋の心は文字通り引き裂かれた。


 痛みと絶望が混じり合い、何もできなかった自分を責める気持ちが沸き上がった。


 周囲の風景が、まるで彼女の心の傷を映し出すかのように、灰色に見える。時間が止まったような錯覚の中で、千尋はただただ空虚な感情に包まれていた。


 姉の笑顔が、もう二度と戻らないことが現実となり、心の奥底で深い喪失感と寂しさが広がっていた。


姉との日々の思い出が、温かいものであったと同時に、失ったものの大きさをさらに際立たせる。


 彼女はひとり取り残されたような孤独感に打ちひしがれながら、ただ静かに涙を流し続けるしかなかった。


 心の中で「ごめんなさい」と繰り返し呟きながら、その言葉の意味を深く噛みしめていた。


 「お姉ちゃん、ごめんなさい…私、お姉ちゃんのため思って…」


 その時、手元の本が突然光りだし、姉の姿がその光の中に映し出された。姉の姿は温かく、優しさに満ちていた。


 「千尋、どうして謝るの?」


 姉の言葉に千尋は驚いた。自分の行動がどれほど姉に愛されていたのかを理解し、涙をこぼしながら自分の気持ちを告白した。


 「お姉ちゃん、私は…お姉ちゃんのことが大好きだった。いつも支えてくれて、優しくしてくれて、本当にありがとう。」


 姉はその言葉に微笑み、二人は抱き合った。墓場の静けさの中、ふたつの涙が流れ続けた。千尋はいままでの姉との思い出を大切にしながら、前を向いて生きていくことを決意した。


 その夜、夜空に輝く星々が、姉と妹の深い絆を照らしていた。


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