7-2.紫釉という人間
「すごい量の本ですね。もしかしてこれ全部お読みになったんですか?」
「あぁ。本は好きじゃてな。ついつい買っては読んでしまう」
由羅も本は好きだがなかなか読む時間が取れず、積み本をしているような人間だ。
これほどの量を読む伯瑜は素直に凄いと思う。
さらに見てみると、書棚の他に飾り棚がいくつかあり、見たことのない置物や道具が飾ってあった。
由羅はそれらの輸入品を興味深く見ていると、由羅に馴染みのある三日月型の短刀が飾られていた。
鑑賞用なのか柄や鞘に宝石がはめ込まれている。
「あら、ジャンビヤですね。テフェビア王国の品物もあるんですね」
「お前さんは、テフェビア王国に行ったことがあるのかい?」
「えぇ、まぁ」
テフェビア王国には仕事柄行くことがある。
そうした結果テフェビア王国の王子に呪いをかけられたわけだが……。
だが乾泰国の人間がテフェビア国に行くのは稀だ。
だから由羅の話を聞いた伯瑜は驚いた表情となった。
「それはまた、どうしてあんなところまで」
「ちょっと、事情があって。養父の仕事の都合で行ったことがあるんです」
「養父……?」
怪訝そうな顔をする伯瑜に、由羅はなんと説明すべきか考えつつ、慎重に言葉を選んだ。
同情を誘うのは嫌だし、由羅が黒の狼であることを悟られては困る。
「子供の頃、親がお金と引き換えに私を商人に引き渡したのです。それで新しい雇い主の所に行く直前に、今の養父が助けてくれたんです」
「なるほど、奴隷商人に売られたか。……お前さんの目の色は珍しいからの」
詳しくは言ったわけではないが、さすがは皇帝の指南役をしていただけあって伯瑜は由羅の身の上を理解したようだ。
「それは辛かったの」
「いえ! 養父は私をとても可愛がってくれて、色々なことを教えてくれました。お陰でこうやって侍女もできてますし。私は恵まれてました……」
だが思わずにはいられない。
同じ牢で過ごした子供たちはどうなったのだろうかと。
あの時、他の牢にいた子供たちは様々な人間に売られていった。
一人、また一人と売られて、由羅は最後まで残った。
だが、とうとう売られそうになった時、由羅は偶然崔袁に助けられた。
そしてこうしてここまで育ててもらった。
一人で生きる術も教えてもらった。
だが、自分のように幸運な境遇の人間は少ないだろう。
実際、仕事で貴族の屋敷に入ったときなど、奴隷が家畜の様に扱われている光景を何度も目にしてきた。
だから、同じ牢にいた子供たちの事を思い出すと罪悪感が胸を去来する。
それが顔に出たのだろう。
伯瑜はあえて由羅から視線を外し、円窓の外を見るとゆったりと由羅に語り掛けた。
「以前、この国では人身売買は黙認されていたからの。だが、紫釉様が皇帝になられて状況は変わった。今は人身売買は重罪だ。見つかれば死罪になる」
桜の花びらが舞う速度に合わせて伯瑜は言葉を続けた。
「紫釉様が皇帝になられて最初に取り掛かった政策は人身売買の禁止と厳罰化じゃ。そして徹底的に奴隷商を取り締まった。それゆえ、今では奴隷にされる不幸な子供はいなくなった。今は奴隷として売られた人間を解放するような法案も検討しているようじゃ」
「そう、なのですか……」
「ただ、あの法令は安価に労働力を手に入れられなくなる支配階級の人間から反対意見が出ての。奴らから色々な妨害があったんじゃよ。だが紫釉様は人の命を売り買いするような国にはしないと強い信念を持って法令の公布を進めた。凄いことじゃ」
不幸な子供はいなくなり、今まで売られた子供たちも自由を得られる。
それを聞いた由羅は心に重くのしかかっていた罪悪感や後ろめたさが軽くなっていく気がした。
まさか紫釉が人身売買を禁止する法を作っているなんて思いもよらなかった。
だが、不意に疑問が湧き上がった。
外交問題や軍事問題、税制対応……皇帝として取り組むべき問題は山積みだ。
(それなのに紫釉様は何故人身売買の禁止を最初に行ったのかしら?)
由羅は紫釉の事を全く知らない。
だからもっと紫釉の事を知りたい。
はらはらと踊る桜の花びらを見ながら由羅はそう思った。
※
伯瑜の元から碧華宮へと戻った由羅は、廊下でお茶を運ぶ蘭香に会った。
この宮には由羅しかいないはずなのに、何故お茶を持っているのだろう?
不思議に思いながら由羅は蘭香に尋ねた。
「蘭香、ただいま。お茶を持ってどうしたの?」
「由羅様、お帰りなさいませ。主上にお茶をお持ちしようと思いまして」
「え? 主上?」
怪訝な顔をした由羅に、蘭香もまた困惑している様子だった。
「あの、もしかしてお聞きになっていらっしゃいませんか?」
「何を?」
「今日から主上はこちらでお過ごしになります」
「夜に来るのはいつものことよね?」
「いえ、執務をこちらでなさることになりました」
「……はぁ?」
蘭香の言っている意味が分からない。いや、意味は分かるのだが理解できなかった。
皇帝が後宮で執務を行う?
そんなことは聞いたことがない。前代未聞だ。
由羅は蘭香の言葉が信じられず、足早に紫釉がいるという部屋へと向かった。
そして焦りから少し乱暴に扉を叩くと、中から紫釉の声が聞えた。
「紫釉様、いらっしゃいますか?」
「入っていいよ」
入室の許可が下りると同時に由羅は勢いよく扉を開くと、こめかみを押さえる凌空と、黒塗りの大きな
紫釉は突然の由羅の登場に、目を丸くして筆を止めた。
「そんなに慌ててどうしたんだい?」
「どうしたんだいって、ここで執務なさるって冗談ですよね?」
「冗談じゃないよ。本気だよ」
にっこりと笑う紫釉を見て、思わず由羅が凌空を見ると、凌空は深いため息をついた。
それはもう、心の底から地の底から出るようなため息だった。
「本気のようです。由羅様と少しでも一緒に過ごしたいからだそうです」
「なんで止めないんですか?」
「止めましたよ。ですが、なんかもう面倒になりまして……」
(そこは面倒にならないで!!)
由羅は思わず心の中で突っ込んでしまった。
現実に突っ込んでもよかったが、凌空の機嫌をさらに損ないそうでぐっと我慢した。
「『俺が絶対に守る』って約束したよね? ここで執務すれば由羅の傍にいられるし、何かあっても守れるし」
確かに紫釉は先日そう言ったが、だからと言ってこんな暴挙に出るとは誰が思うだろう。
由羅は思わず苦言を呈した。
「いや、でも皇帝が後宮に籠るっていうのはいかがなものでしょうか?」
「執務はちゃんとするし、新婚なら仕方ないって思ってもらえるよ。ほら、世継ぎも望まれているわけだし」
「よ……!?」
紫釉の言葉に絶句しつつ、なんとか声を絞り出して由羅は言った。
「私たちは偽装結婚ですよね? 私はあくまでお飾りの妃ですよね?」
「さぁ?」
そう言って意味深に微笑む紫釉に、由羅は今度こそ言葉を失った。
「あぁそうだ。寝室も由羅の部屋の隣だから安心して。俺の部屋にはいつ来てもらっても構わないから。昼でも夜でも大歓迎だよ」
人身売買禁止の法を作る名君かと思えば、めちゃくちゃな理由でお飾り妃を押し付けたり、後宮で執務を始めたり……紫釉の考えていることがさっぱり分からない。
(紫釉様の事を理解するのはまだ難しいわ……)
由羅はそう思いながら呆れた顔でため息をついたのだった。
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