2-3.とんでもない提案①
その言葉の意味を理解するのに優に10秒ほどかかっただろう。
(なるほど、妃ね。うん。妃……? えっ妃!?)
由羅の脳が一瞬何を言われたのか理解できず混乱した。
そして口を開いて出たのは絶叫だった。
「は? はぁぁぁぁ?」
それ以上は言葉が出せず、餌を求める鯉のように口をパクパクさせていると、部屋の外から侍女の声が聞えた。
「皇帝陛下、お二人をお連れいたしました」
そういえば紫釉は先ほど誰かを呼ぶように指示していた。
その人物たちが来たのだろうか。
「入っていいよ」
紫釉が入室を許可すると2人の男性が現れた。
一人は栗毛色の髪の青年だ。
癖毛なのか長い髪が波打っていて、それを緩くまとめて肩に流している。
紫釉が彼らを呼ぶように命じてからの時間を考える準備の時間は少なかっただろうが、白い衣に赤い上衣をきっかりと身に着けていた。
少し垂れた目に形の良い眉という容貌は、甘さを含んだもので彼の纏う雰囲気もまた柔らかいものの様に感じた。
だが由羅には分かった。
(この人……なんか只者じゃない)
唇の端が引きあがり、一見すると笑っているようにも見える柔和な雰囲気を纏っているように見えるが、よく見ると目は全く笑ってはおらず、この状況に対して探るような鋭利な刃物を隠し持ったような空気が混じっている。
由羅の勘違いでなければ、不機嫌な空気が伝わってくる。
もう一人の男性は腰に太刀を佩いていることから武官だろう。
無造作に切られた髪を後ろに雑に束ねている。
引き締まった体型で、服の上からも筋肉が付いているのが分かった。
こちらの男性は準備の時間が足りなかったのか、はたまたそう言う性格なのか、随分と服を着崩していた。
濃紺の衣は襟ぐりが無造作に開いており、同じ色の上衣をざっくりと肩にかけていた。
眼はぎらついていて血に飢えた獣のようだと由羅は思った。
「由羅、2人を紹介するよ。絶対零度の笑みが得意な腹黒宰相の
「誰が腹黒ですか?」
「うるせーよ。男は顔じゃねー。つーかなんていう紹介すんだよ!」
(なかなか酷い紹介だわ……)
凌空と泰然が憮然とした態度を見せるが、由羅も紫釉の言いぐさに思わず同情してしまう。
「それでこっちの緑の瞳が凄く素敵なお姫様が由羅だよ」
「えっ? お姫……様?」
最初誰を紹介されているか分からず由羅はぽかんと口を開けた。
残りの2人も呆気にとられているようだ。
だが、さすがは宰相の凌空、すぐに気を取り直した。
「それで? わざわざ夜中に呼び出して女性をご紹介いただく真意はなんです?」
口調こそ丁寧だが、凌空の声には不機嫌さが滲んでいた。
それはそうだ。
こんな夜更けに訳も分からず呼び出されたら不機嫌にもなるだろう。
だがそんな凌空の様子など気にも留めず、紫釉は微笑みを浮かべて予想外の言葉を口にした。
「実はさ、由羅に俺の妃になってもらおうと思って」
紫釉の言葉に、凌空は眉間に皺を寄せて怪訝な顔で言った。
「意味が分からないのですが」
(ですよねー!)
由羅も思わず心の中で激しく同意の言葉を叫んでしまった。
本当に何を言っているのか意味が分からない。
だがやはり凌空は冷静に尋ねた。
「それで、なぜそのような考えに至ったのですか?」
その問いに対し、紫釉はすっと3本の指を立てて答えを述べ始めた。
「理由は3つあるんだ。まず、第一に早急に妃が必要だからだよ」
「そんな、紫釉様ならより取り見取り、妃なんて選び放題なのではないですか?」
紫釉は10人が10人とも美丈夫だと言うであろう容姿をしている。
加えて彼は皇帝だ。紫釉が望まなくとも、妃になりたい女性は多いだろう。
だが由羅の言葉に紫釉は緩く頭を振った。
「俺には長らく妃がいない。それには理由があるんだよ。実は、妃候補者が悉く怪死してるんだ。それで、俺に妃を差し出す貴族もいなければ、妃になりたいという女性もいなくなってしまったんだよ」
「怪死?」
「そう。突然苦しみだして呼吸困難になり、最後は痙攣して死んでしまうらしい」
「原因は分かっているんですか?」
「いや、分かっていないんだ」
紫釉は首を振ってそう言った後に、凌空が冷たく言い放った。
「犯人は明らかなのですがね」
どういうことかと尋ねる前に、彼はそのまま言葉を続けた。
「主上の義母である
「え? 義母?」
「そう、俺の義母である
紫釉の説明で納得がいった。
なるほど。権力争いというものなのだろう。
「でも犯人が分かっているのであれば捕らえればいいんじゃないですか?」
由羅の問いに凌空がため息混じりに答えた。
「はぁ……簡単に言わないでください。一応先王妃ですよ。証拠もなしに捕らえることなどできないでしょう」
「まぁ、俺はそんなこんなでこの年まで妃を娶れず、巷では男色家だという噂まで流れてしまってるんだ」
「うわぁ……」
紫釉は見たところ23、4と言ったところだろう。
しかもこんなに美丈夫であるのに独り身であると口さがない者はそんな勘繰りをするだろう。
事情が事情だけに、不名誉な噂を流されてしまうのはなんとも不憫である。
「理由の2つ目。由羅に俺を守ってもらいたいと思って」
「おいおい、そんなのは俺たちの役目だろ? 警備強化すればいい話だぜ」
泰然が不服そうに声を上げた。自分たちの仕事を否定されたようで不愉快なのだろう。
だが、紫釉はそんな泰然の様子など意にも返さずに話を続けた。
「由羅には
黄虎殿とは後宮内の皇帝の私的空間だ。
後宮内に警備兵を多く配置するのは、あまり好ましいことではない。
だが妃であればそこに出入りしても問題ないし、例えば寝所にいても不自然ではなく、紫釉を私的時間でも護衛することが可能だ。
しかし、由羅は普通の人間より腕が立つと思うが、紫釉に負けてしまう程度の実力で、刺客と戦えるとは思えない。
泰然の言う通り、警備を強化した方が確実だろう。
「それに、こいつに守れるとは思えねーしな」
「由羅はその点最強だよ。だって霊獣の加護があるからね。だからどんな敵に襲われても防御できる」
紫釉の説明を聞いて由羅は驚いてしまった。
霊獣の加護を持つ者は稀有な存在だ。だから一般にはそのような加護があることも知られていない。
由羅自身もその力を他人に話したことはなく、知っているのは養父であった崔袁と幼馴染の宇航だけだ。
どうして紫釉は由羅の霊獣の力に気づいたのだろう?
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