第52話 王族居住区

 何のための部屋かもわからない大量の扉の間を抜け、長い長い廊下を何度も曲がる。

 ヘルミネさんによると、パーティーなどで多くの貴族を出迎えるための設備であると同時に、有事の際には避難所にもなるのだそうだ。他にも、王族居住区に簡単に辿り着かせないようにするという防犯上の理由もあるとか。無駄に広いわけではないらしい。


「屋根を外して上から見たら、ツクモが好きな魔導回路みたいになってるんじゃない?」

「相当複雑な機構だよ」

「冷房より?」

「うん」


 真剣に頷いたら、ふふっとヘルミネさんが笑った。




 背筋の伸びた使用人の皆様に数え切れないくらい会釈をして、慣れない靴で足が疲れ始めた頃、ようやく王族居住区の入口に辿り着いた。


「ツクモ様、ユルヤナ様、ようこそおいでくださいました」


 遠巻きに見ても輝いているエレン王女が、ぱあっと花が開いたような笑顔で駆け寄ってきた。待ちきれずに僕たちを迎えに出てきたらしい。先日店に一緒に来ていたお付きの女性が今日もそばに付いていて、諦めた顔で会釈した。


「さあ、どうぞこちらへ!」

「殿下、部屋で待つようお願いしたではありませんか……」


 率先して案内しようとするエレン王女をヘルミネさんが宥める。しかし王女は止まらない。人目がなければ僕の腕を引っ張って連れていきそうだ。


「お呼び立てしたのだもの、できる限り礼を尽くすのが道理ではなくて?」

「人によって扱いが違いますと良からぬ噂が立ちますから、おやめください」

「うぐ……」


 やっぱり貴族社会は窮屈だ。うっかり国王にでも出くわしたらどうしようと思っていたら、


「今はみんな出払っているから、ご安心なさって」


 エレン王女はくすくすと笑った。顔に出ていただろうか。




 居住区は王族の生活空間なので、今まで通ってきた城内のように無機質な場所ではなかった。ざっくり言えば貴族の屋敷の規模を大きくしたつくりで、ひっきりなしに使用人が行き交っている。彼らも身分で言えば僕たち平民より上だろうに、大変だ。


 僕以上に緊張していたユルヤナは、ようやく周りを見る余裕が出てきたのか、廊下にかかっている古い肖像画を見上げた。


「わあ、綺麗な人ですね」

「本当だ」


 ドレスを着た女性の肖像画だった。穏やかに微笑む慈愛に満ちた表情に、知性が感じられる。――艶やかな銀髪で、金色の目をしていた。


「若い頃のお祖母様よ」

「王女殿下のお祖母様っていうと、お庭が好きだっていう先代の王妃様?」

「ええ。……あら? 改めて見るとこの肖像画、ユルヤナ様とも似ているような」

「私とですか?」


 比較対象が同年代ではなくもっと年上の女性だからか、本人はピンときていない。


「ユルヤナ様、ご出身はどちら?」

「わからないんです。そういったことを教えてもらう前に、両親と死別しているので」

「まあ、そうなの。言いづらいことを聞いてしまって、ごめんなさい」

「小さい頃のことですから、気にしていません」


 慌てて手を取り謝るエレン王女と、いつものからりとした様子で笑うユルヤナが揃うと、それもまた仲睦まじい姉妹を描いた肖像画のようだった。飾る時には片方が男だという注釈のプレートが必要だ。


「両親がいた頃はノルヴァレンで暮らしていたので、西の方ではないかとは思うんですが」


 ノルヴァレンはスーロイと接している国で、貿易や技術交流が盛んな友好国だ。学院には毎年留学生が来ていたし、逆にノルヴァレンに留学する者もいる。言語も一緒なので、親しみやすい国だ。


 それを聞いて、エレン王女はなるほどと納得した様子で頷いた。


「もしかしたら、ご先祖様の故郷がお祖母様と同じなのかも。ご両親の髪や目の色は覚えていらして?」

「目は父譲りです。髪は父方の祖母の色だと聞いたことがあります」

「ではきっと、お父様がリリーチェスカ系だったのね」

「リリーチェスカ?」


 知らない地名に、ユルヤナが首を傾げた。僕も聞いたことがない。


「少し前に、ノルヴァレンの一部になった小さな国よ。お祖母様もリリーチェスカ人なの。併合したのが輿入れしてきた頃の話だったはずだから、四、五十年前かしら」

「へえー」


 貴族は血筋をとても重視するとは聞いたことがあるけど、祖母の実家がどこかという情報がすらすら出てくるのは当たり前のことなんだろうか。僕は祖父母の出身地を知らない。今度母に聞いてみよう。


「国としてはなくなってしまったけれど、今も独自の文化が残っていて、素敵なところよ」

「ツクモ、行こう」

「機会があればね」


 どうして僕と一緒に行く前提なのかと突っ込みそうになって、王女の手前ぐっと堪えた。




 持ち物検査を済ませてからここまで歩いてきただけで、既に三十分は経過したのではないだろうか。


「ここがわたくしの部屋です。遠慮なく隅々までお調べになって」


 ようやく辿り着いた両開きの白い扉を勢い良く開けて、エレン王女は遠慮する僕をぐいぐいと押し込んだ。一国のお姫様が、そんなに気軽に男子の身体に触るものではないと思う。案の定、ヘルミネさんもお付きの女性もはらはらしていた。


「失礼します」


 長居は無用だ。僕やトーマでも余裕で転がれそうな天蓋付きのベッドや、白を基調とした可愛らしい調度品に感動するのはユルヤナに任せて、僕はさっそく、魔力の網を部屋全体に張り巡らせた。何をしているのかわかりやすいように光らせる。


「まあ、綺麗」


 王女は暢気に手を叩いて喜んだ。


「これは何ですか?」


 ヘルミネさんは、大規模魔法の展開に似た網を見て一応警戒している。仕事のできる人だ。


「害はありません。部屋の広さを測っているだけです」

「これで広さがわかるのですか?」

「はい。端まで行き渡るのにどれくらい魔力を使うかで、それなりに正確に」


 立て籠もり犯の捕縛や敵のアジトへの侵入など、間取りがすぐにわからない建物に入る必要がある時によく使っていた。


「なるほど。身体の中だって調べられるのですから、部屋を調べるくらい造作もないことですね」

「そんな感じです」

「ツクモ様は器用なのねえ」


 それから窓の位置、壁の材質などを素早く丁寧に調べる。さすが王城、年季が入っていても頑丈で、密閉率も高い。店よりも広いので大がかりな機械が必要かと思ったけど、案外小型でも何とかなりそうだ。




 調査自体には、十五分もかからなかったと思う。待ち時間の方が目的よりも長いなんて、病院みたいだ。


「先にお伝えしていたとおり、少しお時間をいただきます」


 金がかかってもいいからとにかく早く納品してほしいという要望なので、考案中の新型ではなく、既に安定して動くことがわかっている祖父の設計図で作るべきだろう。また長い距離を歩いて戻りながら、魔宝石を使うことや、外装をこれから発注しなければならないことなどを伝えると、王女はしきりに頷いていた。


「ありがとう。ユルヤナ様も、ぜひまたいらしてね」

「はい! ところであの、王女殿下に言っておかなければならないことが――」


 今度こそと、ユルヤナが様々な誤解について説明しようとした時だった。


「王女殿下!」


 高い天井に響く声とともに、廊下の向こうからつかつかと男が早足で歩いてきた。

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