第3話 アップルパイ

 青空の下、家路をほうきで飛んでいると、持ち手に提げた籠から甘い匂いがした。籠の中身は、ミーシャさんがお裾分けしてくれたアップルパイだ。

 ミーシャさんが「一緒に食べて」と言って持たせてくれたけれど、あまり気が進まない。……とはいえ、ミーシャさんの優しさを無下にするのも気が引ける。

 さてどうしようかと考えていたら、あっという間に家に着いてしまった。


 玄関扉を開けて真っ先に目に入ったのは、床に大の字で寝転がるラフィだった。

 次に彼女が壊したはずの天井を見上げたら、二階が既に元通りの状態になっている。まるで昨日まで壊れていたことが嘘のようだった。

 まだ一階は残っているけれど、あり得ない光景に思わず息を呑む。普通なら、昨日の今日で完成しているなんて不可能だ。

 魔力を切らすことなく睡眠も取らずに作業し続けたら、もしかしたら可能なのかもしれない。けれど……魔力が備わっていても身体が人間である以上、無限の体力と集中力なんてあり得ない。

 それならラフィは一体、何者なのだろう?

 唖然としていたら、ラフィが脳天気な声で言う。


「あ、レリアおかえり~」


 起き上がると、私が手に提げている籠に鼻を近づけ、動物のように匂いを嗅いだ。


「なんか良い匂いする!」


「……アップルパイよ。お裾分けしてもらった」


 どうすべきか迷っていたら、ラフィが期待のこもった眼差しを向けてくる。その目を見ていたらもう、こう言わざるを得なかった。


「そこで食べましょう」


「やったー!」


 先に机の方へ向かいながら、後ろから聞こえてきた幼い子供のようなはしゃぐ声に思わず気が緩みそうになってしまう。

 壊れたところを全部直したら即出て行ってもらわなければいけないのだから、今一度気を引き締めなければ。一人でいるために建てたこの家で、一人になれないなんて事態はどうあっても避けたい。

 一緒に食べるのは、ミーシャさんの厚意を無駄にしないためだ。

 これ以降はどれだけ近づかれても遠ざけよう。

 改めて意志を固めていたところに、目前から再び脳天気な声が聞こえてくる。


「う〜ん、美味しい〜!」


 顔を上げて見てみれば、皿に分けたばかりのアップルパイが、もう既に半分なくなっていた。まだ私は二口目を食べようとしているところだというのに。

 驚き呆れつつ無邪気な様子を見ていたら、改めて一人を徹底しようと決意したことも、一体何者なのだろうと考えていたことも馬鹿らしくなってくる。

 美味しそうに食べるラフィの姿を眺めながら、自分もリンゴの甘みとサクサクとした食感に浸っていると、不思議なことに今まで口にした何よりも美味しく感じられた。


「美味しい……」


 思わず呟くと、ラフィが「だよね~」と笑いかけてきたから慌てて視線を逸らす。

 このままだと自分が思いたくない方向に心を持っていかれそうで、抗うように、疑問に思っていたことを尋ねた。


「二階の天井……何故こんなに早く修理できたの?普通なら、もっとかかるはずなのに……」


「何故って言われても分かんないなー。普通に魔法かけた結果がこれだし」


 あっけらかんと言った後、ラフィは窓の外に視線を向けた。その瞳は遠くを見つめているというより虚ろで、実際は何も映していないようだった。

 ほとんど笑顔でいるラフィのその様子は、少し怖さを感じる。

 他に何か話題はないだろうかと探しているうちに、ラフィが突然立ち上がった。


「よーし、すっごく美味しいもの食べさせてもらったし、修理再開だー!」


 はっとして皿の方を確認したら、きれいさっぱりなくなっていた。パイ生地の欠片すらない。

 セイルは壊れた箇所へ意気揚々と歩いていったかと思えば、途中で振り返って楽しそうな笑顔で言う。


「そうだ、さっきのアップルパイまた食べたいから、お裾分けしてくれた人に伝えといてよ。美味しかったからまた食べたいですって」


 私の返事を待たずに、ラフィは修理を再開した。

 また食べたいだなんて、何を言っているのだろう。ラフィのスピードなら、きっと明日か明後日には終わっているはずだ。そうしたらもう、ラフィがここにいる理由はない。

 そう思っていたのに本人に対して何も言わなかったのは、きっと私は今、ラフィのことを知りたいと思ってしまっている。

 そんなことはあってはならないと一人で首を振ると、立ち上がり、二人分の皿を持って流し台の方へ移動した。

 皿を洗っている間、私は意固地になっているだけなのだろうか……そう自問自答しても、さっぱり答えは出なかった。

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