第16話 夜会.7


 

 怒声と一緒にルージェックは駆け寄ってくると、カージャスの手を捻り上げ突き飛ばした。

 

「手を離せ、嫌がっているだろう」


 素早く私を背に庇い、ルージェックがカージャスを射抜くように見る。温和な彼から発せられる鋭い気配に、私はごくんと喉を鳴らした。

 俄に高まる緊迫した雰囲気に気圧されていたカージャスだったけれど、それを誤魔化すようにふん、と鼻をならす。



「またお前か。人の婚約者に手を出して恥ずかしいと思わないのか?」

「婚約者? 決闘に勝ったのは俺だったはずだが」


 ルージェックは軽く肩を上げ、挑発するような口調でカージャスと向かい合う。

 騎士としての正装に身を包んだカージャスは、当然ながら帯剣もしている。

 普段の黒い騎士服と異なる真っ白なその服は式典などの場に着用するもの。


 カージャスの手が剣に伸びる。まさかこんな場所で鞘から抜くことはないと思うけれど、月の光を反射する金のカフスが冷たく光った。


「道の端に石で作った決闘場で行われた試合が、正式に認められるはずがない。試合のルールもオリバー様が勝手に作ったものだ。今、教会に異議を申し立てている。俺の意見が通るのも間もなくだろう」

「過去には決闘場が草原だったこともあるし、ルールは双方が納得していれば問題ない。観衆のもとマーベリック様が審判され、王都中に知れ渡っているこの決闘の勝敗が覆ると本気で思っているのか?」

「愚鈍な奴が下世話なタブロイド紙に踊らされているだけだ。俺の主張が正しいに決まっている」


 ルージェックが困惑した表情で私を振り返る。

 彼もカージャスに対し言葉の通じなさを感じているようだ。

 これ以上口論を重ねても無駄だと伝えるように私が首を振れば、ルージェックがやや不満そうではあったけれど頷いてくれた。


「では、教会が出す結論を待つことにしよう。しかし、だからと言って嫌がる女性にしつこく付きまとうのは問題だ」

「俺は婚約者だ!」

「婚約者であっても、相手が嫌がることをしてはいけない。そんなこと人として当たり前だろう」


 落ち着いた口調でこの場を収めようとするルージェックに対し、カージャスは片方の口角を上げ歪めた笑みを見せた。


「部外者は黙っていてくれないか。これは俺とリリーの問題だ。リリー、お前だっていい加減自分が侍女として能力不足なのは分かっただろう。仕事を辞め、意地を張らずに帰ってこい」

「帰るつもりはないわ。それに、私は体調を崩したテオフィリン様の侍女の代わりを三ヶ月間頼まれただけ。期間が終わればまた宰相様のもとで働くことになっているのよ」

「そんな口約束、お前を首にする口実に決まっているだろう。いい加減分かれ」


 カージャスの口調が駄々っ子を言い聞かせるようなものに変わる。

 感情の起伏の激しい人ではあったけれど、それに拍車がかかったようだ。

 どう切り返そうかと言葉を選んでいると、私より先にルージェックが口を開いた。


「宰相様はそのような方ではない。リリーアンの能力を認め文官にならないかと仰るほどだ。彼女は君が思っているよりずっと優秀だよ。それから、話しても埒が明かないようなら、もう一度剣を交えるか? 俺はいつでもどこでも、どんなルールでも構わない」


 言いながら一歩前に足を踏み出したルージェックに、カージャスは半歩足を引いた。

 ルージェックから発せられる殺気に焦ったのか、視線を私と合わせると苦々しそうに舌打ちをする。


「俺はお前を甘やかしすぎたようだな。仕事をしたいと言ったとき、許可なんてしなければ良かった。ちょっと認められたからっていい気になって。うまくいっているとしてもそんなのは今だけで、その内ボロが出て周りをがっかりさせるに決まっている」

「それでも私は後悔しない。貴方の隣で顔色を窺い自分を殺していきるのはもうやめたの。私は貴方の居心地のよい空間を作るために存在しているんじゃないわ」


 どうして私を都合のよい道具のように扱うのか。私はカージャスを癒すためにいるわけではない。


 バルコニーから幾人かが、何事かとこちらを窺っている。体面を重んじるカージャスはその視線に気が付くと、忌々しそうに芝生をつま先で蹴った。

 

「俺を晒し者にしやがって、恥をかかせるな」

「君が一方的にリリーアンに絡んできたのだろう」

「うるさい! もうすぐ決闘無効の通知が届くから待っていろ!!」


 それだけ言い捨てると、カージャスは早足で立ち去っていった。

 私は全身の力が抜け、噴水の縁に腰を落とす。


「大丈夫か?」

「ええ。でも人混みに戻るのは少し怖いかな」


 カージャスが見ているかもしれないと考えると、どうしても会場に戻れる気にはなれなかった。


「それなら寮に戻る?」

「明日の朝、待ち伏せされないかしら」

「俺が毎朝迎えに行くよ」


 ルージェックが隣に座り、握りしめていた私の手に手を重ねる。そう言ってくれるのは嬉しいけれど、これ以上迷惑を掛けたくない。


「テオフィリン様の部屋の隣に、侍女の部屋があるの。小さな部屋だけど簡易ベッドが二つあるし、今夜はそこで眠るわ」


 今宵はエルマさんが夜勤をしてくれている。ドレスがちょっとかさ張るけれど、予備の侍女服もあるし、あそこならカージャスに付きまとわれる心配もない。

 そう伝えればルージェックも「ある意味一番安全な場所だな」と納得してくれた。


「じゃ、送るよ。といっても部屋の前までは俺もいけないけれど」

「ありがとう」


 ルージェックは、王族とその側近や侍女だけが入れる扉の前まで私を送ってくれた。

 手を振り別れ、その重い扉を閉めたところで、サファイアのネックレスを返していないことに気がついた。


 明日、時間を作って宰相様のお部屋まで届けに行こうかな。


 そう思いながら触れると、夜会でのことがまざまざと思い出されてきた。


 と同時に、なぜか胸の鼓動が早くなる。

 ドキドキするのはダンスの時に感じた息遣いや、ぬくもりが慣れないためだと思う。うん、きっとそうだ。

 でもそれなら……胸の真ん中にほわんと広がるこの暖かな気持ちはなんだろう。

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