その3 卍楼(まんじろう)
(3)
――卍楼。
それは一体いかなる意味なのか。
そう聞かれた時、百眼は作務衣から突き出る剥げた頭をつるりと撫でて、易台の向こうに立つ男達へ言った。
「ええ、しょらぁもう…あれですわ。ほら、この僕の…そう、指差す細い路地道がありますやろ?しょれがこの奥――つまり卍楼の南側の入り口なんやけど、…つまりでしゅね、この卍楼は、その字の如く、東西南北から狭い路地が伸びて呑み屋やら風俗店が並んでましてね。まぁ、それが上から見れば卍に形どられてますから、それで皆さんがそう言いますねん」
「それだけ?」
「ええ」
男――二十代の若い男が、ふぅんと言うと後ろの方を振り返った。
「…らしいですよ。伊達さん」
言われて若い男の後ろに立つ男――伊達と呼ばれたこちらもその若い男とあまり年は変わらないが、「そうか」と短く答えるとやや体を伸ばして、細い路地を覗き込んだ。ほぼ、同時にその路地へ吸いこまれるように男女が入ってゆくが男の視線はその男女を追わず、若い男へ戻された。
「ほな、まぁ浅野、行こうか。十三の有名な盛り場やから、ちょっと興味あって易者さんに聞いてみたけど、そんな理由なら別段、おどろおどろしくないわ。ほな、早よ、中で飲もうや。此処連日の熱帯夜で、もう喉がからからや」
言うと顎を引いて、路地へ入り込もうと足を踏み出した。それに符牒を合わすように浅野という男も足を踏み出した。
「あっ、ちょい、お待ちくだしゃい!」
声高に呼び止められた二人が易者を振り返る。
「えっ、なんやの?」
伊達が易者に言った。表情が不満気である。易者が懇願するように言う。
「折角この僕に声を掛けてくれはったから、是非、占いをさせてくだしゃい」
「はぁ、なんで?」
答えた浅野が伊達を見た。その目に、軽い非難がある。それは――あんたがコイツに声かけたからやで、という意味だ。それを感じたのか伊達がふぅんと息を吐いて言った。
「…いや、まぁ声かけてタダで行くのもほんま悪いねんけどさ。俺ら、もう暑さで我慢出来なくて、早く中で飲みたいねん。それに占いとかさ、酒でも飲んでない
言うとここで縁を切るように手を挙げた。
――さよならしましょう。
「いや、違うんです」
易者が剥げた頭を激しく掻く。その声音に、何か――真剣な気持ちが籠っている。だが、伊達はその気持ちを無残にも切って路地へ足を入れた。
「あかん、あかん。また今度な」
「…ここで事件が起きてるんですよ、最近」
易者の低い声音に思わず二人が振り返った。
易者が鋭い視線を向けている。それが深い何かを探るように動くと、二人の側に駆け寄り、囁いた。
「…そう、事件です。ここに入った何人かが…最近、転んで頭を打って死んでるんでしゅ」
それに激しく浅野が反応する。
「え…死んでる?」
伊達はというと、唯、静かに動かない。
易者がそんな二人へ話を続ける。
「ええ、原因が分からないんでしゅが…、転倒事件が起きてまして。せやから、その事故にお二人が遭うかどうか、この僕が占おうかと…」
そこで話を聞いた二人が顔を見合わせた。するとさも可笑し気に笑い出し、やがて伊達が浅野へ目配せすると、彼は溜息交じりに易者へ言った。
「なぁ、あんた名前は?」
「僕でしゅか?」
「そう、僕」
「はい、『百眼』と言います。そのぉ、色んな世界を探れる目を持つという意味で、百眼」
易者が頭を撫でるのを見て浅野が言う。
「千眼や万眼ないんや」
「はぁ、まぁそれやと、ちょっと数多いし。それに占われる人からの期待度が高くなってしまうので、――それで百でちょうどの『百眼』なんでしゅ」
易者の
「あかん。あんたさ、商売の話がめっちゃうま過ぎ。ほな、行くわ」
言って浅野は身体を翻した。
「あっ、待っ…」
(…て!)と百眼が唇を動かそうとした刹那、背後から鋭い声が飛んだ。
「おい!」
その声に三人が振り返る。細い声だが、鋼のような強い声音。
そして三人が見たのは。
「あんたや、剥げのアンタ」
そう言って指差す紫のスーツを身に纏った――とても美しい男だった。
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