第13話 麗人(4)

 口の中が乾く。何か言わなければいけないのに、言えない。

 そのまなざしから、逃れられない。

 手を払うことも、出来ない。何かが起きてしまいそうで、恐いのに。

 そのままの状態で、もっと時間が過ぎていれば、あるいは何かがあったのかもしれない。しかし、その時は訪れなかった。


「俺が思うに、一番の悪い虫はやはり王子だろう」


 ラムウィンドスは、音も無く革の長靴を履いた足を振り上げると、容赦なくゼファードの腹を蹴り飛ばした。

 背中から床に叩きつけられたゼファードがかろうじて無事だと知れたのは、腰をさすりながら半身を起こして、ぼそぼそと恨み言を呟いたときだった。


「ラムウィンドスの愛は、私には激しすぎる……」


 聞きつけたラムウィンドスが、まったく表情を動かさずに口を挟む。


「おかしいな。俺は王子に愛を捧げた覚えはないんだが」

「それこそおかしいよ。私は毎日お前からの愛を感じまくっているのに。俺のことが好きなくせに」

「殿下、余裕があるなら立つように。次は本気でいく」


 ラムウィンドスは、冗談を言っているとは思えない。ゼファードもまたそう思ったのか、ラムウィンドスから大きく距離を確保しつつ、そそくさと立ち上がった。


「ラムウィンドス……様は……何者なんですか」


 ようやくセリスはその根本的な疑問を口にした。

 王子相手に対して、不遜な態度を貫く彼は、一体何者であるというのか。


「様をつける必要はない。姫は俺の部下ではない」


 セリスの疑問を断ち切るようにラムウィンドスはそう言い、そのまま歩き出した。

 見送ったゼファードが、やれやれといった調子で言葉を継ぐ。


「イクストゥーラ王国軍、全軍の長、総司令官殿だ」

「総司令官……。それは、王子と、どちらが……」


 上なのですか、という決定的な言葉を呑み込む。ゼファードが、とても優しく微笑んで首を振っていたからだ。


「うん。姫の言いたいことはよくわかるけど、傷つくからやめてくれ。私はこれで非常に繊細でね。部下に散々冷たくあしらわれて蹴りを入れられているなんて、お前はそれでも本当に王子か。なんて言われたら三日は寝台から起き上がれなくなるよ」

「はい。言いません」


 これまでにない力の入った笑みを向けられ、セリスは疑問の一切を封じ込めた。


「よし、やっぱり姫は素直でいい子だね。では、行こう」


 ゼファードは満足げに頷く。身体のどこかが痛んだのか、不自然な角度で頷きを止め、腰をおさえた。セリスは思わずそばに歩み寄り、手を差し伸べようとする。


「おい、いつまでそうしている。さっさと来るように。殿下、手加減はした。そこまで大げさに痛がるようなことは何もなかったはず。あるとすれば、受け身の問題だ。一から鍛え直しか?」


 先に行っていたラムウィンドスが、振り返って声を張り上げてきた。

 苦笑したゼファードは、セリスの介助を断ると「あいつは鬼なんだ」と笑ったまま言った。

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