アイネ・クライネ・ナハトムジーク
鍛治谷 彗
前奏
世界は平和になった。
~中央平原・某所~
「王都が見えてきたね」
長い森を抜け小高い丘を登ったら、平原の真ん中に一際目立つ王都が見えた。空は青く澄み渡り、平原を風が吹き抜けている。僕らの旅路を脅かす者は、もういない。
「本当に…長かったわね」
「…そうだね」
そう言いながら、深く、深く、呼吸をする。大地の砂粒一つ、花一輪すらも僕らの帰還を喜んでいるかのように生き生きとし、辺りを漂う空気は美味かい。目を閉じれば、鳥のさえずりや、光の眩しさが優しく頬を撫でるのがわかる。
呼吸量を普段と同量にまで戻してから、僕は半歩後ろに立っている僕の仲間に声をかける。
「よし、僕らの物語を終わらせに行こう」
~王都・スターウィット~
「よくぞ戻った!英雄たちよ!」
「ありがとう!」
「宴だ宴だ!今日は記念日だ!」
英雄たちの帰還に大勢の人々が賛辞を送り、その日の夜に始まった大宴会は朝を迎え、また夜になり、三度目の朝を迎えた。
宿屋で眠っていた僕は窓から降り注ぐ光に気付いて目が覚めた。外を見ると、まだへべれけの男が千鳥足で踊っているのが見える。朝食をそこそこに、チェックアウトを済ませ、そのまま城下町の東にある小さな家を訪れた。ノックを三回して、少し待つ。バタバタと音が聞こえた後、見知った少女がいそいそとドアを開けた。
「はい、どちら様で?...って、なんだクライネか」
「おはよう、アンナ。酒は抜けた?」
「おかげさまで二日酔いよ。ん、これって二日酔いっていうの?何日酔い?うーん、わかんないや、ま、そんなことはどうでもいいか。そういうあんたはほんとお酒強いわね」
「僕はそんなに飲んでないからね。君はいつも飲みすぎる」
「いいじゃない、祝いの席だよ?飲まずにいられるかって!まあ、気づいたらベッドの上にいたけどね」
どうやら昨夜、酔い潰れて道端で寝ていた彼女を介抱したして、ベッドに寝かせたことは覚えていないらしい。
「それにしてもこんな朝早くからどうしたの?」
アンナは少し眠そうに訊ねてくる。
「墓参りに行こうかなと思って。会いたい人もいるしね」
「また旅に?まあ、確かに今じゃ英雄扱いされてるけど、この町はあんたにとっちゃ相当居心地悪いだろうしね。そっか、なら私は天文台でまた研究を再開しようかな」
「ナテ彗星の軌道についてだったっけ?」
「そうそう。目指すはマティス賞!」
いつかのキャンプのことを思い出す。鼻息荒げに星について語った彼女も今となっては懐かしい記憶だ。
「君ならきっと取れるよ、大丈夫。君より賢い人間を、僕は見たことがない」
「へへ、ありがと。クライネも、これでようやく旅の目的、果たせるね」
彼女はにっこりと、彼女らしい満面の笑みを咲かせながらそう言った。
「.....!うん、そうだね。僕の旅は、まだまだ続くよ」
「何かあったらすぐに連絡をよこすのよ、この大賢者アンナ様がどこへでも駆けつけるわ!」
「ありがとう。じゃあ、またね。何かあったら手紙でも書くようにする」
しばらく談笑してから、僕はアンナと別れ大通りに出た。城まで続くこの国のメインストリート。両脇には商人たちが店を構え、宿屋の印であるINNの文字を掲げた家が数軒。ここでも色々あったな…なんて感慨に耽りながら歩く。
城門をくぐり、街道に沿って東へと進み始めた。雲一つない空、魔物の匂いのしない平原。
平和な世の到来。
それを成しえたことへの喜び、これからの平和な世界に対するささやかな期待が確かな実感として湧いてくる。
ようやく旅の本当の目的を果たすことができる事への喜び。
これまでの苦痛からの解放による安堵。
城に帰還した時、手のひら返しで僕らを褒め称えてきた国王と住人。
どれだけ望んでも、もう二度と戻らない大切な人。
世界が平和になったというのに、怒りで心が震えている自分。
それは、例えるならどこかの魔王が世界を支配したような…
いや、それは比喩じゃないか。とにかく墓参りだ。近くの泉で花でも摘んでいこう。出来れば鈴蘭がいいな。そんなことを思いながら、知らぬ間に握っていた拳を開き、一度立ち止まって深く息を吸い、ゆっくりと吐き、
街道を向いて、僕は再び歩き始めた。
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