第16話 裸の付き合い

 漸くして私は、失念していた危機的状況の存在が目の前に迫っているという事に気付いた。


「いやぁ、酷い雨……傘さしてたのに結構濡れちゃったなぁ……」


「あたしと安曇は比較的無事だけど……栞と佐野橋はだいぶ濡れたな」


「私スカートの裾すごい濡れちゃった……」


 ホテルに帰ってきた私たちは、タオルを回しながらそんな会話をしていた。

 服装の問題なのか、人によって雨によるダメージの差が結構あった。


 さて、本題に戻ろう。私が今置かれている危機的状況の話である。


 お風呂に入らねばならない。


 これは危機である。「好きな人と風呂に入る」という事が目の前に迫っている。付き合ってもいない好きな人とである。


 旅行になったら風呂というイベントがある事なんて至極当然の事なのに、私は今になるまで、濡れて汚れて風呂を意識するまでその行為の存在に気付いていなかった。

 荷造りの時に風呂関連の荷物を鞄にしまっている時も、である。


 自分のどん臭さを恥じると同時に、この危機をどう乗り越えるかを考える。


 ただ悠加と一緒にお風呂に入る事を抵抗せずに受け入れるか?

 いや、駄目だ。なんか駄目だ。私のプライドがなぜだか分からないが許さない気がする。どうしてもしてはいけない気がする。


 私だけお風呂に入らない。

 いや、普通に嫌だ。悠加ほどではないにしろ私も雨に濡れたから洗わないと気持ち悪い。

 しかも、このまま入らなかったら明日の私は一日風呂に入っていない私になる。その状態で好きな人と過ごすのは最悪だ。

 というか、そもそもお風呂に入らない日があるのは嫌だ。私は姉のようになりたくはない。


「てか、そろそろお風呂入んないとだねぇ」


 私がこの後どうするか思考を張り巡らせていたら、悠加がついにそう切り出した。


「あーっ!そういえば私めーっちゃお菓子食べたいな〜」


 突然、枯月さんが切り出した。雨雅さんは困惑気味である。

 私がこの世の終わりのような顔で悩んでいたので、察してくれたのだ!どうにか私と悠加のお風呂の時間をずらしてくれようとしているのだ。


「え、どしたの急に……」


「えっと……せっかくみんなで旅行来たんだし、後でくつろぐためにもお菓子用意しとかないとじゃない?」


 焦る枯月さんを雨雅さんが訝しげに睨む。


「じゃあ私買って来ます!なんで、みんな先お風呂入ってて貰って……」


「え〜、後で買いに行けば良くない?」


 私も加勢するが、正論が帰ってきた。

 さてどうしよう、いい言い訳が思いつかない。


「い、いや、コンビニ閉まっちゃうかも!」


「24時間営業だろ」


 何故こういう時に雨雅さんは察しが悪いのか。枯月さんに容赦なく正論を浴びせる。


「どちらにせよ、私と栞は結構濡れちゃったから今お風呂入んないとだよ?」


「そっか……じゃあ!ゆかりと安曇ちゃんで買い物行ってくれない?」


「はあああ?ちょっ、何言って」


「行きましょ雨雅さん!」


 かなり強引な流れだったが、私は雨雅さんを引っ張るように部屋の外へ向かった。

 悠加が寂しさと困惑が混ざったような表情でこっちを見て「ばいばい……?」と言いながら小さく手を振った時、私の胸を罪悪感と胸キュンが入り交じった混沌が襲った。手は振り返せなかった。






 数十分後、私たちはお菓子のたくさん入ったビニール袋を持ってホテルの部屋に戻った。


「で、なんであんな強引にあたしの事連れ出したんだ」


 カードキーをかざし、扉を開きながら雨雅さんが聞く。


「私が……その、悠加と、お風呂の時間……ずらしたかったので……」


 雨雅さんはあまりピンと来ていないという様子だった。雨雅さんに恥という概念は共感できないのだろうかと思ったが、あまりにも失礼な考えだったので払拭した。


「あ、ゆかり!戻ってたんだ!」


 雨雅さんに続き部屋に戻ろうとすると、後ろから突然枯月さんの声。お風呂上がりの枯月さんと悠加が立っていた。

 先程の会話は枯月さんの様子を見るに多分聞かれていないだろう。


「あ、おかえりなさい、枯月さん、悠加」

「ただいま〜」


「七、ただいま!」


 私に続き二人も部屋に入る。


「じゃ、次はゆかりと安曇ちゃんの番だね」


「あ、そっか、お風呂入んないと……」


 振り返ると、どうやら雨雅さんはいつの間にか準備を終えているようで、こちらに向かって来るところだった。


「ほら、早く行くぞ」


「は、はいっ!」


 そそくさと支度を済ませ、雨雅さんに続き玄関へ向かう。


「じゃ、また後でね」


「お菓子は食べないで我慢しとくから、後で一緒に食べよ!」


 悠加が笑顔で手を振る。今度は手を振り返せた。嬉しかった。






 それから最初に私と雨雅さんの間に最初に会話が交わされたのは、お湯に浸かりながらだった。


「なぁ、安曇。最近佐野橋とはどうだ?」


 大浴場の中は私と雨雅さんだけ。声量は気にせずに喋れた。

 ここまで会話が交わされなかったのは、私も雨雅さんも、積極的に人と関わろうとするタイプじゃないからだ。

 お互いに今会話する必要性を感じていなかったのかもしれない。


 意外と、まだ私たちの関係は深く無かった。


「まあ、そこそこ……です」


「そこそこ……か。なんか動きっつーか、変わった事とかねぇの?」


「えっと……あ、そういえば夏祭りの日に、枯月さんが私と悠加二人っきりにしてくれた時あったじゃないですか?」


「そん時なんかあったのか?」


 食い気味に雨雅さんが返す。なんというか、興味津々、というような感じの声色。意外だった。


「えっと……私の事好き?って悠加から聞かれて……」


「はぁっ?!な、なんて返した?」


 興奮気味な雨雅さん。少し珍しい。


「最初は……その、ちょっと躊躇っちゃって、悠加はどうなの、って質問で返したんです。そしたら、その……大好きだよって……えへへ、返ってきて。それで、もう一回、私の事好き?って聞かれたから……好きって……言いました」


 改めて状況を言葉で説明してみると、嬉しくて恥ずかしくて、口角が上がってしまう。


「はああああ……お前なぁ!何が『そこそこです』だ……進展しまくりじゃねえかよ馬鹿!」


 雨雅さんが焦れったいという風にほとんど怒鳴るように言った。

 ここまで目を合わせずに会話していたのに、つい目が合ってしまった。


 そう言われてしまうと本当に今私と悠加は進展しまくりなのかもしれないと思ってしまう。


「いやぁ、でも、悠加は友達としての好きって感じの言い方だったし……」


「にしても進展だろ……」


 雨雅さんが呆れるようにため息をつく。


「雨雅さんも、やっぱり恋愛とか気になるんですね」


「そりゃそうだろ……あたしだって女子高生だぞ……失礼な!」


「あっ、ご、ごめんなさい。雨雅さん、好きな人とか居るんですか?」


 興味本位で聞いてみる。


「……あー……いや、お前には教えてやんない」

「えー、なんでですか」


「理由なんてなんでもいいだろ」


 素っ気ない態度のようだが、耳が僅かに赤くなっていた。お風呂の温度のせいではないだろう。

 もしかして、雨雅さんは枯月さんに恋愛感情を持っていたりするのだろうか、と思ったが、聞いたら流石に怒られそうなのでやめた。


「まあ、お幸せにな。お前ら結構お似合いだと思うし」


 まさかそんな事を言われると思っていなかった。雨雅さんには、なんだかんだ先輩らしいところのある人だな、と度々思う。


「えへへ……ありがとうございます」


 お風呂で交わした会話はたったこれだけだったが、なんとなく、この日から私と雨雅さんの心理的な壁は無くなったように思う。

 なんとなく、雨雅さんを信頼できるようになったような気がした。






「おっ!七ぁ、おかえりぃ」


「ただいま」


 部屋に戻ると、悠加が嬉しそうに玄関まで小走りでやってきた。

 もしいつか同棲したら、毎日こんな光景が見られるのかななんて邪な事を思う。


「おやつ!食べよ!」


 悠加と机を囲む。こうやって食卓を囲む日が、いつか来たらいいな。


 枯月さんが手際よく全員分のコップにジュースを注ぐ。


「それじゃ、乾杯!」


「「「乾杯!」」」


この後は四人でしばらくお菓子を食べた。

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