第2話 MOON or MANDY

 女が帰り、金曜の夜が終わった。もうカーテンの向こうがほの明るい。フィルターを噛み締め、鼻から煙を出す。思い切り顔をしかめ、頭を回して首を鳴らした。人の目のないときの下品は楽しい。つまり、結局のところ、俺はそういう人間なんだと思う。


 愉快なひとり遊びをバイブ音に遮られた。無粋なスマートフォンが現実に引き戻す。会社からだ。電話の向こうから、殺気が漂ってくる。無視すれば、きっと永遠に鳴り続けるだろう。このしつこさで相手が誰だかわかる。手の中で震えるスマホをながめながら、意地悪な気持ちでくわえ煙草をゆっくりと吸いきった。


「お疲れ様です小山です」

「あたしの印鑑どこ?」

「知らねえよ。つーか、んなことで休みの朝に電話かけてくんなよ。それかあれか? 暇電か?」

「死ね。使ったら戻せって何度言ったらわかるわけ。こっちは休日出勤なの。仕事増やすな。死ね」

「俺、近くにいるんだ。朝飯差し入れてやろうか? 印鑑探すの手伝うし」

「もういい」

「遠慮す――」


 切られてしまったスマホを見る。通話時間、三十秒。思わず吹き出した。冷たい同僚をからかうときだけは、素でいられるような気がしたから。まったくくだらない毎日だ。たとえば今、月が落ちてきて世界が終わろうと、何の未練もない。思い残しはひとつ、朝食を食いっぱぐれたことだけだ。


 空腹の限界を感じて立ち上がった。この時間、店は選べない。ハンバーガー屋でいいか、期間限定はなんだろうか。そんなことを考えながらジャケットを羽織ると、ポケットから何か落ちた。同僚から勝手に借りた印鑑だった。苦笑い。月なんか落ちなくとも、月曜、俺はきっと殺される。




 🌙


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る