第2話 アヤジマくん

 綾野がいれば、小山はたいてい大人しい。まるで生活指導員と問題児だ。時計がまわり、やましいことでもあるかのようにバタバタと帰る小山を見るともなく見送ると、小さな舌打ちが聞こえた。口のはしに煙草を咥えた綾野が、ガスが切れたらしいライターをゴミ箱に投げ入れ、長い脚を持て余すように組みかえた。わかるような気がする。きっとこの人は、生きることに死ぬほど退屈している。


「あんま見んな。減る」

「見てません」


 小山のペン立てから安物のライターを抜き、綾野のデスクに滑らせた。ここに来てすぐのころ、水商売時代の癖で火を付けて寄せてしまったことがある。それは男相手に幾度となく繰り返してきた行動で、いわば条件反射だった。けれど、綾野はそれが気に入らなかった。謝罪してもやたらこだわられ、お前はここに何しに来たんだと詰められた。綾野に怒られたのはたったそれきりだったけれど、あのときの目は今でも時々思い出す。


「寿司でもとるか?」

「いえ、今日は」

「あっそう」


 なら帰れと言わんばかりに書類に目を落とした。会話終了。綾野はたぶん、あたしの気持ちに気付いていると思う。このいけずな上司との出会いは、かれこれ一年前になる。当時、それはそれは本当に色々あって、あたしは場末の違法風俗店にいた。減らない借金の利息ばかりを返す日々を送っているうちに前も後ろも使い物にならなくなり、シャブ漬けのビデオ女優にされる間際、金の回収に来た綾野に気まぐれで拾われた。こんな、鶏ガラみたいな女かこって、どうするつもりだろう。ムスクの香るセダンの後部座席に横たわり、安心感を待った。けれど、いくら考えても臓器売買しか浮かばない。救われたとは思えない。あたしはいつも、こういうふうに地獄を巡っていたから。綾野があたしを商品ではなく労働力として利用するつもりだと知ったのは、家主不在のワンルームに軟禁され、気力と体重を取り戻してからだった。一人暮らしを満喫していたある日、突然現れた綾野はカードを投げて寄こし、髪を切ってこいと言った。そして美容院を出たその足で、この事務所につれてこられた。こうしてあたしは金貸し屋のお姉さんになったのだ。


 少女漫画的展開。惚れないわけがない。けれど、綾野はあたしに触らない。それに少女漫画の当て馬キャラはだいたい素敵なのに、小山はうざいから、現実は難しい。


 ほら、この世は地獄だ。

 月が落ちて、滅んでしまえばいい。




🌙


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