第26話 砂漠の黒鷲(3)
ラムウィンドスこそ連戦していたはずだが、息すら乱さず、声はひどく落ち着いていた。
(やっぱり、ラムウィンドスは強いんだわ……! でも、あの黒い「オッサン」は全然ご自分では戦っていないご様子で……)
相手が体力を温存して万全の状態かと思うと、セリスはラムウィンドスに「ご無事で」と祈らずにはいられない。
一方、アーネストは白皙の美貌に感じの良い笑みを浮かべて、ラムウィンドスへと顔を向けた。
「総長、そらないわ。俺いま結構、キテんで。あいつの血ぃ見るまでおさまらんわ」
「うん。わかる。わかるが、ここは俺に免じて下がれ。あの小汚いオッサンが死ぬほどむかつくのは俺も同じなんだが、殺すと少しまずい」
部下のただならぬ興奮を知ってか、普段はきわめてそっけない話しぶりを徹底している総司令官が、珍しく丁寧な説明を試みていた。アーネストは憮然とした様子で上司を睨みつけながらも、従順に剣を引く。
「了解」
やりとりをつまらなさそうに見ていた男が、ぼそりと言った。
「ラムウィンドス、お前も大概にしろ。『砂漠の黒鷲』と言われるこの俺に対して、そこまでオッサン呼ばわりできる奴はなかなかいないぞ」
「さて。たいそうな二つ名だが、イクストゥーラには聞こえていないな」
男は口元を大いにひきつらせ、ラムウィンドスから視線を外し、辺りに目を向ける。
「相変わらずの剣の冴えだ」
廊下のあちこちで、低い呻き声が上がっていた。
「……怪我人は……」
男の呟きにつられて、セリスも倒れた者たちへと目を向ける。
よく見ると、床に血の流れた跡がない。そればかりか、さきほどまで避難していたはずの女官達が、呻く者たちの介抱にあたっているようだった。イクストゥーラ兵、黒衣の男問わず。
ラムウィンドスがそっけない調子で答える。
「骨折くらいはいるだろうが、実際に斬りあったわけではない。いつものことだからお互い了解している。離宮からきた兵たちは、知らなかったんだよな。騒ぎが大きくなってしまった。ああ、あとアーネストも、ここ数年はなかったことだから。この襲撃は、練習試合みたいなものだ」
「練習試合?」
セリスとアーネストが同時に言った。ちらっと顔を見合わせたとき、アーネストが「言ってやれ」とばかりに鋭い眼光をくれたので、セリスは意を決してラムウィンドスへと物申した。
「わたしは、襲撃の責任を感じて、
「姫が?
本気でわかっていない様子で聞き返され、セリスは押し黙った。
(いまわたしの目の前にいる人をです、とは言えない……)
なんだか猛烈に情けない気分に襲われた。その落ち込みきってうなだれたセリスの顔を、不思議そうに首を傾げたラムウィンドスが、身を屈めて覗き込もうとした。アーネストの呼びかけがそれを遮った。
「ちょい待ち、総長。俺も練習試合っちゅうのは、何の話かわからんのやけど。もしかして、直前に雑魚も殺すなって言ってたのはそのこと?」
「ああ。詳しく話しているひまがなかったのは悪かったな」
そのとき、とても聞こえよがしなため息が一つ。
「なんだか色々と終わったあとらしいね」
殺伐とした場にあっても、どこか優雅ささえ漂わせた声。ひどく懐かしい気がしてセリスはそちらを見た。そこには、思った通り敬愛する兄の姿があった。心なしか、いつもより老け込んだように見えた。おそらく、その疲れきった表情のせいだろう。
「おぉ、ゼファード! 遅かったな!」
「私はこんな馬鹿げた遊びに混ざるつもりはないですから、ゆっくり寝てしっかり身支度を整えてから来ました。ほんっとに、いくつになってもお元気でいらっしゃる、アルザイ殿下」
アルザイと呼ばれた男は、爽やかに片目を瞑って笑いを弾けさせた。
「言っとくけど俺はまだ二十九歳だ。あと、もうすぐ陛下だからな。間違えるなよ」
腕を組んだゼファードは、かすかに首を傾げた。ラムウィンドスを見て、何か目配せを交わしてから、再びアルザイに向き直った。
「三十歳では?」
「おい、そっちかよ。俺がオアシス諸都市連合を継ぐって話は聞いてねえのか」
「あいにく。本当のお話ですか」
なおも疑うように返されたのかこたえたのか、アルザイは嫌そうに腕を組む。
「本当だ。それで、折り入って話があってわざわざきたんだよ」
「なぜだろう。とても聞きたくないんですが」
「まず聞け。国を継ぐことでこの俺もいよいよ身を固める必要が出てきてな。そこでものは相談なんだが、『幸福の姫君』をもらいにきた。俺にくれないか」
そう言ったアルザイは、ぼんやりと話を追いかけていたセリスに目を向けると、頬を歪めてにやりと笑った。
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