第21話



 「大体さ、なんでこんなところに来たわけ?」


 「…え?」


 「ここって家からだいぶ遠いでしょ?この前言ってたじゃん。北八王子の方に住んでるって」


 「…ああ、うん」


 「なんで?」



 …なんでか、って?



 自分がここにきた理由を、今更ながら思い出した。


 アイツに会うために来た。


 …「会う」って言っても、実際には意味が違うけど。


 うまく説明できなかった。


 この状況で動画を見せてくれなんて言えない。


 今は身を守ることが先決だし、バカ正直に事情を説明するのも…


 適当に誤魔化すか…


 そう思いつつ、当たり障りのない事を伝えた。


 当たり障りがないって言っても、まあ、それなりの理由は考えたが。



 「ちょっと行くところがあって…」


 「どこ?」


 「高尾山…」


 「はあ??なんで?」


 「夜景が見たくて…」



 高尾山の麓にあるこのコンビニから、展望台に行くための駅が少し進んだ先にある。


 「駅」といっても、そこで動いてるのは電車じゃなくてケーブルカーだった。


 確か夜の9時くらいまで営業してたはずだった。


 時々、アイツと一緒に見に行ってた。


 高尾山の頂上にある、夜景を見に。


 …つっても、最後に行ったのは1年も前だけど。



 ブチッ



 ナイフでロープを切ってくれた。


 手がヒリヒリする。


 ずっと食い込んでいたせいで、ロープの縫い目がくっきりとついてた。


 自由になった俺を見て、天ヶ瀬は改めてナイフを俺に向けた。


 向けながら、「変な気起こしたら…」と、念を押すように忠告してきた。


 俺は頷くしかなかった。


 怖かった。


 純粋に。


 …っていうか、”まじ“で。


 俺にはどうしても信じられなかった。


 目の前にいる彼女が、「天ヶ瀬」だっていう事を。


 顔も声も、仕草も、全部普段の彼女のままだった。


 それは、見たまんまの印象だった。


 どっからどう見ても天ヶ瀬だった。


 だけど、さっきも言ったように、口調も、振る舞いも、俺の知ってる彼女とは正反対の印象だった。


 それが一つの視覚の中で“同時に”起こってた。


 まるで、天ヶ瀬の体の中に、「誰か」が入ってるみたいだった。


 そうじゃなきゃ説明がつかなかった。


 ナイフを手に持ってる事だってそうだ。



 「じゃ、着替えてくるから」



 そう言うと、彼女はコンビニの中に戻って行った。


 逃げ出すには最高のチャンスだった。


 でも、俺は逃げれなかった。


 理由はわからなかった。


 怖かったって言うのももちろんある。


 だけど、それ以上に、何か得体の知れない不安みたいなものがあった。


 わからなかった。


 それがなんなのかは、具体的には。



 ただ、確かだったのは、信じられないくらいの静けさが、あたりに横たわっていたことだった。


 街外れの場所と、シミだらけのガードレールと。


 夜の暗闇の中に横たわる清陰とした淋しさが、背筋を伸ばしたように広がっていた。

 

 息もできないくらい張り詰めていた。


 色褪せた空気や、錆びれた景色にある“落ち着き”が。


 嘘みたいにしんとしていた。


 街全体が、息を潜めているかのようだった。



 足を踏み出せなかったんだ。


 どこまでも暗く沈んでいく道の向こうに、手に触れられない“何か”が、横たわっている気がして。

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