第2話 おたくとは?




 「見たでしょ、サラ。ここから私の悪役令嬢としての物語が始まるのよ」


クレアは拳を強く握り、絞り出すような声でそう話した。クレアのあまりに切羽詰まった様子に、サラはなんと声をかけたらよいか分からなかった。

 華姫就任の式典が始まる前、様子がおかしかったクレアだが、とりあえず式典は大人しくしていた。それから屋敷に戻ってくるまでもクレアは取り乱すことはなく少し元気がない程度だった。そんなクレアの様子からサラは自分の聞き間違いかと思おうとしていたところだった。

 だが違った。


「それは……先程の式典が『華姫フェアリーテイル』の物語の一部ということでしょうか」

「そうよ。華やかなインフラワーニティ王国を舞台にこれから胸キュン必至の恋物語が始まるの」


キラキラとした目のクレアは興奮していた。物語を思い出して胸をキュンキュンさせているようだ。うっとりとした表情はとても幸せそうだった。

 サラはまだ状況を掴めずにいた。

 物語も詳しく知らないし、胸のときめきとやらもピンとこない。クレアが興奮する要素がよく分からない。

 とりあえずクレアのために紅茶の準備することにした。


「お嬢様、とりあえずお茶でも飲んで落ち着いてくださいませ」

「あ、あらごめんない。ついオタクの血が騒いでしまって」


ーーおたく……また出ましたね。


先程クレアから『好きな物に熱中する人』だと教えてもらったのだが、いまだによくわからない言葉だ。


「とにかく!華姫様とロイド殿下はこれから本当の愛を知ることになるのよっ!」


何故だろう。心なしかサラには、クレアが楽しみにしているように見えた。頰は紅潮していて、目はキラキラと輝いていて……それはまるで興奮状態だった。

 しかしサラはあえて指摘しなかった。


「けれどロイド殿下を愛していた私は二人の仲を邪魔しちゃうの」

「お嬢様、ロイド殿下の事をそんなに愛していらっしゃるのですか?」


サラは目をぱちくりとさせた。今まで決して仲が悪かったわけではないが、クレアがロイドに惚れているようにも見えなかった。あくまで公爵令嬢としてそつなく公務をこなしているように見えていた。

 サラの質問にクレアも目をぱちくりさせた。


「ロイド殿下を?私が?いいえ。別に推しでもないし。まあ魅力的な殿方だとは思うけど、愛してるとは違うわね」

「え。ではすでにそのストーリーは成り立たないのではないですか?」

「サラってば!ここは『華姫フェアリーテイル』の世界。私がロイド殿下を愛してないと思っていても、きっとそうなっていくのよ」

「はあ……」

「それが巷で噂の異世界転生なのよ」


 クレアが遠い目をしている。


「お嬢様」


サラは真剣な面持ちでクレアに話しかけた。


「すみません。その『華姫フェアリーテイル』とは何なのですか?」

「あ、ごめんなさい!私ったらついはしゃいじゃって。そうよね」


クレアは紅茶を一口飲み、息を整えた。


「サラ。私がこれから話す事、どうか信じてちょうだいね」


真剣なクレアの表情に、サラはきゅっと唇をかめしめ、気持ちを引き締めたのだった。


『華姫フェアリーテイル』

 日本の女性たちを中心に大ヒットしたライトノベル、つまり小説。

 コミカライズ、アニメ化、実写映画化、そしてゲーム化までした物語である。


 そんな『華姫フェアリーテイル』の物語は、メアリが華姫に就任するところから始まる。同時に華姫の警護として殿下が就任し、二人は出会いを果たす。その様子を見ていた殿下の婚約者であるクレアは嫉妬に狂い、華姫と殿下の恋路を邪魔する。その時大きな事件が勃発する。華姫と殿下は必死になってその事件に取り組むが、クレアは華姫に次々と嫌がらせをして邪魔をするのだ。

 そうしてクレアは悪事に手を染めてしまい、殿下と華姫によって修道院へと追放されてしまう。

 華姫と殿下はその後、婚約者となり、仲睦まじく暮らすのだった。


「……というのが『華姫フェアリーテイル』なのよ」

「えっとつまり、お嬢様は前世読まれた本の世界に転生した、ということですね」

「そうなの!だから私、このままじゃ悪役令嬢になって破滅しちゃうのよ!」

「成程」


 サラは考え込んだ。

 クレアの話を聞いたサラは、確かにこのインフラワーニティ王国に何もかもそっくりだと思った。不思議な花の存在や、奇跡の力を呼び起こす華姫。もしその物語の通りであれば、大きな事件が起こることになる。

 本来なら、到底信じられない話なのだが、クレアがわざわざこんな作り話をする理由も必要も無いのだ。『異世界転生』なんて荒唐無稽な話も信じられない。

 けれどサラはクレアを信じていた。

 たとえクレアの話になんの根拠がなかったとしても。クレアに仕える身として、クレアの言うことを疑うことはしなかった。

 そうなると問題になるのは、クレアが近い将来破滅してしまうということだ。

 クレアには幸せになってほしい。そのためにできることは全てやっておきたいのだ。

 

「ちなみにその物語に、私はいましたか?」

「えっと、クレア専属メイドは登場したけれど、名前はなかったわ」

「そうですか。……ではそのメイドはお嬢様と仲良しでしたか?」

「そんな感じはなかったと思うわ」


 クレアはうんうんと記憶を引きずり出しながら答えた。サラは「そうですか」と答え、考え込んだ。クレアの物語の記憶ではサラの存在はない。クレアのためなら悪に手を染めることさえ厭わないサラが出てこないのはおかしい。


「ではお嬢様。お嬢様の知る物語と現実は少し違うみたいですね」


 サラは「少し違う」と結論付けた。

 ただ今後どうなるかはわからない。


「大丈夫です。私がいる限り、お嬢様を破滅させたりはいたしませんから」

「サ……サラ!」


クレアは目に涙を溜めて、サラに抱きついた。


「全力で破滅フラグ回避しましょうね!サラ!」


サラはにっこりと微笑んだ。


ーーふらぐ、とは何なのでしょうか。


疑問に思っても口には出さず、優しくクレアを抱きしめ返すのだった。



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