この百合止まれ! 美少女ゲームの男主人公ポジションに女のまま転生したら同性の攻略キャラが言い寄ってくるけど普通に世界を楽しみたい

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第1話 【びよびよ】と私

 主人公になりたいなんて思ったことはない。

 世界を救う使命を背負わされてぼろぼろになるまで戦ったり、巨大な陰謀に巻き込まれて死にかけたりするなんてごめんだ。


「イチカちゃん、次はどうすればいい?」


 いや、本当にそうだろうか。

 まだ何も知らなかった子どもの頃は、画面の向こうの世界で輝く彼女たちと同じ世界で生きたい、隣に立ちたいと思っていなかったか。


「イチカ、力を貸して」


 世の中における自分の立ち位置が明確になるにつれて、他人より優れていることなんか何もない、主役にはなれないと思い知って、諦めてしまった。

 自分から舞台を降りた私に、彼女たちの隣に立つ資格なんかない。


「イチカ、わたくしを支援なさい!」


 この世界でも主役は私じゃない。可愛くて綺麗で強くてかっこいい彼女たちだ。

 私にできることは、彼女たちが精一杯輝けるようにサポートすることだけ。


「海原さん、きみならできるよ」


 期待に応えられるかどうかはわからないけど、信頼を裏切りたくない。

 だからできる限りのことをするだけだ。それが私の役割だと、そう思っていたのに。


「イチカちゃん、褒めて褒めて」

「ちょっと、イチカから離れなさいよ!」

「……イチカ、一緒に帰ろう」

「海原さん、疲れてない?」


 おかしい。なんだかみんなの距離が近い。


***


 そのゲームにハマるきっかけは、些細なものだった。


 新卒で入社した会社が残業、パワハラ、モラハラ当たり前のブラックフルコースで、心身ともにぼろぼろになってぶっ倒れ、ようやくスマートフォンでSNSや漫画が楽しめるくらいまで回復した頃に、動画広告が偶然流れてきた。


「試しに遊んでみるか、タダだし……」


 動画で紹介されていた数人の少女のことがなんとなく気になって、インストールした日がリリース初日だった。――もはや運命の出会いと言っていい。


 厳しい世界で毎日を懸命に生きる少女たちの姿に魅せられて、もっと彼女たちのことが知りたいと思った。久しぶりに湧いた『欲』だった。


 それからの私の回復はめざましかった。無料で始められるソシャゲとは言え、欲しいキャラクターを手に入れるには、そして強くするには先立つものがいる。


 慌てて仕事を探し、ものの一ヶ月でほどほどに法を守っている普通の企業への入社を決め、何を言われてものらりくらしとかわして定時で帰る図太さを身につけ、社会人として復帰した。


「これで課金ができる!!」


 最初は『ゲームのために働くなんて』と呆れていた家族も、ぼろぼろだった私が目に見えて元気になっていく様子を見て何も言わなくなった。




 あれから二年、今でもそのゲーム【ビヨンドザビルヨル】は、私の生き甲斐だ。


「はぁー! この照れ顔! ありがとうございますありがとうございます……」


 私はスマートフォンを握ったままゴロゴロとベッドを転がって、頭や首に巻き付く邪魔な黒髪をペッと払った。

 手元の画面には、頬を染めて恥じらいながらもまっすぐにこちらを見つめてくる、制服姿の女の子が映っている。


「いいよその顔、天井まで回した甲斐があるってもんよ……」


 あまりの愛らしさに、ついにやにやと頬が緩んでしまう。


 別に恋愛的な目で見ているわけではない。一般的な感覚に例えるならば、犬や猫を愛でるような、または祖母が孫を可愛がるような、そして美しいもの、きらきらしたものへの憧れのような、そういう類いの感情だ。見ているだけで元気が出る、好ましい感情を抱くものを『推し』と呼ぶ文化が一般的になって久しい。


【ビヨンドザビルヨル】、通称【びよびよ】は、プレイヤーが操作する主人公が特別な力を持つ少女たちと出会い、司令官としてビルヨルという異界から侵略してくる敵と戦うというのがおおまかなストーリーだ。


「んんんんん」


 比較的シリアスに思えるストーリーのどこに、部屋中の埃を舞い上がらせながら身悶える要素があるかというと――一定の条件を満たすと発生する、キャラクターごとのサイドストーリーと恋愛イベントである。


 主人公はサポート特化の能力しか持たないせいで、最初は無能と侮られる。しかし少女たちの学友となって少しずつ仲を深め、いつしか恋愛感情を向けられるようになるのだ。


 もちろん全年齢対象のゲームなので規制のかかりそうなシーンはない。学校や街の中で起きる多彩なイベントを重ね、キャラクターが抱える事情や悩みに触れる中で一歩一歩着実に愛を育み、告白イベント、そして恋人イベントと、それぞれにスチルイラスト付きでやたら丁寧に描かれているのが特長だ。


「ああ……。今回も尊かった……」


 毎回、十代の少女らしい甘酸っぱくもどかしい感情を味わい、それでいてこの先の展開を想像してにやにやできそうなテイストになっている。

 実際、そういう二次創作は少しネットを漁れば大量に出てくる。零から百まで逐一説明しなくても、飛ばし飛ばしに餌を与えてやれば、後は勝手に妄想するのがオタクという生き物だ。


「良かったねえ、良かったねえ」


 鼻をすすり、今誰かに見られたら社会的に終わりそうな顔をして、イベント中に連打したスクリーンショットを何度も確認する私は、いわゆる『箱推しオタク』というやつだ。

 既存のキャラクターは衣装違いを含めて全員集めていることはもちろん、実装されたばかりの新キャラクターをここ数日せっせと育て、現行で見ることができる恋人イベントの最後まで見終わったところだった。


「いや、最高だったな……。特にこの、恋心を自覚してからの怒濤の展開よ……」


 スマートフォンを抱きしめて余韻に浸り、三十分ほど反芻していただろうか。私は自分の腹の音でハッと我に返った。窓の外を見ると既に暗い。道理でお腹が空くわけだ。


「ヤバ、洗濯物干すの忘れてた」


 今日は日曜日だ。家賃を浮かせるための実家暮らしとはいえ、かわりに洗濯と掃除、ゴミ捨ては私の担当になっている。明日の朝までに乾いていなかったら、格闘技をやっている妹に跳び蹴りを入れられてしまう。


 それに私も明日からまた、彼女たちに貢ぐための仕事資金稼ぎに勤しまねばならない。そのために必要なシャツがしわしわのクサクサになってしまうのは良くない。


 私はスマホを縦に持ち替え、SNSに早速感想を書き込みながら部屋を出た。


『まきろんの恋人イベ完走した』


 ゲームのプレイヤー名の他、ゲームのことを呟くアカウントでは、大抵【イチ】という名前でやっている。本名の海原イチカから取っただけだが、これと数字の1をデザインしただけのアイコンだと、性別がわからないのが良い。


 主人公の外見はプレイヤーの想像に任されているものの、男だということははっきりしている。そして圧倒的に男性プレイヤーが多いこの界隈では、女だというだけで敬遠されてしまうことがあるのだ。


『攻略早くて草』

『ようやる』

『えっちだった?』


 おかげ様でリプライをくれるフォロワーにも、私が女だとは思われていない。適当に返信して、興奮冷めやらぬまま次々に短文で感想を投稿する。


「次は何しようかなあ。装備を弄るか、最適編成を練るか……」


 乱れまくった髪を手櫛で直しつつ、足元を見ずに階段を下りようとしたのが良くなかった。


「いっ!?」


 踏み外した、と思った時にはもう遅い。嫌な浮遊感とともにスマートフォンが空を舞う。そういえば【びよびよ】の冒頭でもこんなシーンがあったなと、駆け抜ける走馬灯までゲーム関連なことに呆れながら、来る痛みを覚悟して目を閉じた。




 しかし、


「あっ」


 襲ってきたのは予想していた全身への衝撃ではなく、端末の角が額に降ってきたことによるピンポイントな激痛だった。


「っくぅーーーー!」


 あまりの痛みに思わず額を抑える。勝手に涙が滲み、誰かに抱き留められていたことに気付くのが遅れた。


「大丈夫か、きみ」


凜とした声がすぐ耳元で聞こえた。なんだか良い匂いもする。


「あっ、すみません……。え?」


 反射的に謝ってしまったが、おかしい。私は家の階段から落ちたはずで、こんなかっこいいお姉さんボイスの家族なんかもちろんいない。というか、めちゃくちゃ聞いたことがある。


「……」


 目を開けて声の主を見上げ、私は固まってしまった。


 だってそうだろう。息がかかりそうな場所に、今まで【びよびよ】の中で散々推してきた眼鏡の美女――生徒会所属の三年生、篠倉みつきの顔があったのだから。

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