デジタル・コグニティブ・エマージェンス(DCE)
@uyuris
第1話
久美子は、34歳の都市伝説研究家。彼女の外見は一見すると目立たないが、その目には常に鋭い観察力が宿っている。身長159cm、黒髪のショートカット、常にノートPCを抱えている姿が特徴的だ。
彼女の経歴は異色だ。東京大学で量子計算機科学を専攻後、突如として民俗学に転向。この一見不可解な選択の裏には、量子もつれ現象と集合的無意識の類似性に関する彼女独自の仮説があった。
久美子の研究手法は、従来の民俗学者たちを驚かせた。彼女は、古典的なフィールドワークに加え、高度なデータマイニング技術を駆使。SNSの投稿パターン、検索エンジンのトレンド、匿名掲示板の書き込み頻度など、デジタルの痕跡を徹底的に分析。これらのデータから、都市伝説の発生と伝播のメカニズムを解明しようと試みていた。
久美子の研究室は、一般的な大学の一室というより、ハイテクな指令センターのようだ。壁一面のモニターには、リアルタイムで更新される世界中のSNSの投稿が流れ、人工知能がそれらを常時分析している。部屋の中央には、彼女が「量子噂検出器」と呼ぶ、独自開発の装置が鎮座している。
「量子噂検出器」は、久美子が独自に開発した複雑なシステムだ。その核心は、高度な言語処理アルゴリズムとニューラルネットワークの融合にある。
このシステムは、まず世界中のデジタル通信を継続的に監視する。SNS投稿、メッセージアプリの会話、電子メール、ブログ記事など、あらゆる形式のテキストデータを収集。これらのデータは、久美子が「情報粒子」と呼ぶ最小単位に分解される。
各情報粒子は、意味、文脈、感情価、発信源の信頼性などの要素で構成される多次元ベクトルとして表現される。これらの情報粒子は、仮想的な「情報場」内に配置される。
「量子噂検出器」の真骨頂は、この情報場内での粒子の相互作用をモデル化する点にある。各粒子は、周囲の粒子と相互作用し、その過程で新たな意味や文脈を生成する。この相互作用は、量子力学的な重ね合わせの原理を模倣したアルゴリズムによって計算される。
特筆すべきは、このシステムが情報の「未発生状態」を捉える能力だ。通常の噂や都市伝説は、ある程度広まってから検出可能となるが、「量子噂検出器」は、まだ明確な形を取っていない、潜在的な噂の芽を識別できる。
これを可能にしているのが、「エンタングルメント予測エンジン」だ。このエンジンは、異なる情報粒子間の潜在的な結合可能性を予測する。例えば、全く無関係に見える2つの情報が、将来的に結びつき、新たな噂を形成する可能性を計算する。
システムは、これらの潜在的結合を「量子噂」と定義する。量子噂は、まだ現実の言語空間では表現されていないが、情報場内で特定のパターンを形成し始めた状態を指す。
検出プロセスは以下の段階を経る:
1. 情報収集:世界中のデジタル通信を継続的に監視。
2. 分解:収集したデータを情報粒子に分解。
3. 場の構築:情報粒子を多次元の情報場に配置。
4. 相互作用シミュレーション:粒子間の相互作用を量子的モデルで計算。
5. パターン認識:emerging patterns を識別。
6. エンタングルメント予測:将来的な結合可能性を計算。
7. 量子噂の特定:特定のしきい値を超えた潜在的結合を量子噂として検出。
このシステムの精度を高めるため、久美子は過去の都市伝説の発生パターンを大量に学習させている。さらに、人間の心理学的傾向、社会的動向、文化的文脈なども考慮に入れている。
「量子噂検出器」の出力は、潜在的な噂の「波動関数」として表現される。これは、その噂が現実世界で顕在化する確率と、取りうる形態の範囲を示す。
久美子は、この「波動関数」を観測し続けることで、都市伝説の「発生」の瞬間を捉えようとしている。彼女の理論によれば、この瞬間に波動関数は収縮し、潜在的だった噂が現実の言語空間に「物質化」するのだという。
彼女の日課は厳格だ。早朝4時に起床し、まず世界各地のデータを確認。朝食はプロテインバーのみ。昼食も取らず、夜の9時まで研究に没頭。食事の代わりに、栄養価を計算し尽くされた特製ドリンクを摂取する。
久美子の私生活は、ほぼ存在しない。恋愛にも興味を示さず、友人関係も希薄。唯一の趣味は、週に一度、深夜のコンビニでアイスクリームを買うこと。この行動すら、都市の夜の人々の行動パターンを観察するための研究の一環だった。
彼女の研究に対する姿勢は、狂気じみている。睡眠時間は1日3時間程度。残りの時間は全て、都市伝説の「発生」の瞬間を捉えることに費やされる。彼女は、この瞬間を「情報の特異点」と呼び、そこに人類の集合的無意識と量子力学的な現象が交差すると信じていた。
久美子の理論は、学会では物議を醸している。多くの研究者が彼女の方法論を疑問視する一方で、彼女の予測の正確さは無視できないものがあった。実際、彼女は複数の都市伝説の発生を、それが広く知られる何ヶ月も前に予測することに成功していた。
しかし、久美子自身は名声や評価に無関心だった。彼女の目的は、都市伝説という現象の根源、その「発生」の瞬間を捉えること。そしてその瞬間に、人間の集合的意識と情報空間が交差する様を、科学的に解明することだった。
以下に、「量子噂検出器」が捉えた都市伝説の「発生」の瞬間とそのプロセスを3例挙げる。
1. 「時間逆行スマートフォン」の伝説
2023年11月15日、「量子噂検出器」は異常な情報パターンを検出した。複数の情報粒子が、通常とは異なる結合を始めていた。
- 粒子A: 新型スマートフォンの発売情報
- 粒子B: 量子コンピューティングの進歩に関するニュース
- 粒子C: タイムトラベル映画の公開情報
- 粒子D: SNSでの「未来からのメッセージ」というミーム
これらの粒子は、通常であれば互いに干渉しないはずだった。しかし、エンタングルメント予測エンジンは、これらの粒子が高確率で結合し、新たな情報体を形成する可能性を示した。
久美子は、この情報体の「波動関数」を注意深く観察した。11月18日、波動関数は突如として収縮。現実の言語空間に、「時間を逆行できるスマートフォンが密かに開発されている」という噂が出現した。
久美子の解釈:
「量子噂検出器」は、人々の潜在的な願望(未来を知りたい)と技術への期待が、現実の製品発表と結びつく瞬間を捉えた。この事例は、集合的無意識が現実の事象を歪めて解釈する過程を示している。
2. 「記憶を消す地下鉄」の伝説
2024年2月3日、「量子噂検出器」は東京の地下鉄に関連する奇妙な情報の渦を検出した。
- 粒子E: 地下鉄の新路線開通ニュース
- 粒子F: 認知症研究の最新成果
- 粒子G: 都市計画に関する陰謀論
- 粒子H: SNSでの「行き先を忘れた」という投稿の急増
これらの粒子は、通常ならばそれぞれ独立した文脈で存在するはずだった。しかし、「量子噂検出器」は、これらが特異な方法で干渉し合い、新たな情報体を形成しつつあることを示した。
2月7日、波動関数は劇的に変化。「特定の地下鉄路線を利用すると短期記憶が消える」という噂が、突如としてオンライン掲示板に出現した。
久美子の解釈:
この事例は、都市化による疎外感と、日常的な「もの忘れ」への不安が結びついた結果だと分析。集合的無意識が、説明のつかない体験を、架空の現象として具現化させる過程を明確に示している。
3. 「感情を吸い取るAI」の伝説
2024年5月22日、「量子噂検出器」は、AI技術に関する異常な情報の集積を検出した。
- 粒子I: 新型AIアシスタントの発表
- 粒子J: 心理療法のオンライン化に関するニュース
- 粒子K: エネルギー吸収に関する物理学の新理論
- 粒子L: SNSでの「感情が薄れていく」という投稿の増加
これらの粒子は、通常であれば関連性のない独立した情報のはずだった。しかし、エンタングルメント予測エンジンは、これらが高い確率で結合し、新たな情報体を形成する可能性を示した。
5月26日、波動関数は急激に収縮。「最新のAIアシスタントが使用者の感情を吸い取っている」という噂が、複数のSNSプラットフォームで同時に出現した。
久美子の解釈:
この事例は、技術の進歩に対する不安と、現代社会における感情の希薄化への懸念が結びついた結果だと分析。集合的無意識が、説明のつかない感情的変化を、技術の副作用として具現化させる過程を示している。
これらの事例を通じて、久美子は都市伝説の「発生」が単なる偶然や個人の創作ではなく、集合的な情報処理の結果であることを実証しつつあった。「量子噂検出器」は、人々の潜在的な不安や願望が、現実の事象と結びつき、新たな「現実」を生成する瞬間を捉えることに成功していた。
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