第5話
俺とイチイはメッキパイプのベッドの中にいた。
足の裏に当たるイチイの踵はざらっとしていた。
硬くなった彼女の踵の皮膚は冷たく、さっきまで汗を浮かべて俺の肩を搔きむしっていた女の足とは思えなかった。
背を向けたままイチイは低い声で言う。
「本当に首を絞めるなんて信じられない」
「『首を絞めて』って言ったのはそっちだろ?」
「限度があるでしょ?殺されるかと思ったんだから」
「でも嬉しそうだった」
「最初はね?」
深夜になると湿地に囲まれたこの街はかなり冷え込む。
同時に、仕事帰りの人間で溢れた夕方の喧騒がウソだったように、街は静まり返る。耳鳴りがするぐらいだ。
ときおり外で人間のうめき声が聞こえるが……殺しか何かだと思う。それでも、深夜のこの街は静かだった。
「喧嘩」というものは、活気が溢れた街で見られる光景だと思う。
死にゆくこの街でそんな物を目にすることはほぼ無い。この街で諍いがあったとしても、それはだいたいが一方的な暴力で終わる。
「殺す側」か「殺される側」か……この街ではそんなことは最初から決まっていた。
部屋の中で衣擦れの音がはっきりと聞こえる。
イチイがこちらを向いたようだ。
「このあと仕事なんだけど……」
背を向けたまま答える。
「さっき聞いた」
「……終わったらさ?呑みにいかない?」
「俺は朝から仕事だ。行けるはずがない。当たり前だろ?」
俺はベッドから立ち上がった。
メッキパイプのベッドの壊れたスプリングが「ぐわん」と鳴った。
荒れた木の床は地の底のように冷えていて、俺の足の体温を一瞬で奪った。
裸の俺の背中をイチイの声が追いかける。
「ちょっと待って。話の途中じゃない」
その声を無視し、俺は部屋の一室の高さ3mほどの配管だらけの機械に向かう。
トグルスイッチを捻って側面のレバーを降ろす。機械の中に放置していたコップに水が注がれた。
水を飲む。
微かに生臭く、砂と鉄の匂いがする。それはイチイとの行為の最中に感じた匂いにも似ていた。
「聞いたんだけどさ?」
イチイが乳房を俺の背中に押し当てていた。華奢で細い指が俺の胸を撫でる。
「なんのことだ?」
「いつもとは違うバーには、『記憶の機械』があるらしいよ?」
「記憶の機械?」
「旧時代の人間の記憶が閉じ込められた機械」
「なんだそれ?」
「良く知らないけど……お酒や薬よりも、もっとぶっ飛べるんだって」
イチイの指が俺の胸をやわらかく這って、俺の腹まで下りてきた。
「ますます分からない」
「気になると思わない?」
「思わない」
俺はイチイの方を振り向いた。
胸を隠すイチイの髪をかきあげた。形の良い乳房が薄暗い部屋の中で浮かび上がった。
厚ぼったい下唇で笑顔を作ったイチイは言う。
「良いでしょ?一回ぐらい?
二人で行ってみようよ」
俺は自分の手の形が付いたイチイの首を見る。
彼女の鎖骨の上から顎まで、蛇が巻き付いたように赤くなっていた。それは暗い部屋の中で少しだけ発光しているようにも見えた。
俺は彼女の尻の肉を掴みながら答える。
「好きにすればいいさ」
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