第六章 呆気なく捕まりました!
頭がぐらぐらして、立ち上がろうとしても足に力が入らない。
(なに……? 頭痛い。あれ、ここどこだっけ?)
顔になにかがかけられている。毛布かな。なんだか息苦しくて、もぞもぞと動き頭を出すと、そこは見たこともない部屋だった。目の前には鉄格子。
どうやら私は檻に入れられてるようだ。
(そうだ……私、誰かに捕まったんだ)
声は声にならず「にゃ、にゃ」と虚しく響いた。
明かりは小さなランプが一つだけ。壁は薄汚れていて、左右両方の壁際には檻が多数置かれている。そこには、猫や兎、それに犬。ほかにも無数の動物が捕らえられていた。
皆、食事がまともに与えられていないのか、ガリガリに痩せ細っていて、立ち上がる元気もないくらいぐったりしている。
私が捕まっている檻の中に木の器はあるが、水は入っていない。
私を捕らえた誰かは、ここにはいないようだ。動物たちの息遣いだけが薄暗い室内に響いている。
すると、きぃっと金属音が鳴り、誰かの足音が聞こえてきた。
「あぁ……こいつはもうだめだな……森に捨ててこないと」
低い男の声がして、巨大ななにかがドサッと落ちる音がする。恐る恐るそちらに目を向けてみると、血だるまになった毛むくじゃらのなにかが麻袋に詰め込まれていた。
(ひ……っ!)
あまりの恐怖に声さえ出なかった。唇が震えて、か細い息が口から漏れる。
そういえば王城で働いていた下働きの女性が言っていたじゃないか。
──そういえば、野生動物を研究している頭のおかしい魔獣人がいるって聞いたことがあるから、騎士団長様も研究目的に拾ってきたとかじゃないかねぇ?
──その変人、森に動物の死体を捨ててるとかって噂があるじゃないの。
それって、この男のことでしょう! なんの研究をしているかは知らないけど、絶対に碌なものじゃない。
私は音を立てないように檻の中でただただ震えていた。男に見つからないように息を潜めながら、出ていってくれるのを祈る。
すると、男がどこかの檻からぐったりする動物を引っ張りだして、また金属音がする扉を開けて出ていった。
震えがまだ止まらない。立ち上がろうとしても、腰が抜けてしまったみたいで、体を引きずるようにしか歩けなかった。
(もしかして、意識がなくなる前に変な匂いがしたから、そのせいかも)
せめて、普通の時と同じように走れれば男から逃げられる自信があるのに。私は悔しさで唇を噛みしめる。猫の顔じゃ、牙を剥きだしにしてる顔にしかならないけど。
(ほんと、どうしよう)
どうしようじゃない。なんとかしなきゃ。誰かが助けてくれるなんて奇跡は二度も三度も起きるものじゃないんだから。
あんな風に麻袋に詰め込まれて森に捨てられたくないなら、ここから逃げださないと。もし逃げだすチャンスがあるとしたら、牢から出されたとき以外にない。
そうだ、死にそうなふりをすれば。研究目的なら、すぐに死んだら困るはずだもん。慌てて牢から出すかもしれない。
そうと決まれば、牢から出される前に、この体の不調をなんとかしないと。
私は両足を振ったり、牢の中をうろうろと歩いたりする。さっきよりも少しは足が動かしやすくなった気はするけど、まだ全然、走れるほどじゃない。
もう一度捕まって、またあの変な匂いのする薬を嗅がされて、意識を失ったら終わりだ。意識のないまま切り刻まれるかもしれない。
ぞっとして、恐怖で全身がぶるぶると震える。すると、また金属音がして男が部屋に入ってきた。今度はこちらに歩いてくる。
「まだ目が覚めないか……タイガードゥンなんて希少な生き物を捕まえたんだ。生態を研究して発表すれば、私をバカにした奴らを見返せる。これはまたとない機会だ。すぐに死んでくれるなよ」
男はそう言って、木の器の中に水を入れた。
男の足音が遠ざかっていき、私はうっすらと目を開けた。
タイガードゥンってなんだろう。もしかして私のこと? 見た目が猫だから、猫人族なのかと思っていたけど、そうじゃなかったのかもしれない。
ジークフリートもタイガードゥンとかいう希少な生き物だってわかってたから保護したとか。愛玩動物を飼う習慣はなくても、騎士団長の立場で弱っている希少生物を発見したから保護したとしたら、私が王城に連れていかれたことにも納得できる。
(私、逃げだす必要、なかったんじゃ……)
今はそんな後悔より、逃げだすために、体調を戻さないと。私は水の匂いを嗅いだ。嗅覚には自信がある。おそらく木の器に入っているのはただの水だ。
男の気配が遠ざかっていることを確認して、水にそろそろと口をつけた。念のため、一口飲んでからしばらく待って、体に異変がないか確認する。大丈夫そうだ。
器に入った水をすべて飲み干して、耳をそばだてながらも体を休める。そして一時間ほどが経った頃、ようやく足の震えが治まった。
今なら走って逃げられる。次に男が部屋に入ってきたら、意識のないフリをしよう。よしと覚悟を決めて、男を待つ。
それからどれだけの時間が経っただろう。足音が聞こえて、緊張がピークに達する。また金属音がしてドアが開けられると、男は私が入った牢を覗き込んだ。
「まだ起きないのか。もしかして薬の量が多すぎたか。成体に使用する麻酔薬を使ったからな……このまま死んだら困るな。研究が終わったらタイガードゥンの剥製を求めてる好事家に売る予定だというのに」
男が牢の鍵を開ける音がする。がちゃがちゃと金属が擦れる音がして、きぃっと牢が開けられた。私はまだ目が覚めていないフリをして、おとなしくしている。
今、男の腕から逃げだしても、この部屋の扉が私には開けられないだろうから。人に変化できればべつだけど、どうやって変化するのかもわからないし。
商品価値が高いからだろうか、男が丁寧に私を抱き上げて、金属の扉を開けた。この部屋の扉はすごく分厚くて重そうで、さらに厳重に鍵がかけられていた。
男は扉を閉めて、南京錠のようなものをいくつもつけていく。捕らえた動物を逃がさないためだろう。
(今だ……っ)
私は男の腕を思いっきり蹴って、逃げだした。どうやらここは地下だったらしい。本気で走り、一瞬で上の階に着く。だけど、考えが甘かった。
階段を上がった先にも、さっきと同じ分厚い扉があったのだ。
(うそでしょう!)
私は鋭い爪で扉を引っ掻いた。ドアに傷がつくけど、びくともしない。階下からやたらゆっくりとした足音が聞こえてくる。
「残念だったね……こうやって逃げだそうとする動物が後を絶たないから、扉は三重にしてるんだ。この扉も開けてあげようか? ほら、逃げてみなよ」
男が扉を押して、にやにやと笑いながら私を逃がそうとする。私は地を蹴って、階段を駆け上がった。でも男の言うとおり、目の前には頑丈そうな扉がある。
(逃げられない……もう、終わりだ)
私は観念したように肩を落とした。
「おとなしくしてないなら、もう一度薬を使うか。最終的には殺して剥製にするんだし」
剥製という言葉にびくっと体が震える。
「まだ幼い子どもだと思ってたけど、私の話を理解してるな。おい、タイガードゥン、お前は生まれてどれくらいだ? 一ヶ月か? 二ヶ月か? 三ヶ月か?」
私は震えながら、わからないと首を振った。
「ふむ、自分がいつ生まれたかはさすがにわからんか。幼すぎて話が通じないのは非常に不便だ。成体のタイガードゥンを調べたかったが、まず捕らえるのが不可能だしな。お前を育てて研究するのもいいが……早く寄越せと言われているからなぁ。研究費用も欲しいし……」
男は、困ったものだと言いながらもひどく楽しげだ。
「まぁいい。時間の許す限り、調べるしかないな。ひとまず、お前の毛と血をもらうぞ」
ぶるぶると震える私を両手で掴み、持ち上げる。噛みつこうとした私の口に布を押し当て、また変な匂いのする薬を嗅がされた。
「ほら、これで力が入らないだろう? 今度は幼体用に量を調整してやったぞ」
そう言われて安心できるはずがない。毛と血のあとはなにをされるのかと考えると絶望しかなかった。
男の腕の中でぐったりとしながら、ジークフリートのそばでいた頃の幸せな生活が思い出す。幸せな日々なんてずっと続くものじゃないと、私は知っている。
でも、彼のそばにいると幸せすぎて、だめだった。もしかしたらずっと一緒にいられるかもしれない、なんて期待をしてしまったから。
だから私は、ジークフリートの番が見つかったって話を聞いて、すぐに逃げだしたんだ。
彼から捨てられるのを待つよりも、自分からそばを離れた方が、傷つかずに済むって知ってたから。
私は、幼い頃からずっと親に期待をしていた。いつか褒めてくれる。いつか愛してくれるって。そうやって期待をし続けて、最後に彼らに期待をするのを止めた。
そうしたら少し楽になったんだ。だから、ジークフリートのことも、すぐに諦めた。
あんな風に愛されたあとに捨てられたら、心が耐えられないと思った。
(でも……でも……)
最後に一度だけでいい。ジークフリートに会いたい。
ご飯もなにもいらないから、またおでこをこつんってしてほしい。可愛いなって言ってほしい。抱き締めて眠って欲しい。
助けてほしいなんて図々しいことは言えないけど、死んだら、夢の中で会えないかな。そしたら、逃げてごめんって言うんだ。助けてくれて、ありがとうって。
(会いたいよ……会いたい、逃げてごめんなさい。こんな私のこと、必死に捜してくれてたのに……帰りたい、あの人のところに)
涙がぼろぼろと溢れる。その瞬間、ずどぉぉっんとなにかが崩れる音がして、凄まじいまでの砂煙に周囲が覆われた。
私は驚きのあまり飛び上がる。男もまた驚いたのか、私を掴んでいた腕を放した。私は重力のままに床に落ちた。
「なんだ! なにが起きた!?」
真下に落とされた私はよろよろとその場で立ち上がった。
なんとかこの隙に逃げられないかと力を振り絞るけど、一歩足を進めるのも、時間がかかる。そうこうしているうちに、また捕まってしまうだろう。
半ば諦めたそのとき、声が聞こえた。
「アリス……っ!」
ジークフリートの声がする。聞き間違えるはずなんてない。
「ジークフリート!」
私は力の限り叫んだ。よたよたと倒れ込みながら、這いつくばって、彼の匂いがする方へ歩いていった。
すると突然、苦しいぐらいに力強く抱き締められて、顔の高さに持ち上げられる。
「アリス! 無事でよかった……」
「ジークフリート……ジークフリート……怖かった……会いたかった……」
私は彼の首に腕を回して、ぎゅうぎゅうと抱きついた。なにかがおかしいと思いながらも、彼に会えた嬉しさでいろいろなことが頭から飛んでいる。
でも今はそんなことどうでもよかった。安堵と喜びで涙が止まらない。
ジークフリートの匂いを鼻いっぱいに吸い込んで、彼の首に頬を擦り寄せた。くすぐったそうにジークフリートが笑うが、ぐいぐいと押しつけるように顔を埋めてしまう。
すると彼は、嬉しそうに額と額をこつんと押し当てた。
周囲はがれきの山で、私を捕まえていた男はほかの騎士に捕まっている。しかも、どうしてか皆、こちらを見ないように視線をずらしていた。
「突然いなくなるから心配した」
「ご……ごめんなさい」
そうだった。なにも言わずいなくなった私を心配して捜してくれていたんだ。思い出し青ざめるが、彼は安堵したように笑うだけだった。
「いや、いい。なにか事情があったんだろう? あとで教えてくれ。それよりもお前、人の姿に変化できるようになったんだな」
そこでようやく私は人型に変化していることに気づいた。
しかも、ジークフリートは当然のように私がアリスだと思っている。
「あれ? なんで私だってわかったの?」
「ん? それは当たり前だろう」
ジークフリートに抱き締められたまま、首に回した腕の力を緩めると、彼は自分が着ている騎士服を私の肩にかけて、前ボタンをしっかり留めた。そう、私は裸だったのだ。
「当たり前って……ひゃぁ~! 見ちゃだめ!」
慌てて前を隠すが、ボタンを留めたジークフリートが見てないわけがない。体躯のいい彼のコートを羽織り、上から下までボタンを留められると、太腿の下まで長さがある。
「見てない」
「うそだよ!」
「うそだが、仕方ないだろう?」
苦笑を見せられて、それもそうかと頷いた。
「それで、なんで私だってわかるの?」
「魔獣人が番の匂いを間違えるはずがないだろう。どんな姿に変わろうがわかるし、どこにいようとわかる。ただ、この建物が複雑に入り組んでいて、地下が厳重に閉じられていたから、部屋を捜すのに多少手間取ったが」
私は思わずぽかんと口を開けて、ジークフリートを見つめた。そんな顔すら可愛いとでも言いたげに、頬を擦り寄せられる。
「あの、番って、誰が?」
「お前に決まってる」
「わ、私っ!?」
聞きたいことがいろいろとあり過ぎて、頭がまとまらない。
そもそも、私はいったい何者なんだろう。
猫人族ではないらしいが、タイガードゥンとはなんなのか。そして、なぜ人の姿になれるのか。そして番とはなんなのか。わからないことだらけだ。
「いろいろと聞きたいことがあるんだけど……」
「じゃあ、とりあえず城に帰ろうか」
「うん……あ、靴ないや」
服は彼のコートを借りたが、捕まった際、首輪も着ていた服や履いていた靴も奪われてしまったようで、素足だった。しかし、彼はなんでもないことのように続けた。
「靴なんてべつにいらないだろう」
「歩けないよ?」
「歩かせるつもりはない」
ジークフリートは首を傾げながら言った。私も同じ方向に首を傾げる。歩かせるつもりはない、とは。
「まさか、このまま歩いて戻るの?」
「いや、面倒だから飛んでいく」
彼はそう言って、私を抱き上げたまま建物の階段を上った。そして気づくと、目の前のジークフリートが真っ黒な鱗の生えた竜に変化していた。
すっごいかっこいい! 私が興奮で目を輝かせていると、彼はひょいと私を背中に乗せて、両翼をはためかせる。
見る見るうちに地面が離れていき、一分も経たないうちに、離宮のバルコニーに着いていた。王城や離宮のバルコニーがかなり大きく作られていることをずっと不思議に思っていたが、どうやらこうして帰ってくることがあるためらしい。
ジークフリートはバルコニーに降り立ち、その姿を人型に変えた。でも、私みたいに全裸にはなっていない。どういうことだろう。
「あぁ、これか? 服や道具を収納しておく魔道具があるんだ。竜型を取ると、自動的に服や靴、それに武具を収納してくれる」
彼は首にかかったネックレスをシャツから出して、見せてくれた。
「へぇ便利。いちいち裸にならないで済むんだ」
「あとでお前にも作る」
「え、いいのっ?」
「当たり前だろう。と言っても、なるべく離宮からは出ないでほしいが」
彼はバルコニーから窓を開けると、私を先に部屋に通してくれた。そして、決まりが悪そうに言う。
「そうなの? どうして?」
ここに帰ってこられるなら外に出る必要もないが、なにか理由があるのかと聞いた。すると帰ってきたのは意外な言葉だった。
「目の届かないところにいるのは、俺が心配なんだ」
照れ隠しなのか、彼は口元を押さえてながら私から目を逸らした。でも、私を下ろすつもりはないようで、膝にのせたままカウチに腰かける。
背後から腕を回され、首筋にジークフリートの顔が埋まる。くすぐったさに身を捩ると、額に額を押し当てられた。
「それ、よくするね」
「ん、あぁ、こうして俺とお前の魔力を合わせてるんだ。そうしないと種族の違う番が子を産めないからな」
「あ、だから毎日ここくっつけてたんだ」
「べつに額である必要はないが。体の一部が触れあってればどこでもいい。だから毎日一緒に眠っていただろう?」
「あ……」
言われてみれば、ジークフリートは私を毎日腕の中に抱いて眠っていた。愛玩動物として可愛がってくれているからだと思っていたが、私が番だったから、らしい。
「種族によって寿命も違う。こうして魔力を合わせると、魂の繋がりができると言われている。だから、死ぬそのときまで一緒にいられる。どちらかが死ねば、どちらかも命を失う」
「なら、一人だけ遺されないんだね」
「あぁ」
「寂しくなくて、いいね」
私が彼の番なら、彼が死ぬそのときまでそばにいられる、ということだ。ひとりぼっちだった私に家族ができるということ。
「ずっと、ジークフリートが、そばにいてくれるの?」
「お前がそう望んでくれるならな」
「望んでも、いいの?」
「当たり前だろう。ただ、俺のそばにいてくれるだけでいい」
誰からも愛されないと思っていた。誰かの必要な存在になるなら、有用でなければならないと。ただ、そこにいるだけでいいと、彼は言ってくれるのか。
「なら私も、お仕事とか、頑張るから。なにができるかは、まだわからないけど、ジークフリートの役に立てるように、するから」
だから捨てないでと、懇願するような目を向けてしまう。
彼は痛ましいような顔をして、私の両頬を優しく包んだ。
「頑張らなくていい。俺の役に立とうとしなくていい。アリスはアリスのやりたいことをやればいい。なにも言わずにいなくなるのは金輪際やめてほしいが……それ以外なら、なにをしたっていいんだ」
彼は言い聞かせるようにそう言った。なにをしてもいい、つまり、今までみたいにご飯を食べて王城内を散歩して、ごろごろする三食昼寝付き生活をしてもいいってこと?
「あぁ、いいぞ」
どうやら声に出していたみたいで、彼が笑いながら首肯した。
「ところで、どうして突然いなくなったんだ?」
私はぎくりと肩を強張らせた。
ちゃんと理由をいわなきゃいけないのはわかってる。でも、勝手に勘違いして、勝手に結論づけて出ていったなんて、呆れられてもおかしくない。
「言いたくないなら、言わなくてもいいが……いやな思いをしたんだったら教えてほしい。なるべくお前の意に沿うように改善するから」
「違うの! ジークフリートは悪くない……」
「なら、どうしてだ?」
私は恥を忍んで、事の顛末を説明した。ジークフリートに番ができたと聞いたこと。魔獣人の番は嫉妬深く愛玩動物を飼うなんて許されない。そうなれば自分の居場所がここから失われると思ったことも。
「……それで、ジークフリートに捨てられるくらいなら、自分から出ていこうって思ったの」
「捨てるわけがないだろうに」
力強く抱き締められて、私は彼の肩に顔を埋めた。
「ただの猫だと、思ってたから」
「あぁ、そういえば話してなかったな。お前はタイガードゥンという種族だ。親や兄弟との繋がりが薄く、生まれたときから一人を好むから、なかなか見つからない。それ故、とにかく希少で、いまだによく生態もわかってないんだ」
「じゃあ、私も魔獣人ってこと?」
「タイガードゥンは魔力が多く魔法が使えるから、魔獣人より精霊に近いと言われている。魔力が安定してくると人の形もとれる」
「精霊?」
「精霊は俺たちにとっては神の使徒だな。この世界を作った神である精霊王は、獣に魔力を持たせた。魔力をまったく持たない人間を作った。そして、人々が争わず平和に生きていくために、世界の敵である魔物を作った……と言われている」
「タイガードゥンは?」
「精霊から力を借りれば誰でも魔法が使える。だが、そう簡単に神の力は借りられない。でもタイガードゥンは精霊に近く、精霊に愛されているため魔法が得意だと言われているんだ。エルフやドワーフもそうだな」
「魔法、私も使えるのかな?」
私が目をキラキラされたことに気づいたらしく、ジークフリートが笑みを深めた。
「使えるだろうな。でもアリスはまだ幼いだろう? まだ精霊が見えていないうちに、無理をして魔法を使ってはいけないから、あと何年かしたら魔法の教師を頼んでやる」
「楽しみっ!」
「わかった。じゃあ、食事をして、今日はゆっくり休め。捕らわれていて、気が休まらなかっただろう?」
「うん」
ジークフリートはベルを鳴らして、侍従に食事の用意を頼んだ。するといつもの侍従ではなく、クラウスがワゴンを押して部屋に入ってきた。
「クラウス……どうした?」
クラウスは額に青筋を浮かべながら、テーブルに食事を並べた。
「どうしたじゃありませんよっ! アリス様が見つかったんなら、あんた仕事できるでしょ! こっちはね、アリス様が行方不明になったって騒ぐ団長のために、街中に応援を頼んでんですよっ。行方不明の届けを取り下げたり、報告やらなんやらでてんやわんやだってわかってます!?」
「あ……あの、私のせいで、ごめんなさい」
アリスが謝ると、クラウスはため息をついて、その場に膝を突いた。
「アリス様、ご無事でなによりです。あなたになにかあれば、団長は今頃、生きてはいません。番を失った相手は発狂すると言われていますから。お戻りになってくれて本当によかった。それと、あなたのせいではありませんよ。どうせ一緒にいられるのが嬉しくて、この男はしょっちゅういちゃいちゃしてたんでしょ? それで大事なことを説明し忘れた結果、番に逃げられるというポカをやらかしたんだとみてます。……間違ってますか?」
「いや、なにも間違ってない。俺のせいでアリスを失うところだった」
「ジークフリート……」
ジークフリートは肩を落として、項垂れた。その背中をそっと撫でると、彼がこちらを見て、頬を擦り寄せてくる。
「だから、いちゃつくなっつってんですよっ!」
クラウスの持っていたティーカップがぴきっと音を立てて割れた。
「わかったわかった。アリスにもまだ全部は説明し切れてないから、ここで仕事をする。書類は全部持ってきてくれ」
「もう持ってきてます! 三時間後に取りに来ますから、全部、終わらせておいてくださいね」
クラウスはどんっと音を立てて、分厚い紙を机に置いた。
そして、颯爽と部屋を出ていく。
「私のせいで、クラウスの仕事も増やしちゃったんだね……ごめんなさい」
「アリスのせいじゃない。クラウスの言うとおりだ。まだ幼いから難しい説明をしてもわからないだろうと、お前に教育をしなかった。助けたときにひどく痩せていたから、まずは体を回復してからだと思ってたんだ。それは言い訳だな……とりあえず、食べてからまた話そうか」
「うん」
テーブルで食事を取ると、私は途端に眠気を覚えた。
くわっとあくびが漏れて、まぶたが重くなる。
「アリス……寝るときは猫でいないか?」
椅子でもたれかかり目を閉じる私をジークフリートが抱き上げた。たぶんベッドに連れていってくれるんだろう。
「ジークフリートはそっちの方が好き?」
「いや、どちらのアリスももちろん好きだが、人の姿になられると、少し落ち着かない」
落ち着かない? なにがだろう?
私はせっかく人の姿になったんだから、喋れない猫の姿よりも、人でいたい。
猫として彼に抱き締められるのも大好きだったけど、同じ人の姿だともっとジークフリートの近くにいるような気になれるから。
「そうか……アリスがこのままでいたいなら、それでいい」
どうやって猫の姿になるのかも、まだよくわからないんだけどね。たぶん、こうなりたいと願うと姿が変わるような気がする。
そんなことを考えていると、またもや私の口から独り言が漏れていたらしい。
猫のときに遠慮なくなんでも「にゃあにゃあ」と喋っていたから、黙るということを忘れているようだ。
彼はベッドに私を寝かせると、そのすぐ隣に横になった。そして、いつものように額と額をくっつける。私を腕の中に抱き締めて、目を瞑った。
明日、起きたらまた、きっとあなたが隣にいる。
私はそんな幸せな心地で眠りに就いたのだった。
その数時間後。
私たちは揃ってクラウスに怒られたんだけどね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます